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強権政治家、故フジモリ大統領を礼賛した日本社会のリーダー像

ニューズウィーク日本版 / 2024年9月26日 16時0分

フジモリの決断は日本でも称賛されたが(写真は1997年4月) MARIANO BAZOーREUTERS

河東哲夫
<「世の中の全ての問題を有能な政治家が1人で解決できる」と考えるのは有害な妄想だ>

9月27日に自民党総裁選が投開票される。政治資金問題と違って、総裁選は面白い。世の中は各候補者の人格や「政策」を論ずるのに夢中だが、本当は党所属の国会議員と約110万の党員・党友しか投票権のない「なんちゃって民主主義」だ。それに、この総裁選では次の総選挙で自民党の「顔」として選挙民に受けがいい人物が選ばれる。民主政治のリーダーを選ぶというより、茶の間での受けのいいタレントを選ぶ「ノリ」だ。

そんななか、9月11日にペルーのアルベルト・フジモリ元大統領が亡くなった。彼は両親が熊本生まれ。スペイン人が先住民を虐殺して建国したペルーで、色濃く残る人種差別を克服し、既成政党の枠外で権力を獲得した。国有資産売却などの改革を断行し、既得権益を打破した剛腕政治家だ。自分の政党が少数議席しか占めていない議会を無力化し、テロは実力で抑え込んだ。

独裁的権力確立のただ中、1996年12月17日、首都リマの日本大使公邸でのレセプションを14人のテロリストが襲い、600人余りを人質に取った時も、すぐ武力で大使公邸に突入する準備を始めた。当時は日本でも果断で鳴る橋本龍太郎氏が首相だったから、フジモリの作戦を支持すると思っていたら、彼は人命を最重視して武力行使を執拗に引き止める側に回った。

しかし、問題の長期化を嫌ったペルー当局は武力制圧に乗り出す。ペルー軍・警察の特殊部隊が、ひそかに掘ったトンネルから公邸に突入。テロリストを全員射殺して、人質1人の命が失われたものの、71人の解放に成功した。

強い力はいつも正しいわけでない

日本は最後まで、フジモリに武力行使するなと申し入れていたが、多分ポーズだろう。作戦成功後に抗議することもなく、日本国内もフジモリ礼賛で盛り上がった。武力行使すれば人命軽視と言ってたたき、静観していれば無能だと言ってたたく。世論も分裂しているから、こういう図式になる。

社会で不満を抱える層は、「強いリーダー」が悪者を成敗し、自分たちの願いをかなえてくれることを求める。安倍晋三元首相がそうだった。青年層は、異次元の金融緩和で円安を実現し、就職事情が改善されたことに大いに感謝した。その後の政権が落ち着かなかったのは、安倍元首相ほどの「熱」を感じさせなかったからだろう。

しかし強い力は、いつも正しいわけではない。フジモリはその後、強権政治と側近の腐敗が反発を呼ぶなか、2000年11月に日本へ事実上亡命。議会により罷免された。安倍政権も退場後は、旧統一教会との関係、野放図な政治資金の扱いなどの問題が表面化した。そして首相官邸の権力強化で、これまで政策決定の多くを担ってきた官僚たちは意欲を喪失。気概を持つ者は入省早々、退職していく。

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