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「地味な男」スターマーが勝った英国...14年ぶりの政権交代も目指すのは「地味な安定」?

ニューズウィーク日本版 / 2024年7月8日 15時28分

かつてブレア政権を支えた人材の一部を、スターマーは陣営に招き入れている。ブレア本人とも相談しているらしい。

スターマーはこう言っている。「97年当時のことについては、よく彼と話している。選挙に勝ち、わが党を野党から与党へと変身させた立役者の話には、もちろん興味があるからね」

テレビでインタビューを受けた際には、労働党は選挙に強くないという点を強調していた。第2次大戦以降、労働党が保守党から政権を奪取できたのは3回のみだった。45年と64年、そして97年だ。

ブレアもスターマーも、こうした過去の記憶を引きずっている。イギリスは基本的に保守の国、保守党の国だと信じている。

だからスターマーは公約を最小限に切り詰め、私立学校への税優遇廃止や、光熱費削減のための公営エネルギー会社の設立、労働者の権利の(最低限の)拡大などにとどめた。

環境問題や子供の貧困問題に関する急進的な政策は、早い段階で骨抜きにされた。ブレグジットとそれがもたらした損害については、ほとんど何も語らなかった。

戦術は単純だ。要は「寝た子を起こすな」。政治、経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)には口を出さず、やりたいことはこっそり、目立たないようにやればいい。

ブレアは国民保健サービス(NHS)や教育、公共交通機関、社会福祉などの抜本的な改革を主導した。だが、そのために行った投資を華々しく宣伝することはなかった。

おそらく、比較の対象は60年代のハロルド・ウィルソン政権がふさわしい。ウィルソンは第2次大戦後に選挙で勝った3人の労働党党首の1人。64年から70年までの6年間、彼は実務的な顔をしながら急進的な政策を推し進めた。

一方のブレアは、内政よりも国際舞台で派手に動いた。EU首脳会議では堂々と議長を務めた。アメリカとは歩調を合わせ、9.11テロ後のアフガニスタン侵攻を支援するよう、パキスタンのパルベズ・ムシャラフ大統領やロシアのウラジーミル・プーチン大統領の説得に当たった。

変化よりも安全が重要

当時のイギリスはスパイス・ガールズや「クールブリタニア」の時代で、もっと楽観的だった。ブレアのイギリスは、自由民主主義と自由市場が手を取り合って歩み、反抗的な独裁者たちのやり方は間違っていると確信していた。

あれから20年。新型コロナのパンデミックを経て、暗い時代はさらに暗くなった。欧州でも中東でも戦争が続き、気候変動対策の目標は達成できず、ポピュリズムの言説がまかり通り、一部の国では政権を握った。

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