行動経済学はマーケティングの「万能酸」になる
ニューズウィーク日本版 / 2016年5月18日 19時42分
ビッグデータのみに頼ったり、人間は合理的に行動することを前提に考えたりしても、マーケティングやブランディングは成功しない。だが、ダーウィンの進化論のような、あらゆる事象を説明できる「万能酸」が、マーケティングの世界にもある。それは、行動経済学だ。
哲学者のダニエル・デネットは、著書『ダーウィンの危険な思想』(邦訳・青土社)の中で、ダーウィンの「進化論」は「万能酸(universal acid)である」と述べている。万能酸とは、どんなものでも溶かしてしまう最強の薬品だ。すなわち、「進化論」は、生物進化以外のものを含むあらゆる事象を説明できる「唯一にして最良の思想」であるということだ。
マーケティングの分野にも万能酸にあたる理論が必要ではないだろうか。業界の一部には「もはや理論は役に立たない」と指摘する声があることは事実だ。ビッグデータの方が、理論よりも信用できるというわけだ。だが、私はその認識は誤りだと思っている。ビッグデータからは、消費者の購買行動について大量の生データを得ることができる。ただし、それだけだ。経済学者のフリードリヒ・ハイエクは、「理論なくして事実はものを語らず」と説いた。データをもとにして人間の意思決定に関する知見を得るには、幅広い領域をもカバーする「理論」が必要なのだ。
【参考記事】ビッグデータ時代に「直感」はこう使え
マーケティングの万能酸になりうるのが「行動経済学」だ。行動経済学ならば、定量的データからは読みとることのできない消費行動の真実に迫ることができる。
脳が選ぶ「ヒューリスティックス」
人間の脳には、とても大きな負荷がかかっている。そこで脳は、省力化できる処理は、可能な限りそうしようとする。このように近道を選ぶ方法を「ヒューリスティックス」と呼ぶ。これは行動経済学の権威であるダニエル・カーネマンが示した「認知的安らぎ(cognitive ease)」の作用に基づくものだ。つまり、脳は高負荷を避けることで「安らぎ」、すなわち安定性を得ようとする。「壊れていないのなら、(多少不具合があったとしても)直さなくてもいいじゃないか」と考えるのだ。
このような脳の働きのために、私たちは憶測や先入観、思考停止、固定観念などを用いるようになった。これらは使えば使うほど私たちの思考に深く染みついていく。これらから自由になるのは容易ではない。
販売やマーケティングに関する私たちのよくある思い込みの多くは、まさしくこうしたタイプのヒューリスティックスによるものだ。たとえば「人間は合理的な存在である」「購買行動には因果関係がある」「消費者には(商品を選ぶための)完全な情報が与えられている」「消費者は正当な根拠があって行動する」「アンケート調査は有効である」など。これらはいずれも、その根拠に矛盾がある。しかし、私たちは安易で都合のよい認識を選びがちなのだ。
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