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お金は貸し放題ではなかった...江戸時代の銀行業の驚くべき「信用調査の技術力」

ニューズウィーク日本版 / 2024年12月13日 13時5分

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萬代 悠(法政大学経済学部准教授) アステイオン
<浪費癖から不誠実な人柄まで、詳細に記された信用調査書こそが、従業員たちの重要な業務マニュアルだった...。第46回サントリー学芸賞「政治・経済部門」受賞作『三井大坂両替店──銀行業の先駆け、その技術と挑戦』の「受賞のことば」より> 

三井大坂両替店は、現・三井グループの元祖である三井高利が元禄4年(1691)に開設した総合金融機関で、当初は幕府公金の送金を担当する店舗として設置されました。

しかし、多額の幕府公金を一時的に預かり、それを融資に転用できる役得から、金融取引を拡大し、民間相手としては江戸時代最大級の金融業者に成長しました。

驚くべきことに、三井大坂両替店については、享保17年(1732)から明治2年(1869)までの138年間、3,825人もの顧客の信用情報(担保や年齢、家族構成、人柄、家計状態)を書き留めた記録があります。

三井大坂両替店では、顧客から借入の申し込みを受けると、若手の従業員が顧客の隣人や親類、取引先にまで聞き込み調査をし、上司に報告する形をとっていました。この報告書が現存する信用調査書です。

信用調査書を読み解き、目を引かれたのは、顧客の人柄が調査された例が多くあったことでした。

浪費癖や遊び癖、あるいは取引や付き合いのうえでの不誠実さが顧客にあれば、詳細に記録され、ほとんどの場合、三井大坂両替店はそのような顧客に融資しなかったのです。もちろん、担保や家計状態に大きな問題があると判断すれば、原則として融資を断りました。

私は当初、三井大坂両替店がここまで顧客を選別していたことをまったく予想していませんでした。なぜなら幕府公金を扱う三井大坂両替店は、顧客からの返済停止が発生しても、返済を請求する訴訟を起こせば、幕府が顧客に対して優先的かつ迅速に返済命令を下してくれたからです。

これだけ債権保護が強力なのだから、貸せるだけ貸していたのではないか、というのが当初の私の認識でした。

しかし、信用調査書との出会いが私の認識を大きく変えました。結論からいえば、法制度によって厚く保護されていたとしても、三井大坂両替店は信用調査に労力を費やし、返済停止につながる可能性のある顧客を極力排除しようとしていたことがわかりました。

しかも、従業員たちは、見込みがない顧客に対しても「今後のため」として信用調査を実施し、詳細に記録していました。これは後継の従業員たちにとって重宝したはずで、信用調査書自体が業務の手引き書として機能していたことがうかがえます。

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