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「中国排除」を主張したのは金正恩?──北の「三面相」外交

ニューズウィーク日本版 / 2018年5月2日 16時30分



そのとき、金正日は、早くから個人的に親しくしていた楊斌(よう・ひん)というオランダ籍中国人を特区長官に任命している。拙著『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』のp.153前後に詳述したように、楊斌は1963年の南京生まれで、5歳の時に孤児になり、1985年にオランダへ留学。90年に「欧亜グループ」という企業を起こして大財閥となる。遼寧省の瀋陽などを中心に、葡萄酒作りのための「オランダ村」も経営し、中国全土に経営拠点を広げていた。北朝鮮は北欧に根を張っているのでオランダで接触があったものと思うが、楊斌自身、何度も訪朝している。金正日は新義州特区で葡萄園を創りたいということを口実にして、楊斌を新義州特区の長官に任命した。

問題は、この任命に当たり、北京とは如何なる相談もしていなかったことにある。

北朝鮮の言い分としては、楊斌はオランダ籍なので北京に相談する必要はないという理屈であるが、北京は激怒。楊斌は逮捕されるのを直感して急いで新義州に逃げようとしたが、中国政府の動きの方が早かった。新義州に逃れる前に収賄容疑で逮捕してしまったのである。

この楊斌を大連に呼んで政敵を倒そうとしていたのが薄熙来で、そのために『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』で楊斌と新義州特区に関して取り上げた次第だ。

習近平政権になってからも新義州特区で問題が

こうして新義州特区は発案と同時に頓挫してしまったのだが、のちに金正恩に粛清された張成沢(チャン・ソンテク)は改革開放推進派だったので、胡錦濤時代の2012年に再度、新義州特区の開発に着手していた。しかし、金正男(キム・ジョンナム)を金正日の跡継ぎになどと胡錦濤に進言していたことを盗聴されたことから、張成沢は2013年に残虐な形で処刑された。

これにより新義州特区開発もまた頓挫したが、2015年10月に、当時のチャイナ・セブンの一人であった劉雲山が朝鮮労働党建党70周年記念閲兵式のために訪朝。再度、新義州特区開発が進められようとしていた。国連制裁に中国が賛同して、さまざまな形で北朝鮮制裁に参加するものだから、人民元が流布している北朝鮮の市場においては、なんとか人民元を獲得したいと考えたようだ。しかし北朝鮮の度重なる核実験やミサイル発射を受けて、習近平政権と金正恩政権は悪化の一途を辿っていた。



それも複雑で、人民元が流布するということは、すなわち中国経済に呑みこまれることを意味する。金正恩は、それを警戒している。

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