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「女の子」か「女性」か? 言葉のパワーの重要性

ニューズウィーク日本版 / 2018年5月30日 18時30分

ブラッドは「正式名称に『女の子』という単語が使われている」ことを問題視した。

「部屋を掃除するために来てくれる女の子がいる」「自分の代わりに税金関係を処理してくれる女の子がいる」とか言う人はよくいるが、「税金関係をやってくれる男の子」「車のメンテナンスをしてくれる男の子」という風に話す人がいるだろうか?

少し視点を変えてみよう。普段、「女性」と伝えられる人物をイメージしてほしい。例えば、ドイツのアンゲラ・メルケル首相のことを「ドイツ首相を務める女の子」、もしくは中央アフリカ共和国のカトリーヌ・サンバ・パンザのような指導者。彼女たちを「女の子」と呼ぶだろうか?――答えは「ノー」だ。

メルケルやパンザには必ずと言っていいほど「女性」という呼称がつく。それなら、子育て中の人やレストランのサーバー、友人とのお喋りにふけっている人も、すべからく「女性」と呼ばれるべき。

女友達に親しみを込めて「女の子」と呼ぶ人もいる。しかし、成人女性に対して「女の子」と言ってしまうと、彼女たちの成熟性と経験を否定することになってしまう。結果として、同性を見下すことにもなり得る。

言葉が繰り返されて、概念が構築される

好きなものを食べる、好きな職業に就く、好きな格好をする。一見、当然のことかもしれないが、実はまだ実現できていないことかもしれない。私たちの選択には、無意識のうちに「社会の総意」が反映されることが多い。

「言葉にはパワーがある。ひとつひとつを切り取れば大したことではないが、繰り返されることで大きな影響をもたらす」と、ブラッドは言う。「私たちの社会は、『女の子』問題について考え直す必要がある。大袈裟だと思われるかもしれないが、この風潮をそのままにしておくと、『レイプカルチャー』を助長することになりかねない」

キャロルは決して同性を攻撃しているわけではない。「ありのままを受け入れるという価値観をもっと育てていくべきではないか」と願っているだけだ。

「ありのまま」の美しさが肯定される価値観が根付けば、いろいろな問題の解決に結びつくかもしれない。見えないプレッシャーを気にして、わざわざ「女の子」を演じようとなんてしなくていい。

女性の総称について、受け入れるか受け入れないかは、議論の結果で決めればいい。ひとつ言えるのは、この問題について誰もが考えてみる価値があるということだ。

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ニューズウィーク日本版ウェブ編集部


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