【敗戦の辞】トランプに完敗したメディアの「驕り」
ニューズウィーク日本版 / 2016年11月10日 18時54分
【参考記事】「トランプ勝利」世界に広がる驚き、嘆き、叫び
トランプは「ギャグ」のような存在だった
今、米メディアが「想定外」や「驚きの」勝利という言葉を使うとき、そこには間違いなく自戒の念が込められているはずだ。何とも言えない切なさや胸の痛みさえ感じているかもしれない。私の知る限り、周りのメディア関係者で今回の「想定外」を喜び、楽しんでいる人はいない。いたとしたらそれこそ「隠れトランプ支持者」だろうから、口元にわずかな笑みを浮かべているのを私が見逃しているだけかもしれない。
思えばトランプが出馬表明をした1年半前から、米メディアは「トランプ大統領誕生」という未来を本気で描くことができずにいた。言ってしまえば、大方の米メディアにとって彼は「ギャグ」のような存在でしかなかったのだ。
【参考記事】対談(前編):冷泉彰彦×渡辺由佳里 トランプ現象を煽ったメディアの罪とアメリカの未来
予備選でトランプが躍進し始めたころ、アメリカ人の同業者とメールを交わすたびに、彼らは合言葉のように「まったく今年の大統領選はクレイジーだよね」と最後に(笑)が付くような一文を添えてきた。メールの送信相手(私)がトランプ支持者である可能性は微塵も想定していないことに驚きつつも、この業界の人たちは(クリントン支持かどうかはさておき)少なくともトランプ支持者ではない、という暗黙の了解があるのだと悟った。
その傾向は、大統領選の討論会場でも明らかだった。9月末にニューヨークで行われた第1回目のクリントンvs.トランプの討論会は、会場に設けられたメディアセンターで観戦した。世界中から詰めかけている大勢の同業者たちと一緒にクリントンとトランプのやりとりを見ていたわけだが、トランプが何か発言するたびに周りの記者たちから失笑、ときに爆笑の声が上がる。さながら同業者たちと一緒にお笑い番組を観ているようで、ここでもトランプをどこかまともに捉えていない空気を感じた。
第3回目の討論会はコロンビア大学ジャーナリズムスクール主催の観戦集会に出向いたが、この時も会場内の「失笑ポイント」が同じで、妙な一体感があった。ニューヨークでジャーナリズムを学んだ後に米メディアの中枢に入っていくような人たちは、少なくとも「トランプ不支持」という価値観で一致しているのだなと、納得したものだ。
もちろんメディアで働く人間も、仕事上は自分の個人的な支持、不支持にとらわれない中立な報道を心がける。米メディアは媒体としてどちらの候補を支持するかを表明する傾向にあるが、中で働いているスタッフは原則として自分の支持する候補を利することを目的として報道することはない(オピニオン記事で主観を述べることはあるが)。だが仕事を離れればメディアの人間にも支持、不支持があり、それを仲間内で口にすることもある。その点で言うと、少なくとも私の周りで「私はトランプを支持している」と堂々と公言している同業者は1人もいなかった(共和党支持者はいる)。
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