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王岐山、次期国家副主席の可能性は?

ニューズウィーク日本版 / 2018年2月26日 15時40分

日本が敗戦すると、あわてて入党し、父親の弟で、党員として極貧生活を送りながら戦死した江上青の養子となることを装って、自らの「紅い血筋」を創りあげた。

そんな、「人民」には知られたくない過去を持っているので、国家副主席に生粋の共産党員幹部が就いたのでは沽券にかかわる。そこで非党員である栄毅仁を国家副主席に指名することになったものと解釈できる。

栄毅仁は中国にある八大民主党派の一つ「中国民主建国会(民建)」の党員だった。1937年に上海市にあったセイント・ジョーンズ大学(アメリカが設立。1952年解散)を卒業し、1939年には上海合豊企業公司の社長に、1943年には上海三新銀行董事長を兼任するなど、工商界で華々しく活躍していた。

栄毅仁は江蘇省無錫市で生まれており、江沢民の生地・江蘇省揚州市に非常に近い。1926年生まれの江沢民にとっては尊敬すべき「兄貴分」的な存在だったにちがいない。

栄毅仁は、改革開放を推し進めた鄧小平とも非常に親しくしており、1978年には全国政治協商会議の副主席にも就任している。全国政治協商会議は全人代とともに両会のうちの一つで、全人代は中国共産党員が多いのに対し、全国政治協商会議の方は非党員の方が多い。

そこで1993年の全人代において、江沢民は栄毅仁を推薦し、投票により国家副主席に当選したわけだ。1998年3月まで、5年間の任期を全うした。本来なら二期10年務めていいわけだが、鄧小平の命令により、1998年からは胡錦濤が国家副主席の座に就いた。

その意味でも、江沢民は胡錦濤を極端に嫌い、胡錦濤政権に入ると、江沢民派の刺客を6人もチャイナ・ナイン(胡錦濤時代の中共中央政治局常務委員会委員9人)の中に送り込み、多数決議決の時に胡錦濤の意見が通らないように仕向けた経緯がある。

いずれにせよ、国家副主席の座は、このように柔軟性があるということなのである。

王岐山はなぜバノンと会いたがったのか?

トランプ政権の元主席戦略官だったスティーブン・バノン氏は、昨年9月12日に香港で講演したあと北京に飛び、王岐山と会っている。

12月21日のコラム「バノン氏との出会い――中国民主化運動の流れで」に書いたように、筆者はバノン氏と会話する機会が何度かあった。そのときバノン氏が本当に「トランプは習近平を誰よりも尊敬している」と言ったのか否かに関して直接尋ねたところ、「本当だ。まちがいなく、そう言った」とバノン氏は答えた。

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