結婚式はハリー王子の「禊」 呪縛を解き放ったメーガンの「操縦術」がすごい!
ニューズウィーク日本版 / 2018年5月21日 16時0分
「とても怒りを覚えました。陸軍にいることは一番の逃避になったのですから。何かを成し遂げているという気持ちになれたのです」
「軍隊では、異なるバックグラウンドを持つ人と知り合い、深く理解することができたのです。また、チームの一員であると感じることもできました」
「陸軍での僕は、王子ではなくただのハリーになれたのです」
軍隊に生きる目的を見出したハリーだったが、王族の一員ゆえに、限界を知ることになる。怒りと痛みは増すばかりだった。
大好きな元彼女に振られ大ショック! 「ダーティ・ハリー」な黒歴史
私生活では、ジンバブエ出身の富豪の娘で、ジュエリー・デザイナーのチェルシー・デイビーと7年近く交際し、別離と復縁を繰り返していたが、マスコミの執拗な取材攻勢に嫌気がさしたチェルシーは、2011年にはハリーの元を去ってしまう。
彼女のことを真剣に愛していたというハリーは、心の隙間を埋めるかのように、パーティに明け暮れ、2012年にはラスベガスのホテルで複数の女性とストリップ騒動を起こしている。2005年には友人のパーティでナチスの軍服を着用したスキャンダルもあっただけに、英国民は「またか!」とあきれ返った。タブロイド紙に「ダーティー・ハリー」の異名をつけられたのもこの頃だ。
そんな弟を見かねてか、兄ウィリアムは、カウンセリングを受けることを提案。それによって、ハリーは母の死と初めて向き合ったという。28歳になっていた。
【参考記事】ハリー王子の全裸掲載は自粛すべきか
慈善活動、そして「運命の女性」メーガン・マークルとの出会い
その後のハリー王子は、かつてのダイアナ妃のように、慈善活動に熱心に力を注ぐようになった。地雷や不発弾の撤去活動、HIV感染に対する正しい知識の啓蒙活動、ウィリアム王子と立ち上げたチャリティ財団「ロイヤル・ファウンデーション」、そして傷病兵による国際スポーツイベント「インビクタス・ゲーム」など、さまざまな活動を支援することで、再び人生の意義を見出したかのように見える。
そんなハリーに一筋の光が差し込んだのは、2016年の夏だった。マークルとは、共通の友人が企画してくれたブラインドデートで出会い、その場で意気投合。瞬く間に交際に発展する。
Alexi Lubomirski
「美しい人が、僕の人生に転がり込んできたのです」
「彼女とは信じられないほど、すぐに恋に落ちました。ついに運命の人と巡り会えたのです。すべてが完璧だった」
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