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サル山から見たポピュリズムの現在地

ニューズウィーク日本版 / 2019年5月28日 16時30分

「今さえよければいい」というのは「時間意識の縮減」のことである。平たく言えば「サル化」。「朝三暮四」のあのサルである。

古代中国の春秋時代、宋の狙公(サル回し)が貧しくなって、サルに朝夕4粒ずつトチの実を与えられなくなった。そこでサルたちに「朝は3粒、夕べに4粒ではどうか」と提案した。するとサルたちは激怒した。「では、朝は4粒、夕べに3粒ではどうか」と提案するとサルたちは大喜びした。

その点、人間でも未来の自分が抱え込むことになるかもしれない損失やリスクを「人ごと」と思える「当期利益至上主義」者は、このサルの同類である。「こんなことを続けていると、いつか大変なことになる」と分かっていながら、「大変なこと」が起きた後の未来の自分を人ごとと考え、つまり「自己同一性」を感じることができずに「こんなこと」をだらだら続ける人たちもサルに似ている。一連の企業不祥事はほぼ全てこのパターンで起きた。

「自分さえよければ、他人はどうでもいい」というのは「自己同一性の縮減」のことである。集団の構成員のうちで、自分と宗教が違う、生活習慣が違う、政治的意見が違う人々を「外国人」と称して排除することに特段の心理的抵抗を感じない人がいる。「同国人」であっても、幼児や老人や病人や障害者を「生産性がない連中」と言って切り捨てることができる人がいる。

何でも人ごとと捉える彼らは、自分がかつて幼児であったことを忘れ、いずれ老人になることに気付かず、高い確率で病を得、障害を負う可能性を想定していない。もちろん自分が何かの弾みで異国をさすらう身になることなど想像したこともない。彼らにおいては自己同一性が病的に萎縮している。私はそれを「サル化」と呼ぶのである。

ポピュリズムとはこの「時間意識」と「自己同一性」の縮減のことである。私はこれを文明史的な「サル化」趨勢のことだと思っている。「サルは嫌だ、人間になりたい」と思う人が出てこない限り、「サル化」は止めどなく進行するだろう。

<本誌2019年5月28日号「特集:ニュースを読み解く哲学超入門」より転載>


※6月4日号(5月28日発売)は「百田尚樹現象」特集。「モンスター」はなぜ愛され、なぜ憎まれるのか。『永遠の0』『海賊とよばれた男』『殉愛』『日本国紀』――。ツイッターで炎上を繰り返す「右派の星」であるベストセラー作家の素顔に、ノンフィクションライターの石戸 諭が迫る。百田尚樹・見城 徹(幻冬舎社長)両氏の独占インタビューも。



内田樹(神戸女学院大学名誉教授)


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