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20世紀前半、帝都東京は中国人の憧れの街だった

ニューズウィーク日本版 / 2016年9月20日 15時42分

 歴史は単なるカレンダーではない。年表や人名を覚えるだけでは受験勉強以外に役立たない。そこに生きた人々の「こころ」を知ることこそ、本当の意味で歴史を知ることではないのだろうか。



『帝都東京を中国革命で歩く』には古地図を多数掲載

 本郷に住んだ魯迅は夏目漱石に心酔し、コンビーフが好きだった。無鉄砲な蒋介石は2度目の来日でようやく軍人教育の学校へ入学したが、辛亥革命で帰国したとき、日本陸軍の記録に「脱走兵」と記された。周恩来は神田の漢陽楼に通い詰めて空腹を満たしたが、高等学校の受験に失敗し、失意のうちに帰国した。梁啓超は14年に及ぶ亡命生活で、吉田松陰と高杉晋作を崇拝して「吉田晋」と日本名を名乗った。女傑・秋瑾はすこぶるつきの美人だった。早稲田界隈にはチャイナタウンの賑わいがあった等々。

 これまで知られてこなかった歴史的発見もあった。文京区湯島の名刹・麟祥院(通称からたち寺)に佇む「中華民国留学生癸亥地震招魂碑」だ。1923年の関東大震災で亡くなった中国留学生の慰霊碑で、これまで建立の経緯が不明だったが、古い希少資料を調べてみると、日中戦争によって忘却の彼方に追いやられた日本の「誠意の象徴」だったことが判明した。

 私はこうした東京各地の中国留学生の痕跡をたどって歩き、拙著『帝都東京を中国革命で歩く』(白水社)にまとめた。「早稲田、本郷、神田」の3地区に分類して詳しく紹介しており、東京で生き生きと暮らした彼らの息遣いや、終生日本を追慕しつづけた彼らの「こころ」を感じとっていただけると思う。

 いつも見慣れた東京の風景も、カメラの焦点を少し絞ってみれば、まるで違う世界が広がって見えてくる。現代とは少し異なる時代感覚に触れ、少し異なる視点に立ってみれば、今はぎくしゃくしている日中関係にも、より良い未来を築くためのヒントが見つかるかもしれない。

 それよりなにより、明治大正時代の古地図を眺めているだけで、帝都東京の情景を想像してロマンが広がり、日頃のストレスを忘れさせてくれるのである。


『帝都東京を中国革命で歩く』
 譚璐美 著
 白水社


[執筆者]
譚璐美(タン・ロミ)
作家、慶應義塾大学文学部訪問教授。東京生まれ、慶應義塾大学卒業、ニューヨーク在住。日中近代史を主なテーマに、国際政治、経済、文化など幅広く執筆。著書に『中国共産党を作った13人』、『日中百年の群像 革命いまだ成らず』(ともに新潮社)、『中国共産党 葬られた歴史』(文春新書)、『江青に妬まれた女――ファーストレディ王光美の人生』(NHK出版)、『ザッツ・ア・グッド・クエッション!――日米中、笑う経済最前線』(日本経済新聞社)、その他多数。新著は『帝都東京を中国革命で歩く』(白水社)。


譚璐美(作家、慶應義塾大学文学部訪問教授)


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