「悪が勝利するために唯一必要なことは、善人が何もしないこと...」盟友ナワリヌイ・父ネムツォフの意思を受け継いで
ニューズウィーク日本版 / 2024年5月10日 16時10分
ジャンナ・ネムツォワ(「自由のためのボリス・ネムツォフ財団・共同創設者」)
<邪魔者を全て抹殺するプーチンから祖国と自由と法の支配を守るため私は闘い続ける>
私の父、ボリス・ネムツォフ(ロシアのエリツィン政権で第1副首相を務めた)は2007年に『反逆者の告白』という本を出し、その序文で政界復帰を宣言した。
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が自国のために選んだ道、民主主義に背を向けて独裁制に向かう道は根本的に間違っている。何としても止めなければ──そんな思いに駆られたのだ。
当時、父の訴えに人々は耳を貸さなかった。ロシアに限った話ではないが、景気が良かったこともその一因だ。
私は05年に大学を出て資産運用会社で働いていた。当時ロシアの証券市場は活気に満ち、仕事は面白かった。私のごく普通の暮らしが激変するとは、思ってもいなかった。
転機となった出来事は2つある。1つは14年のクリミア併合。プーチンは越えてはならない一線を越えたと、私は思った。2つ目はその翌年、父が暗殺されたことだ。
当時、私は父に会って、クリミア侵攻で身の危険がかなり高まっていると思う、と忠告していた。国外脱出を真剣に考えてほしい、と。父は笑って言った。「本当に危なくなったら、そう言うよ」
父のレガシーを受け継ぐ
驚いたのは、クリミア侵攻をきっかけに国中が一気に愛国的熱狂に包まれたこと。このとき私はビジネス専門の民間のテレビ局RBCで働いていた。同僚たちは現代的で、西側寄りだったから、侵攻にも批判的だろうと思った。でも違った。「クリミア奪還」に万歳を叫ぶばかり。私は彼らの正気を疑った。
父が殺されたのは15年2月27日の真夜中。私はアパートで寝ていた。翌日一緒にイタリアに旅する予定だったので、その晩は母も私のアパートに泊まりに来ていて、母が携帯で友人から知らせを聞いたのだった。母は泣きながら私の部屋に入ってきて告げた。「たった今、あなたのお父さんが撃たれて亡くなった」と。
ロシアで起きる主要な政治的暗殺事件は全て、元をたどればプーチンに責任がある。父だけではない。アレクセイ・ナワリヌイも、アンナ・ポリトコフスカヤも、ほか何人も......。プーチンが認めなければ、殺されることにはならなかったはずだ。
父の暗殺後、私は祖国を去る決心をした。周囲からは「なぜ? 警戒しすぎじゃない?」などと言われた。
その後22年にロシアがウクライナに本格的に侵攻すると、何十万ものロシア人がろくに準備する時間もなく祖国から逃げだすことになった。
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