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大河ドラマ『べらぼう』が10倍面白くなる基礎知識! 江戸の出版の仕組みと書物の人気ジャンル

ニューズウィーク日本版 / 2025年1月8日 11時10分

人口も増大し、一大経済都市として発展した江戸では、やがて庶民たちの欲望を満たすために多種多様な出版物が、地本問屋を中心に作られることとなった。早くも延宝(えんぽう)年間(1673〜81)には、松会三四郎(まつえさんしろう)が出版業に着手。幕府の御用書肆ながら、浮世絵の祖である菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の絵本類などを刊行し、独自の出版活動を行った江戸の地本問屋の先駆けであった。

その後、江戸の書店の代表格ともなった鶴屋喜右衛門(つるやきえもん)もまた、錦絵や草双紙、読本(よみほん)や富本正本(とみもとしょうほん)などを取り扱う地本問屋として活躍、幕末まで続く大版元となった。鶴屋と並んで、その後、江戸の地本問屋として影響力を持ったのが鱗形屋孫兵衛や山本九左衛門(やまもときゅうざえもん)らであった。鱗形屋孫兵衛は、寛永期(1624〜44)に始まる鱗形屋三左衛門の後継で、草双紙や評判記、吉原細見などを多種多様な書物を出版した。山本九左衛門もまた鶴屋・鱗形屋に劣らぬ地本問屋で、浮世絵や草双紙の出版を手がけた。

蔦重と関係の深い鱗形屋は、1775(安永4)年に使用人が起こした重板事件で処罰を受け、天明年間には衰退の一途を辿った。当時の版元の間では、個々の書店の利益を守るために、重板(同じものを出版すること)や類版(類似したものを出版すること)はしないことがルールであった。しかし、手代が大坂(現・大阪)の版元の出版物を改題して出版してしまい、鱗形屋が訴えられ罰金刑を受けたのだ。しばらくは通常の出版もままならなくなり、その間隙を縫って、一躍、表舞台に登場したのが、蔦屋重三郎であった。

江戸時代の本の制作工程

当時、大量に生産された出版物は、浮世絵も含めて木版摺が基本である。当時の整版(製版)は、作者の草稿や下絵をもとにして、彫師が一枚板に彫り、印刷するというものだった。板には梓(あずさ)か桜の木が好まれたという。

例えば、絵本制作の工程を簡単に説明すれば、次のようになる。

まず、最初に版元から作者に執筆の依頼が行き、作者は草稿を書き上げる。絵の指定もこのときに行われる。その後、絵師が絵組を作り、筆耕(ひっこう)が本文や詞書を清書する。これが板下(はんした)となる。この段階で、作者が校正したり、書き改めたりもする。訂正を加えた版下を用いて、彫りの作業へと入っていく。版木に版下を裏返しに貼り付け、彫師が彫刻する。これが木版用の版木となる。次の工程が印刷である。墨が滲むの防ぐために、礬水引(どうさびき)と呼ばれる加工を和紙に施す。版木に墨を塗り、和紙をのせて、バレンで擦って印刷する。版木を作る際に彫り損じがある可能性も鑑み、最初は試し刷りをして作者に確認してもらう。校正の結果、部分的な修正が必要な場合には、入木(いれき)(埋木)で修正をし、あらためて印刷を行う。その後、製本すれば、完成となる。できた商品は、本屋の店頭や行商、貸本屋などに運ばれ、販売される。

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