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藤原道長の「権力」の源泉は、彼を取り巻く女性たちの力にあった...「後ろ盾」「身分」「生まれ年」の意味とは?

ニューズウィーク日本版 / 2024年3月2日 8時45分

  

このように倫子の娘たちは、いずれも天皇・皇太子に入内し、また彼女の産んだ男子が、道長の後継者となった。

対して、明子もまた道長との間に6人の子をもうけている。ただ、男子の初叙の位からその後の昇進、女子の結婚相手の身分においては、倫子との間に生まれた子供たちと明確な差があった。それゆえ、あくまでも倫子が正妻であり、明子はその次に位置する二番目の妻と考えられる。

さて、正式な婚姻関係にあった倫子・明子の他に、道長は平安貴族のご多分に漏れず、多くの愛人がいたとされる。藤原為光の娘である儼子(たけこ)と穠子(じょうし)は、姉妹で道長の愛人であったと考えられる。

儼子は花山上皇の寵愛を受けた女性で、上皇の崩御後には、道長の娘・姸子の女房となった。『大鏡』では道長の子を懐妊したとされているが、それが事実かどうか、また実際に出産にまで至ったのかどうかは定かではない。

また、妹の穠子については、『小右記』に道長の子を懐妊していることが記されている。妊娠18カ月を過ぎても出産に至らなかったことを考えると、想像妊娠の類であったと見られる。

また『尊卑分脈』からは、道長との間に男子を産んだ源重光娘との関係が窺い知れる。

本郷和人(Kazuto Hongo)
1960年、東京都生まれ。東京大学史料編纂所教授。東京大学・同大学院で石井進氏、五味文彦氏に師事し日本中世史を学ぶ。史料編纂所で『大日本史料』第五編の編纂を担当。

 『平安最強の貴族・藤原道長と源氏物語の謎』
  本郷和人[著]
  宝島社[刊]

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『紫式部日記絵巻断簡』

『紫式部日記絵巻断簡』 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

『紫式部日記絵巻断簡』 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

敦成親王の誕生50日を祝う儀式の場面を切り取って、掛け軸にしたもの。右側、背を向けている女性が中宮彰子。画面下の男性は彰子の父で、当時宮廷で大きな権勢を振るっていた藤原道長。

  

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