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差別から逃れるように暮らしていた? 戦前の日系人集落跡、カナダの森林で発見

ニューズウィーク日本版 / 2019年9月9日 18時35分

集落はフットボール場ほどの広さで、14戸ほどの小屋があり、貯水池から水が引かれていた。庭で野菜を育て、近くのシーモア川では魚が豊富に釣れたらしい。集落の北端にはヒマラヤスギで作られた台のように平らな場所があり、そこでは緑色のガラスを針金で合わせたちょうちんの一部らしきものも見つかった。ほとんどの日本人はこの場所を見て、神社だろうと口を揃えるという。

マックル教授は、年配の日本人女性が発掘作業に参加した時のことを振り返る。女性は、「お風呂はどこか」と聞いてきた。「ofuro」という単語をその時初めて聞いた教授は、それが日本の文化にとっていかに大切なものかや、日本人が住んでいたらなら風呂がないわけはないと聞かされた。最終的に浴場と思われる場所を発見するに至ったと同教授はノースショア・ニュースに話した。



大戦時の日系人抑留まで生活をしていた可能性も

スミソニアンによると、日本人によるカナダへの大規模な移住は1877年に始まり、多くの人が西海岸のBC州に身を落ち着けた。当時からアジア人への風当たりが強かったが、第2次世界大戦が始まると、差別は激化した。BC州によると1942〜1949年には、日系人2万2000人が同州内の太平洋沿岸地域から強制的に内陸部へと連行され収容された。

日系人が抑留されるようになる1942年までこの場所に人が住んでいたというマックル教授の仮説を裏付ける記録は何もないという専門家もいる。しかし料理用の高価なコンロが、まるで略奪されないよう隠すようにして置かれていたことや、ほとんどの物がほぼ損傷なく残されていたことから、同教授は、いずれにせよここに住んでいた人たちはかなり急いでこの場を後にしたのではないかと説明している。

バンクーバー周辺地域の飲料水を提供するグレーター・バンクーバー・ウォーター・ディストリクトはその後、この地域を立ち入り禁止とした。やがて集落は森林に覆い尽くされ、かつて日系人が隠れるように暮らした場所はさらに人目につかないようになっていったようだ。

日系カナダ人の抑留から75周年となった2017年4月には、BC州がこの場所を「日系カナダ人にとって歴史的に重要な場所」の一つに指定した。また、ノース・バンクーバー地区は2018年、マックル教授の功績を称えて「コミュニティ・ヘリテージ賞」(地域遺産賞)を授与している。






松丸さとみ


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