日ロ交渉:日本の対ロ対中外交敗北(1992)はもう取り返せない
ニューズウィーク日本版 / 2019年1月24日 12時30分
1945年8月、4歳のころに、まだ「新京」と呼ばれていた現在の長春で目撃した関東軍司令部のあの黒煙と何が変わろうか。あのとき関東軍はソ連の参戦などあり得ないし、あったとしてもまだだいぶ先のことだと高を括っていたのである。
同様にエリツィンが日本に対ロ支援を懇願しているのに、「まだまだ機会がある」と、日本は疲弊しきっていたロシアを侮っていた。
昨年12月24日付けのコラム「日本の半導体はなぜ沈んでしまったのか?」にも書いたように80年代の日本経済の勢いは凄かった。GDPでは世界第2位にのし上がり、半導体などの技術力においてもアメリカを凌いで世界一を誇っていた。それが気に入らないアメリカが日本の技術力を潰そうと1986年に「日米半導体協定」を結ばせて日本を叩いたが、それでもへこたれなかったので、アメリカは1991年8月に第二次「日米半導体協定」を日本に強要したほどだ。その5年後には日本の半導体はさすがに力尽きて沈没し日本経済はいきなり衰退していくのだが、92年の時点でさえ、日本政府にはまだその自覚がなかった。
エリツィン政権の懇願を無視しただけでなく、なんと、中国にエールを送り始めたのである。
1992年の天皇訪中がもたらした悲劇
昨年10月16日付のコラム「日本は中国との闘い方を知らない」に書いたように、1989年6月4日の天安門事件で西側諸国による経済封鎖を受けていたが、それを真っ先に破ったのは日本だ。
当時の宇野首相は経済界のニーズに押されて「中国を孤立させるべきではない」と主張し、1991年には海部首相が円借款を再開し、西側諸国から背信行為として非難された。さらに1992年10月には天皇訪中まで実現させてしまう。すると中国の目論み通り、アメリカも直ちに対中経済封鎖を解除して、西側諸国はわれ先にと中国への投資を競うようになるのである。
以下に示すのは2016年に中国の中央行政省庁の一つである商務部が発表した資料である。
1984年以降に中国が獲得した(中国語で吸収した)外資の年平均増加率と投資規模が示してある。
このグラフの1992年~93の赤色のカーブを見てほしい。
外資の対中投資増加率が急増しているのが歴然としている。日本が天皇訪中を断行して低迷した中国経済に弾みをつけ、アメリカをはじめとした西側諸国が先を争って対中投資に雪崩れ込んでいった証拠が、このグラフに表れている。
日本は、このグラフを目に焼き付けてほしい。
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