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現代人は輪廻から逃れたい「釈迦」に似ている?...2500年前の仏教に「いま」可能性を感じる理由

ニューズウィーク日本版 / 2024年12月4日 11時2分

韓国の尹錫悦大統領は4日、3日夜に発令した戒厳令を解除する方針を発表した。同日撮影(2024年 ロイター/Kim Hong-Ji)

ホンダ・アキノ(編集者) アステイオン
<「釈迦の推し活」に励む古舘伊知郎氏、AIブッダボットの開発、寺院のYouTube配信...。変わりゆく世界を生きる中で感じた「釈迦の仏教」の可能性とは> 

「釈迦の仏教が漢方薬だとしたら、大乗仏教はりんごジュースです」と語るのは40代で「釈迦の仏教」に目覚めた「喋り屋」古舘伊知郎さんである。

その古舘氏と「仏教学の第一人者」佐々木閑氏の共著、という組み合わせにそそられて『人生後半、そろそろ仏教にふれよう』を読むうちに、仏教の柔軟性と、そこにみる新たな可能性について思い巡らすことになった。

浄土宗や日蓮宗や禅宗など日本人が親しんでいる大乗仏教と、約2500年前にブッダがはじめた初期の仏教、いわゆる原始仏教とは、じつは教えがずいぶん異なる――たとえば修行によって煩悩を除き、悟りをひらいて涅槃に至ることを目指した釈迦の仏教に対して、大乗仏教では一切衆生が生まれながらに仏となれる素質をもっていると説く――のだが、本書では誰もが老・病・死に向き合わねばならない人生の後半に、釈迦の仏教こそが穏やかに生きるヒントをくれる、という主張がさまざまな切り口から語られる。

「釈迦の推し活」を自認する古舘さんは、仏教への深い造詣や飽くなき向学心を巧みな喋りの端々に滲ませる一方で、やっぱり死が怖い、自我や欲が強く煩悩の極みでブレまくっている、仏教を語り過ぎて友人が離れていく......などと嘆きながら、しかし、なぜか切実さは感じられない。

どうも仏教についてあれこれ喋る、いわば「仏教する」ことの醍醐味を満喫しているようでもある。悟りを求めたり、どれが正しいとか間違っているとか決着をつけたりする目的はそこにはなさそうだ。

なにやら二人で仏教するライブの実況中継で、チケット代(本代)に十分見合う刺激に満ちたトークを楽しませてもらった感もある。

こういった対話ならではの妙味は、意図せず仏教のおおらかさを浮き彫りにする。絶対唯一の神をもたない仏教は、キリスト教の聖書やイスラム教のクルアーンなどと違い、経典も数えきれないほどある。

また日本の仏教は、大陸からの受け入れや分派を経て何十もの宗派に分かれており、それだけに解釈やアレンジの余地も大きい。

この点は危険と隣り合わせで要注意ではあるが、これほど間口が広く、寛容な宗教も珍しいのではないか。「釈迦の推し活」という立場を手にしてあんなに熱中して喋ることができる古舘さんは、すでに半ば救われているのではとさえ思えてしまう。

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