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ビル・クリントンの人種観と複雑な幼少期の家庭環境

ニューズウィーク日本版 / 2016年10月21日 12時4分

 クリントンが大統領に就任した1993年にノーベル文学賞を受賞した、現代アメリカを代表する黒人女性作家トニ・モリスンがクリントンを「アメリカ史上初の黒人大統領」と表現したことはアメリカで広く知られている。人種分離が残っていた南部アーカンソー州で、幼少期に黒人と親しく交わった経験がクリントンの人種観に影響を与え、大統領就任後には黒人からの根強い支持を獲得することにつながったと見る者は多い。

 こんなエピソードがある。アーカンソー州議員も務めた黒人法律家リチャード・メイズは、あるとき若い黒人女性が主催するパーティに招かれた。そこで、当時32歳で州司法長官だったクリントンを偶然見かけた。白人の招待客はクリントン1人だったが、ぎこちない様子などもなく、ほかの黒人の来客と普段通り談笑していた。メイズはクリントンの自然な振る舞いに感心したという。

 バージニアは1950年6月19日、母エディスの強い反対を押し切って、自動車のセールスマンだったロジャー・クリントンと再婚した。ビルが4歳になる少し前である。

 バージニアの再婚時よりビルは継父の姓を名乗るが、正式にブライズからクリントンへと法的改姓手続きを取ったのは15歳になってからである。



 ビルが正式な改姓をためらったのは、継父が重度のアルコール依存症であり、母・異父弟ともども継父に虐待された経験があったからだ。夫婦喧嘩で激高したロジャーがバージニアに向けて発砲し、弾丸は危うく近くにいたビルに命中しそうになったこともあったという。

 継父は洒落者でユーモアにあふれ、ハンサムだった。だが、彼は女癖が悪く、バージニアと結婚する前に2度の離婚歴があった。前妻アイナ・メイ・マーフィーもまた彼にひどい暴力を振るわれたと話していた。

 ロジャーには深刻な飲酒癖に加えて賭博癖もあり、乱痴気騒ぎを好む欠点もあった。ビルが改姓をためらったのは、だらしない継父への抵抗でもあった。

継父と母の離婚、再婚

 1953年、クリントン一家はホープを離れ、温泉保養地やカジノで有名な同じアーカンソー州のホット・スプリングス市近郊に農場を購入し移住した。だが、継父は農場での暮らしに適応することができず、一家は早々に農場を去ってホット・スプリングスの市街地に再度引っ越している。

 ビルがまもなく10歳になるとき、継父と母の間にビルの異父弟となるロジャー・クリントン2世が誕生する。だが、甲斐性がなく泥酔しては暴力をふるう亭主にバージニアは愛想を尽かしつつあった。1962年、バージニアはついに息子2人を連れて家を飛び出し、離婚する。

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