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和歌山カレー事件は冤罪か?『マミー』を観れば死刑判決の欺瞞を実感する

ニューズウィーク日本版 / 2024年7月4日 16時59分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

森達也
<死刑囚や司法関係者に取材を重ねてきた僕は、日本では冤罪がとても多いと実感している。和歌山カレー事件の犯人は林眞須美死刑囚だと思っているあなたには『マミー』を観て衝撃を受けてほしい>

今年9月26日に再審公判の判決が言い渡される袴田事件は、日本の刑事司法においては例外的な冤罪事案だとあなたは思うだろうか。僕はそうは思わない。オウムの死刑囚たちとの面会をきっかけに日本の刑事司法について考え始めた20年前から現在に至るまで、多くの死刑囚や司法関係者に取材を重ねてきたが、冤罪はとても多いと実感している。

理由の1つは、否認すると勾留が続く「人質司法」や機能していない再審制度、検察側が不利な証拠を提示しなくてもよいなどの司法制度の欠陥。もう1つは、検察や裁判所は決して間違えないとする無謬(むびゅう)性への強固な信仰と、メンツや責任回避を最優先とする組織論がとても強いこと。そして、悪は決して許さないと一方向に炎上しやすい世論とこれをあおるメディアとの相乗効果。和歌山カレー事件の裁判はこの典型だ。



もしもあなたが当時の報道をそのまま信じ込み、カレー鍋にヒ素を入れたのは林眞須美死刑囚に決まっていると思っているなら、絶対に『マミー』を観て衝撃を受けるべきだ。

林死刑囚がカレー鍋のそばにいたとする少女の目撃証言、林死刑囚の自宅で見つかったヒ素と鍋に残されたヒ素との同一性、そして林死刑囚が身内に対して日常的に行ってきたとされるヒ素を使った多くの違法行為――死刑判決を決めたこれらの状況証拠が、いかに脆弱で虚偽と欺瞞にあふれているかを実感するはずだ。

補足するが、林眞須美死刑囚が冤罪であると断言するだけの根拠を僕は持っていない。つまりクロかシロかは分からない。でもこれだけは言える。司法の大原則はデュープロセス(適正手続き)。彼女を被告人とした裁判は、これが全く守られていない。少なくとも、死刑判決を言い渡せる根拠はどこにもない。全くの空中楼閣なのだ。

調べれば調べるほどそれが明らかになる。なぜこれが看過されるのか。そのいら立ちと怒りを二村真弘監督は隠さない。捜査や裁判、報道に関わった者たちを執拗に訪ね歩き、問い詰め、ついに一線を越えてしまう自分をもスクリーンにさらす。その覚悟を僕も共有する。冤罪の恐ろしさは、罪なき人を罰するという過ちだけではなく、真犯人を取り逃しているということでもある。だからこそ再審制度の見直しは絶対に必要だ。

本作の重要な被写体である林眞須美の長男とは、これまで何度か話している。彼の案内で、林死刑囚の夫(つまり彼の父親)である林健治さんが1人で暮らすアパートを訪ねたこともある。ヒ素を使った詐欺事件の容疑者として逮捕されながら、林眞須美を死刑にするために被害者の1人にされた健治さんは、出所後に脳出血を発症して今は車椅子で過ごしている。

その第一印象は当時の報道の印象とは真逆だ。とても饒舌でチャーミング。事件について、警察や検察の捜査や取り調べについて、妻である眞須美の冤罪を訴える根拠について、ほぼ半日話を聞いた。

途中で訪問介護員がケータリングの夕食を運んできた。礼を言ってお暇(いとま)しようと立ち上がった僕の横で夕食のラップを外した健治さんは、一瞬の間を置いてから大きな声を上げた。「カレーや!」

『マミー』(8月3日公開)
©2024digTV
監督/二村真弘

<本誌2024年7月9日号掲載>



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