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難治がんの記者が伝えたい「がんだと分かった」ときの考え方

ニューズウィーク日本版 / 2019年5月7日 17時45分

本が読めないくらい、たいしたことではないと思われるかもしれないが、これはなんとなく理解できる。私自身、いつか入院することになったら、読めないままになっている本を一気に読もうなどと思っていたからだ。だが、そういう境地にはいられなくなることを、この記述は明らかにしている。



しかも、そんな状態ではいざというときに治療や検査について情報をかみ砕き、判断することもできない。それに並行して体力も衰えるので、不安だけが雪だるまのように膨れ上がっていくことになる。

続いて、ふたつの苦難が追い討ちをかける。

少しの散歩で、胸も気分もせっぱ詰まってくる。 肺が一回り、二回り縮んだ気がする。吸って吐くまでの間隔が短くなる。ハッ、ハッ、ハッ。ひょっとして、これが生涯続くのか? 目をつぶり、息が整うのを待ちながら、暗い気分になった。(32ページより)

 三つ目は脚にきた。夕方になるとむずむずし始め、じっとしていられなくなるのだ。寝ながら、上げたり下げたり、よじったりすれば気が紛れるが、1分とたたずに身の置きどころがなくなる。マッサージも効くのはその間だけ。眠りが浅くなり、疲れがたまっていった。 これが「むずむず症候群」という病気だとわかるのは、退院後、自宅に戻ってネットで検索してからだ。 かわいらしいのは名前だけ。その治療のために初めて訪れた病院では名前が呼ばれるのをじっと座って待っていられず、受付の声が届く範囲をうろつき続けた。周りから見られている気がする。まるでおりの中の動物じゃないか。(32ページより)

以後、入退院を繰り返す著者は、「まるで万力で締められたような」腹と背中の痛みに耐えながらも、自身の現状を原稿に記しておこうと努力を続ける。というよりも、それは記者としての魂のあり方なのかもしれない。

例えば、再び入院するために家を出発する前、配偶者に息も絶え絶えの状態で「パソコンを病院に持っていって。電源も」と頼み込んでいる。

 異変は寝ながらおなかの上でパソコンを開き、翌日の原稿を書いているときに起きた。それなのにまだ原稿を気にしている姿に、配偶者は泣きそうな声で私の名前を呼んだ。あとで聞くと、「この人はこの場面もネタをキャッチしたと思っているんだろうな」と思っていたそうだ。 病院に到着し、激しく吐くと少し楽になった。「これで死ぬのかもしれない」。がんになって初めてそんな考えが頭をよぎる余裕が、ようやく生まれた。どうなるにせよ、自分の今の姿はとどめておこう。検査室に移動する前、私の写真を撮るよう配偶者に頼んだ。数枚撮ったところで看護師から「撮影禁止」を告げられた。 ならばよけいに文字で場面を再現できるようにするしかない。ストレッチャーで検査室へカラカラと運ばれながら、改めて白い天井をにらみ直した。 これまで通院や入院の際にストレッチャーで運ばれていく人を見ては心の中でつぶやいていたのを思い出した。「明日は野上(のがみ)」もとい「明日は我が身(わがみ)」か――。(49〜50ページより)

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