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ノーベル文学賞受賞ハン・ガン「死者が生きている人を助けている」 ソウル市などの図書館は異例の「特別赦免」を実施

ニューズウィーク日本版 / 2024年12月10日 21時25分

スウェーデン・アカデミーで講演するハン・ガン REUTERS

ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
<世界的に有名になった彼女は8歳のときから作家だった>

2024年のノーベル文学賞を受賞した韓国人作家韓江(ハン・ガン)は、12月7日午後5時(現地時間)、スウェーデン・アカデミーで記念講演を行った。折しも韓国では尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領による戒厳令による混乱が起きたばかりだったが、彼女は講演の中で、1980年の光州事件を扱った著作「少年が来る」について多くの時間を割いて語った。韓国メディア聯合ニュース、朝鮮日報、イーデイリーなどが報じた。

9歳まで光州で生まれ育った「書く人」

「愛ってどこにあるんだろう? / ぴょんぴょん跳ねる私の胸の中にある。// 愛って何だろう? / 私たちの胸と胸の間をつなぐ金糸だよ」

「光と糸」と題された講演は、彼女が1979年4月、8歳の時に書いた詩を偶然見つけたエピソードから始まった。彼女は「昨年1月、引越しのために倉庫を整理して古い靴箱が出てきた」と語った。「その8才の子供が使った単語のいくつかが、今の私とつながっていると感じた」と話した。14年が経って22歳になったとき、彼女は「書く人」になり、5年後に初の長編小説「黒い鹿」を発表した。

ハン・ガンは長編小説を書くたびに質問の中に住みながら「質問の最後にたどり着く時、小説を完成することになる」と回想した。彼女は人間の暴力と愛、生と死に対する根源的な「質問」がドミノのように続き、新しい作品に進んだ。

彼女の「質問」は光州民主化運動の被害者の話を扱った「少年が来る」(2014)を執筆した際に頂点に達した。9歳のときに引っ越すまで光州で生まれ育った彼女は、2012年の冬、光州事件の犠牲者が眠る墓地に行き、「正面から光州を扱う小説を書くと決心した」という。「そこで虐殺が起きた時、私は9歳だった」と回想した。彼女は光州だけでなく世界で行われてきた虐殺の記録を隅々まで調べた。そうして誕生したのが代表作「少年が来る」だった。ノーベル委員会が選考理由の第1順位に挙げた作品は、歴史の真ん中に立った個人の苦痛と内面を繊細に描いた。

光州は一つの都市ではなく普通名詞になる

「その時期に私が思い出したりした2つの質問がある。『現在が過去を助けることができるのか?』『生きている者が死者を救うことができるのか?』。この小説をこれ以上書くことができないとほとんどあきらめた時、ある若い夜学教師の日記を読んだ。 1980年5月、軍人たちが戻ってくると予告された夜明けまで道庁のそばのYWCAに残っていて殺害されたパク·ヨンジュンは最後の夜にこのように書いた。『神様、どうして私には良心があってこんなに私を刺して痛くするのですか。私は生きたいです』」

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