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イスラム教の問題作『悪魔の詩』の作家が自叙伝を発表「自由という理想の火を消してはいけない」

ニューズウィーク日本版 / 2024年8月29日 14時50分

独立後のインド、それもボンベイで生まれ育った私たちにとって、ラシュディが1981年に発表した小説『真夜中の子供たち』は衝撃だった。あれを読んで、ああ英語は自分たちの言語なんだと感じた。外国語じゃない、英語は自分たちの言語なのだと。

筆者は1983年に、初めてラシュディに会った。『真夜中の子供たち』でブッカー賞を受賞した彼がインドに凱旋したときのことだ。ところがインドは他国に先駆けて、1988年に『悪魔の詩』の輸入を禁止した。事実上の発禁処分。なぜだ、と私たちは思った。

ニューヨーク州での講演中に襲撃されたラシュディ(2022年8月) AP/AFLO

「20億人に憎まれている」

『悪魔の詩』ほど想像力に富む小説はめったにない。両義性や自我の分裂といった問題に真正面から取り組んでおり、そこでは天使が悪魔に、悪魔が天使にもなり得る。実に多層的な作品だ。

主人公となる2人の男は、乗っていた飛行機が爆発し、なぜかイギリスの地に降り立つ。その一方は正気を失い、自分が偉大な教えの預言者だと思い込む。そして幻覚の中で神の声を聞くのだが、いくつかの言葉は悪魔に吹き込まれたものとして拒絶する。イスラムの歴史に出てくる逸話を下敷きにしており、思索的な可能性に満ちている。

作中で、この人物は問いかける。

「おまえは妥協し、取引し、社会に順応して自分の居場所を見つけて生き残るのを選ぶタイプか。それとも強情で血の気が多く、吹き付ける風になびくよりもあらがって折れるのを選ぶタイプか。99回は粉々に打ち砕かれたとしても、100回目には世界を変えるようなタイプか」

この反逆精神こそがラシュディの真骨頂だ。『悪魔の詩』がたたえるのは移民であり、社会の周縁に追いやられた人々であり、異国の地に流れ着いて異質な規範を受け入れざるを得なかった人々だ。

あのファトワは究極の試練だった。ラシュディには、改心して無難でシンプル、誰をも傷つけない作品を書く道もあった。芸術家であることを追求するのをやめ、恐怖に屈してリスクを避ける道だ。あるいは復讐をもくろみ、怒りに満ちた作品を書く道もあったはずだ。

だが、いずれの道を選んでも、ラシュディ自身が選んだ語り部としての道からは遠ざかることになっただろう。「私が自分の意思で成し遂げた最高に偉大な行為の一つは、自分の作品の方向性が(ファトワのせいで)ぶれないように努めたことだ」。ラシュディはそうも言っている。

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