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あなたはこの「音に出会った日」のYouTubeを観たか

ニューズウィーク日本版 / 2016年10月12日 11時15分

 ただし勇気づけられるのは、著者が決してあきらめなかったことだ。普通の感覚からすれば、ここに描かれているような扱いを受ければ、不登校になったり、うつになったりしたとしても不思議はない。しかし彼女は違った。たとえば中学生時代には、いじめの主犯格に真っ向から立ち向かっていくのである。

 わたしは攻撃をはじめた。彼女を叩き、髪の毛をつかんで引っ張った。指に茶色の髪が絡まって抜けた。それでもやめなかった。引っ掻き、蹴り、突き飛ばし、唾を吐いた。 彼女も反撃してきたが、顔を叩かれてもなにも感じなかった。噴出されるアドレナリンと積もり積もった屈辱のせいで、わたしの感覚は麻痺していた。 長年の無力感が怒りに変わり、ふつふつと煮えたぎっていた。全身に漲(みなぎ)る反抗心が恐怖を抑え込んだ。「これはあんたが"麻痺野郎"って呼んだお返し」わたしは唾を吐きかけ、彼女の脇腹を踏んづけた。(80ページより)

 こうした負けん気の強さも功を奏し、以後の彼女は順調に......とまではいえないにしても成長を続けていく。16歳で初めてナイトクラブへ行ったときの感動の描写などは、まるでふつうの女の子のようだ。耳が聞こえないということを除いては。



 いま感じる興奮、生きている実感はわたしにとってはじめてのものだった。 耳が聞こえないのにナイトクラブに行ってどうするの、と思われるかもしれない。だが、そこがナイトクラブのいいところだ。音楽を感じることができる。体の中をビートが駆け巡っていれば、歌詞を聞く必要はない。(97ページより)

 つまり著者は、基本的に前向きなのだ。気が強いし、明るいし、決してへこたれない。しかし、それでも運命の不公平さを痛感せざるを得ないのは、29歳で「アッシャー症候群」だと判明したこと。視覚障害と聴覚障害を併せ持つ病気で、つまり、そう告げられた時点で見えていた目は、次第に見えなくなっていくというのである。

 しかも、そのおかげで看護婦になる夢を諦めなくてはならなかったりもする。盲導犬と思うようにいい関係を結べなかったりもする。そのため次第に悲観的、あるいは絶望的な表現が増えてくるのだが、それも仕方がないことだろう。

 だから中盤以降は読むのがつらくなってくるが、やがて朗報が入る。人工内耳移植手術を受ければ、耳が聞こえるようになるというのだ。そして結果的に手術は成功し、著者は生まれて初めて音を知ることになる。

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