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21世紀の格差社会には「上流社会」がない...19世紀ウィーン富裕層の研究から現代が学べること

ニューズウィーク日本版 / 2023年11月15日 11時0分

その多彩さといい企業家の努力といい、一般には知られざる君主国経済の躍動の成果がウィーンに結晶したといえよう。

こうして豊かになった人々は、ウィーンの邸宅で従者に囲まれて暮らしていたのだ。

華麗な馬車や最新の自動車で街に繰り出し、時には豪華列車で保養地に向かう。日用品は格式ある店で用立て、何かを誂える際は百貨店の外商を呼び吟味する。社交の集まりでは着飾って談笑し、広い庭でパーティやスポーツを楽しむ。そして芸術家を励まし、慈善活動に寄付し、あるいは社会的組織を立ち上げる......。

だが、こうしたウィーンの上流社会は大戦後、儚く崩れた。君主国の解体と共に各地域は別国家となり、富裕層の資産や事業基盤は分断され、残った資産も戦後のハイパーインフレや新国家による課税で霧散したからである。

だが、彼らの栄華は決して歴史の徒花ではない。芸術遺産の存在は言うまでもないが、他にも例えば、彼らは後の消費社会の先導役を果たしたとザントグルーバーは指摘する。

百貨店は通行人にも開かれウィンドウショッピングの場となり、上流社会の生活を世間に知らしめ、特に中流層はそうした消費の文化を学んでいく。



ザントグルーバーは著書の最後で、当時と現代の富裕層の行動を比較し、隔絶された住居に住み、人知れずプライベートジェットで離島のリゾートに向かう現代の彼らの内向きの様子を、かつての富裕層の顕示的姿勢と対照させている。

元来ウィーンの上流社会は17、8世紀の宮廷社会に源流があり、そこでは貴族らは支配層の一員として顕示的に振舞い、時にはノブレスオブリーズ(支配者としての責務)を自覚してきた。そうした場の意味合いは19世紀末にも残っていた。だが、この伝統は絶えていった。

翻って現代の富裕層には、そう振舞う歴史的必然性のあるコミュニティはないだろう。つまり21世紀の格差社会は「上流社会」を持たず、所得で「富裕層」「中流層」などと曖昧に分類されるだけの個人主義的な、歴史的に全く新しい社会であるからだ。

こうした中からは、世紀末ウィーンのような文化が生まれはしないだろう。では、代わりに何が・・・・・・。

ザントグルーバーは現代については多くを語らないものの、以上のような歴史的観点から本書を読み解けば、私たちは現代の格差社会の歴史的特徴を見出すことができるだろう。

大塩量平(Ryohei Oshio)
早稲田大学政治経済学部卒、同大学大学院経済学研究科博士後期課程満期退学(2019年、博士[経済学]取得)。現在、立命館大学経済学部准教授。専門は近代オーストリア社会経済史。特に18世紀ウィーンの舞台芸術や劇場を対象に文化芸術の経済的あり方の歴史を研究。「18世紀後半ウィーンにおける劇場活動の社会経済史的分析」にて、サントリー文化財団2012年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」に採択。

 『Reich sein: Das Mondäne Wien um 1910(富裕であること : 1910年のウィーン上流社会)』
  Roman Sandgruber/ロマン・ザントグルーバー[著]
  Molden Verlag[刊]

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