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今の韓国との関係は45年前の危機に比べればまだコントロール可能 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

ニューズウィーク日本版 / 2019年8月27日 16時0分

<金大中拉致から朴正煕暗殺未遂へと続いた流れで対日不信が高まった、74年当時の日韓関係を振り返って見ると......>

日韓関係が悪化しています。日本や韓国の多くのメディアは、日韓関係は最悪だという表現をしていますが、私は少し違うと思います。45年前の1974年に日韓が陥った状況は、この程度のものではありませんでした。

今回の危機は、いわゆる戦後補償の請求権の問題に始まり、それが貿易手続きの問題、さらには安全保障の問題と論点が重なってきています。その点だけ見れば、関係の悪化が深まっているように思われますが、74年の場合は違います。論点が重なったのではなく、関係を悪化させる事件が3つ重なり、そのために両国関係が完全に立ち往生したというのが74年の状況でした。

事件の1つ目は、その前年、1973年8月8日に発生した金大中事件でした。後に韓国大統領となって通貨危機を収拾することになる金大中は、この時47歳で野党のホープでした。軍事独裁政権を率いていた当時の大統領朴正煕は、1971年の大統領選挙で自分に対して猛追した金大中の存在に危機感を抱いていました。そこで、東京九段のホテルに滞在中の金大中を拉致し、殺害には失敗したもののソウルの自宅に軟禁したのです。

当時の日本の世論、特に左派の世論は朴正煕の軍事独裁政権を批判し、反対に金大中を民主化闘争の闘士として応援していました。その金大中が日本から非合法的に拉致されたことは、左派を中心とした日本の世論を憤激させたのでした。

この事件は日本にとって主権侵害にほかなりません。領土の中で誘拐事件という凶悪犯罪が行われたからです。それにもかかわらず、最終的には当時の田中角栄総理の判断で、「政治決着」がされました。つまり金大中をもう一度日本に戻して自由の身にするという「現状復帰」は断念され、実行犯の身柄引き渡しはウヤムヤにされたのです。結果として、日本の警察当局の中には「無念」の思いが残りました。

事件の2つ目は、民青学連事件を取材していた日本人ジャーナリストら2人の逮捕です。朴正煕大統領は、反政府運動に対して弾圧を強めており、1974年には学生の反体制組織である民青学連のメンバーを逮捕して、軍法会議にかけたのでした。その中に、日本人2人も含まれていたことで、左派を中心とした日本の世論は激怒したのでした。

そこへ3つ目の事件が起きました。1974年8月15日に、ソウルで朴正煕大統領の暗殺未遂事件が発生し、大統領は難を逃れたものの、流れ弾を受けた陸英修大統領夫人が死亡する事態となりました。犯人の文世光は在日韓国人でしたが、日本のパスポートで韓国に入国していたため、事件の第一報では日本人犯人説が流れるなど、韓国国内は混乱しました。

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