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成熟は幻想、だから『ボクたちはみんな大人になれなかった』の感傷を共有する

ニューズウィーク日本版 / 2024年7月27日 16時28分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

森達也
<いくら年を重ねても人の中身はほとんど変わらないと、誰もがいつか気付く。だからこそ過ぎ去りし日々が重なる『ボクたちはみんな大人になれなかった』にひとごとではいられないはずだ>

ポスターに記されたこの映画のキャッチコピーは「あの時も、あの場所も、あの人も、すべてがいまの自分に繋がっている」。

そんなの当たり前じゃん、とあなたは思うだろうか。僕もそう思う。でも同時に、(もうこの年になると)このフレーズの意味をしみじみと実感することも確かだ。

幼稚園児の頃は小学生たちがすごく年上に見えた。小学生になったときは中学生が大人に見えた。高校生になったら大学生のお兄さんやお姉さんたちが落ち着いて見えた。そして大学生になったら、卒業して髪を切って就職した先輩たちのように自分も早く成熟したいと考えた。



やがて気付く。いくら年を重ねても、人の中身はほとんど変わらないのだと。まだ10代の頃に、還暦を過ぎて週刊少年ジャンプを読んでいる自分の姿など想像もしなかった。

趣味嗜好と同様に、性格もほとんど変わってない。成熟は幻想だ。もちろん体験量は増えたから、多少は狡ずるくなったかもしれない。でも逆に言えばその程度だ。

これは僕だけなのか。たぶん違う。俺はこんなに成長したと胸を張る人は少ない。というか会ったことがない。ある程度の年齢に達したとき、誰もが同じ思いを抱くはずだ。だからこそ過ぎ去りし日々が重なる『ボクたちはみんな大人になれなかった』を観ながら、ひとごとではいられない感覚になってしまう。森山未來演じる主人公の「ボク」がテレビ業界で仕事を始め、その後執筆を仕事にしたことにも、似たような経歴である僕はひとごとではないとの感覚を喚起されたのかもしれない。以下、公式パンフレットから引用する。

「1995年、ボクは彼女と出会い、生まれて初めて頑張りたいと思った。"普通"が嫌いな彼女に認められたくて、映像業界の末端でがむしゃらに働いた日々。1999年、ノストラダムスの大予言に反して地球は滅亡せず、唯一の心の支えだった彼女はさよならも言わずに去っていった。そして2020年。社会と折り合いをつけながら生きてきた46歳のボクは、いくつかのほろ苦い再会をきっかけに、二度と戻らない"あの頃"を思い出す......」

世代は一回り以上違うけれど、95年の地下鉄サリン事件が人生の大きなターニングポイントになった僕にとっても、この感傷は共有できる。あの頃はスマホもSNSもなかった。伊藤沙莉演じるカオリとボクとの出会いは雑誌の文通欄だ。でも彼女は去ってゆく。その後もボクは、多くの人を傷つけ、傷つけられ、出会い、そして別れる。体験量が増えるということは、喪失する量も増えるということだ。人の中身はほとんど変わらないと書いたけれど、失うことのつらさと寂しさは、映画のボクもこの原稿を書いている僕も、昔はきっと気付いていなかった。

......今回の原稿は、極めて個人的な思いが色濃いレビューになってしまった。でも世代は違っても、普遍性はきっとあるはずだ。

主演の2人以外にも、俳優たちはみな素晴らしい。1つだけ難を挙げる。ボクにとって最も重要な存在であるはずのカオリの輪郭が希薄すぎる。理由の1つは登場が遅すぎるからだ。時間軸をカットバックするなど、構成で工夫できたと思う。

『ボクたちはみんな大人になれなかった』(2021年)
監督/森義仁
出演/森山未來、伊藤沙莉、東出昌大、SUMIRE

<本誌2024年7月30日号掲載>

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