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中朝同盟は「血の絆」ではない。日本の根本的勘違い

ニューズウィーク日本版 / 2017年4月25日 18時43分

米韓が共同して朝鮮半島を統一するかもしれないという懸念は、中国にとって「北朝鮮と友好関係を保って北朝鮮を守ろう」といった、「北朝鮮のためのもの」ではなく、あくまでも対米対策であった。

中国は朝鮮戦争勃発時点から、北朝鮮とは「本当は」仲が悪く、「血の絆」などでは、一切、結ばれていない。



日本人は、まずそのことを認識して中朝関係を分析すべきではないだろうか。

中国は中朝同盟を破ることができるか?

中朝友好協力相互援助条約の第二条には「軍事同盟」を定めた「参戦条項」がある。どちらか片方の国が他の国に攻撃されたときには、互いに参戦して互いの国を助けなければならないという主旨の内容だ。しかし北朝鮮、特に金正恩(キムジョンウン)政権は、中国がどんなに核・ミサイルの開発をやめろと言い聞かせても従わず、結果、第一条にある「アジア及び全世界の平和と安全を守る」という大前提を北朝鮮側が破ったのだから、中国側には中朝軍事同盟を破棄する正当性があると、中国は思っているだろう。

ましてや「トランプ・習近平」会談以降の米中蜜月状況に於いて、中国には少なくとも「アメリカと戦いを交える」という考えはない。

「延安派」は長春の食糧封鎖(チャーズ)を実施した朝鮮人八路

筆者がこの事実に執着するのは、筆者らが住んでいた長春を1947年から48年にかけて中共軍が食糧封鎖したときに、包囲網を守備していたのが、「朝鮮人八路」だったことにある。当時、庶民は中共軍のことを「八路軍」と呼んでいた。

1945年8月、毛沢東は「六号命令」というのを発布して、延安にいた朝鮮人八路たちを「東北」に進撃するように命じた。東北というのは吉林省や遼寧省あるいは黒竜江省がある中国の東北三省のこと。その中の一部が吉林省長春市の食糧封鎖部隊に回され、冷酷無残な形で数十万の無辜の民を餓死に追いやった。筆者の家族もその餓死者の中にいる。詳細は拙著『●子(チャーズ) 中国建国の残火』(●は峠のつくりの横棒をくっつけた文字)。 

この朝鮮人八路は中華人民共和国誕生に伴って北朝鮮に帰国し、「延安派」として金日成に粛清されたのである。

朝鮮戦争が始まった1950年に、中朝国境沿いの吉林省延吉市という朝鮮民族の自治州にいて、灯火管制の下で生きてきた筆者としては、あらゆる意味で北朝鮮問題と中朝関係は他人事(ひとごと)ではない。

北朝鮮問題と中朝関係に関しては、今後も多角的に掘り下げていくつもりだ。

[執筆者]遠藤 誉
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』『完全解読 中国外交戦略の狙い』『中国人が選んだワースト中国人番付 やはり紅い中国は腐敗で滅ぶ』『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』など著書多数。近著に『毛沢東 日本軍と共謀した男』(新潮新書)



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遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)


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