芥川賞『コンビニ人間』が描く、人畜無害な病理 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
ニューズウィーク日本版 / 2016年8月25日 17時0分
リアリティーが感じられないのは、主人公が「非常識な発想」を持ちさらに「無性愛」であることに、特に強い劣等感もなければ優越感を持っているわけでもないという書き方にもあると思います。
例えば、小鳥が死んで悲しいと思わないだけでなく、子供時代の主人公は「小鳥の墓」の回りに「花の死体が大量に供えられた」ことに違和感を抱いています。動物の死が悲しくないのであれば、植物の死も悲しくないはずですし、動物の死だけを悲しんで植物殺しをとがめないのはおかしいというのであれば、独自の世界観から抵抗精神や自己主張が出て来そうなものですが、それは抑制されているのです。
つまり「大変に非常識」だけれども、それは「全世界」について別の見方をしているような「とんがった人」だということでもないし、異常視されて被害者意識にまみれた人間でもない、要するに「人畜無害」な「普通の人」に設定されているのです。
【参考記事】未婚男性の「不幸」感が突出して高い日本社会
コンビニが限りなく心地良い「居場所」だというと、そこに依存している、反対に依存しないといけないような、何らかの「欠落」を抱えた人間ということになりそうですが、決してそんな「危ない人」には描かれていないことも作品を特徴づけています。
しかも一人称独白体(ファーストパーソン・モノローグ)を選択していることで、その言動は明らかに非常識であるにも関わらず、書いている視点は常識人という分裂が埋め込まれています。これに加えて、語彙の選択を含めた文体についても、とにかく「引っかかり」を無くすように、突出した個性が出ないように注意が払われています。その結果として、流れていく時間は極めて凡庸な感じになるように設計されています。
結果として、「常識とはかけ離れている」主人公ではあるが、その日常は極めて平凡に淡々と流れているという、不思議な「浮遊感覚」をもった空間が生まれているわけです。そこには、何の「意味」も感じられないし、何の「論点」もない、そのような設定が、かなり意識的に貫かれています。
確かに、コンビニにしか「居場所」がない人間であるとか、自分は「性交は不気味で気が進まない」という人物を「意味」や「論点」を込めて提示することになれば、そこでは「聞き飽きた退屈な社会派的ディスカッション」が誘発されてしまうわけです。
コンビニの定型業務を快感に思うのは洗脳されて搾取されているだけだとか、本当の非性愛の人間の生きづらさはそんなものではない、というような議論に「巻き込まれる」のは容易に想像ができます。そして、そのような「聞き飽きた」議論には関わりたくないという姿勢には、かなり毅然としたものも感じられます。
とにかく「どこかで聞いたことのある」ような「論点」は徹底されて排除されています。価値の相対化をやってはいるものの、それを突き詰めることはしない、そこで身体性のリアリティーの世界に立脚して居直るのでもない、例外的な人間を描いて凡庸な社会常識に一撃を加える気などもさらさらない、という「徹底したニュートラル志向」は見事と言えます。
もしかしたら、関係性や場の空気を理解しない、そして無性愛的な主人公、そしてコンビニの空間というのを、2010年代の日本社会の「代表的な風俗」として、徹底して「記録しておこう」ということなのかもしれません。
あるいは、「人工的な凡庸性」そして「突出しない人畜無害な病理」を描くことで、それをコンビニ文明のメタファーにして見事に批判してみせた、という可能性もあると思います。そうした多様な読み方を誘発する作品であり、その点だけでも一読の価値があると思います。
-
- 1
- 2
この記事に関連するニュース
-
芥川賞に朝比奈さん、松永さん=直木賞は一穂さん
時事通信 / 2024年7月17日 20時23分
-
芥川賞、朝比奈秋さんと松永K三蔵さんがダブル受賞
毎日新聞 / 2024年7月17日 18時2分
-
『ガールズバンドクライ』を本気レビュー 仁菜は「うっせぇわ」の擬人化!? 「ガルクラ」が覇権アニメになった理由を考える
Fav-Log by ITmedia / 2024年6月29日 8時15分
-
身内の「非常識すぎる」エピソード5選
KOIGAKU / 2024年6月28日 18時23分
-
コンビニに「家庭ごみ」を捨てるのは非常識ですか?少しくらいならいいと思っていましたが、犯罪になる可能性もあるんでしょうか?
ファイナンシャルフィールド / 2024年6月25日 2時20分
ランキング
-
1米国初の女性・アジア系大統領を目指すハリス氏、手腕には厳しい評価も
産経ニュース / 2024年7月22日 19時11分
-
2バングラ学生デモの逮捕者500人超に 死者163人に 警察発表
AFPBB News / 2024年7月22日 20時38分
-
3国際協調路線のバイデン外交は「限界」露呈…ウクライナ侵略・ガザ紛争終結メドつけられず、米国内の分断も深まる
読売新聞 / 2024年7月23日 7時10分
-
4韓国IT「カカオ」創業者を逮捕 株価不正つり上げ疑い
共同通信 / 2024年7月23日 10時15分
-
5バイデン氏の撤退決断、米主要紙が評価 「勇気ある選択」「米国の最良の利益」
産経ニュース / 2024年7月22日 19時34分
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
エラーが発生しました
ページを再読み込みして
ください