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魯迅なら今の日中関係をどう見るか

ニューズウィーク日本版 / 2024年12月12日 18時0分

シリアで殺害されたジャーナリストのコルビンらの写真を掲げてアサド政権批判とシリア国民への支援を訴えるデモ参加者(2012年、パリ) ABD RABBO AMMAR/ABACA-REUTERS

周来友(しゅう・らいゆう)(経営者、ジャーナリスト)
<日本にゆかりのある中国の文豪、魯迅。厳しい日中関係の中、留学120周年を記念する式典が行われたが、魯迅の精神は受け継がれているのか。中国に「良くない」印象を持つ日本人は89%、日本に「良くない」印象を持つ中国人は88%というのが今の現実だ>

孫という名字の中国人の中に、時折「私は孫文の子孫です」と言う人がいる。するとお人よしの日本人は「え、そうなんですか!」と疑いもなく信じてしまう。この手の自己紹介は、プライドが高く、自分を大きく見せたがる中国人ならではといえるだろう。

私はといえば、「もしかして周恩来の子孫ですか?」と聞かれることが多い。名前が1文字しか違わないからだが、そんなときは「関係ありませんよ。800年前なら家族だったでしょうけど」と冗談交じりに返す。それぐらいさかのぼれば、中国の初代首相ともつながっているだろう。

ただ、ひょっとすると、こちらの著名な周さんとは本当につながりがあるかもしれない。

その人の名は周樹人。私と同じ浙江省紹興市出身の魯迅(1881~1936年、写真)のことだ。「阿Q正伝」や「狂人日記」などの名作を残し、日本でも名の知れた文豪である。その魯迅がかつて仙台にある医学専門学校(現在の東北大学医学部)に留学していたことは皆さんもよくご存じだろう。

10月末、魯迅の仙台留学120周年を記念する式典が開かれた

1902年に訪日した魯迅は、東京で日本語を学ぶと、04年に仙台で医学生としての生活をスタートさせた。恩師となる解剖学者、藤野厳九郎と出会ったのもこの場所だ。2人の関係は魯迅の小説「藤野先生」を通じて中国で広く知られ、国境を超えた師弟愛として語り継がれている。

その仙台で2024年10月末、魯迅の仙台留学120周年を記念する式典が開かれた。私も見学させてもらったが、ゲストとして魯迅の孫である周令飛さんらが招かれていた。

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魯迅には仙台留学中、文学を志すようになるきっかけがあった。中国人がロシア軍スパイとして日本軍に処刑されるスライドを見て、そこに映る周りの中国人が何の反応も見せなかったことに衝撃を受けたのだ。医学では国民を覚醒させることはできない、それができるのは文学だ──そう考えるようになり、文学への転向を決意した。

もっとも、転向の理由はもう一つあったらしい。東北大学の研究者によれば、難しい日本語での講義に加え、医学用語のドイツ語が足を引っ張り、授業についていけなくなったのだろうという。

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