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子供を助けた不法滞在者が市民権を得た「美談」と背中合わせの複雑な難民事情

ニューズウィーク日本版 / 2018年6月5日 15時30分

難民たちは、パリ地方に用意された臨時受け入れ施設に移される。身寄りのない未成年者、女性、家族づれは特別施設にいく。難民たちは、それらの施設で一カ月ほど暮らし、亡命申請をする。そして、フランス国中の宿舎に分散される。現在亡命審査期間は平均11ヶ月。そこで認められたものは自活、ハネられた者は国外退去や強制送還となる。

昨年『パリのすてきなおじさん』という本に協力した。そのとき、救出劇の現場から真北に車で5分ほどのパリの出口、ポルト・ド・ラ・シャペルというところの難民テント村に行った。



著者の金井真紀さんは書いている。「あの人たち、なにをしているんだろ?と注意してみると、かれらはなにもしていないのだった。たとえ日向ぼっこや夕涼みでも、よしんば路上に寝ているとしても、それは意志のある行為だけど、彼らはそうではない。なにもやることがない人間が陥る無表情。ふしぎな重さと静けさだった」、まさにそのとおりだった。

慈善団体が配給した食パン、オレンジ、野菜ジュースなどの入ったビニール袋を持ったアフガニスタン出身の髯面の28歳の男性が、英語で「テントに来るか」と言った。高速道路の橋の下に太い鉄柵がならべられて隔離されている。柵の中に入ろうとすると、フランス語の流暢な若者が現れた。アラブ移民っぽい人でベルギー人だといった。どうもここを取り仕切っているブローカーの一味らしい。

難民たちはみんな祖国でブローカーに5,000ドルだ8,000ドルだという大金を渡している。ときには旅の途中でまた何度も金を取られる。彼らはイギリスでの平和と仕事、家族への仕送り、そしていつかは妻や子を呼び寄せるという夢を見てスシ詰めのゴムボートに乗り、ひたすら歩く。ところが、ようやく何カ月も何年もかかってドーバー海峡にたどり着くと、もはやその先へはいけない。地中海からフランスまでは陸続きだが、目の前は海。そして、イギリスはここを渡ってくる難民を一切受け入れない。

ブローカーさえいなければ

臨時受け入れ施設は、首都圏の24の体育館などで、キャンプ用の簡易ベッドが急いでならべられた災害の避難所のようなものだが、テント村よりはまだましだ。なにより、村を取り仕切るブローカーたちから逃れることができる。

私は不思議でならない。これほどはっきりとした元凶の一つであるブローカーたちをなぜ国際協力して取り締らないのだろうか? 奴らさえいなければ相当数の男たちはこんな旅に出ることはなかっただろう。

5月30日のテレビニュースは「すべて平穏におわり、移民たちはパリ地方の受け入れ施設に向かった」と報じた。

粗末な私物をかかえた男たちが長い列を作って、一人一人身分証明チェックをうけた。もう日は高くなっている。そして粛々とバスに乗った。ただただ無表情に。

[執筆者]
広岡裕児
1954年、川崎市生まれ。大阪外国語大学フランス語科卒。パリ第三大学(ソルボンヌ・ヌーベル)留学後、フランス在住。フリージャーナリストおよびシンクタンクの一員として、パリ郊外の自治体プロジェクトをはじめ、さまざまな業務・研究報告・通訳・翻訳に携わる。代表作に『EU騒乱―テロと右傾化の次に来るもの』(新潮選書)、『エコノミストには絶対分からないEU危機』(文藝春秋社)、『皇族』(中央公論新社)他。


広岡裕児(在仏ジャーナリスト)


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