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原発問題への変節、河野氏と立憲民主党を比較する

ニューズウィーク日本版 / 2024年9月5日 21時0分

河野太郎デジタル相も自民党総裁選への出馬を表明した Issei Kato-REUTERS

冷泉彰彦
<下野した後、原発ゼロに大きく振れた立民党にくらべて、河野氏は徐々に容認へと傾いたように見えるが>

河野太郎氏の原発問題に対する姿勢は、まず2011年の福島第一原発事故に際して、ほぼ毎日のように変わる事故の状況を丁寧にブログで解説していたのが原点だと思います。内容は常識的なもので、1号機から3号機は事故当初は冷温停止に失敗、4号機も別の理由で水素爆発を起こしたわけですが、その経緯を有権者によく噛み砕いて説明していたと思います。

あの頃は、このままでは東日本には人が住めなくなるとか、プルトニウムが爆発した青い閃光を人工衛星が捉えたなどといったデマも飛び交っていましたが、河野氏のレポートは極めて常識的でした。その後、事故の際の賠償コストなどを考えると合理的でないなどの理由から、原発依存に対して河野氏は否定的なメッセージに傾斜していきました。ですが、そこに特に飛躍もなかったし、否定的と言っても感情論ではなかったと記憶しています。

ですから、その後に閣僚になったり、総裁選に立候補した際に「反原発を封印した」という報道が出た際にも、特に違和感はありませんでした。感情論から極端なことを言ったり、票欲しさに有権者に迎合したのとは違うからです。2011年当時にはあれだけ詳しく事故の経緯を説明していたのですから、リスクを理解したうえでの判断であり、またエネルギー多様化の中での現実論としての容認だと理解できます。容認ではあっても積極推進ではなかったということもあります。

一方で、原発問題に関する「変節」ということでは、立憲民主党のほうは河野氏とは比べ物にならないほどの、振幅の幅がありました。まず、2011年の福島第一の事故の以前は、当時の民主党の菅直人内閣は「成長戦略」の一環として、また「排出ガス抑制」の切り札として、原発推進に極めて積極的でした。ベトナムやトルコへの原子炉輸出は、総理自身が指揮をしていました。

民主党の大きな変節

その菅直人首相は、福島第一の事故に際して東電本社に乗り込むとパワハラまがいの怒声を浴びせたとされています。感情的になったり怒鳴ったりというのは、全く感心しません。ですが、菅氏としては最悪の事態を避けるように対処せよというメッセージを出していたわけで、事実認識として間違ってはいないし、首相としての態度として理解できます。

また、現在、立憲民主党の党首選挙に手を挙げている枝野幸男氏は、事故当時は官房長官として、時々刻々と変化する情勢を国民に丁寧に説明していました。それは、事故への対応にとどまらず、電力の不足による計画停電の実施など、日本のエネルギー需給事情を政府を代表して語るという責任感を感じさせるものでした。

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