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内戦勃発から13年...シリア政権スピード崩壊の背景に「独裁者アサドの猜疑心」

ニューズウィーク日本版 / 2024年12月18日 15時8分

兵員数からすれば9軍編成も可能だったが、各軍のトップに据える信頼できる人物が5人しかいなかったからだ。

各軍の横の連携も取りづらくした。そのため内戦勃発まで、さらにそれ以降も、政府軍は編成のまずさと連携の欠如にたたられ続けた。

指揮官同士が口論し、部隊によって戦闘目標が食い違うため、兵士たちは上官の命令に従わず、勝手に判断する始末。上級将校同士が取っ組み合いのけんかをし、銃を撃ち合うこともあった。

引き倒されたハフェズ・アサド像 MURAT SENGULーANADOLU/GETTY IMAGES

内戦勃発後にバシャル・アサドが反政府派を抑え込めなかった理由はほかにもある。

各軍の情報機関の管轄が重複し、情報が共有されず、市街戦の訓練が不十分だったことなどだ。

アサドは長年にわたり自分の属するイスラム教アラウィ派の兵士を優先的に上位の階級に昇進させてきた。そのため政府軍の多数を占めるイスラム教スンニ派の兵士の間では不満がくすぶっていた。

中東全域を揺るがした民主化運動「アラブの春」がシリア各地に広がったとき、アサドが真っ先に心配したのは、デモ参加者の声を聞いて兵士がそちらになびくことだ。そうなればデモの鎮圧どころではなくなる。

そのため特に忠誠心が疑われる部隊には外出禁止令を出し、兵士が市民と接触しないようにした。加えて少しでも反抗的な態度が見られた兵士や将官は片っ端から拘束し、拷問するか銃殺刑に処した。

こうした荒っぽい統制により内戦初期には兵士の大量脱走を防げたが、戦闘の最中に個々の兵士、あるいは小隊が丸ごと戦線離脱するケースが相次いだ。

兵士たちが非武装のデモ参加者に容赦なく銃口を向けるよう、軍上層部はユニークな策略を編み出した。

デモ隊と対峙する政府軍部隊の後方に狙撃兵を配置し、市民を銃撃することをためらう兵士がいたら即座に銃殺し、見せしめにするのだ。

アサドは忠誠心が疑わしい部隊が反政府派に寝返ることを恐れるあまり、使えるはずの戦力のほんの一部しか実戦に回さなかった。これではシリア各地で起きている反乱を一気に鎮圧することは不可能だ。

自力では初めから勝ち目なし

当初、政権側は特定の都市に集中的に部隊を投入し、一定の成果を上げた。だがこの方式では反政府派は政府軍の守りが手薄な地域に逃れ、次の攻撃に備える。

結果、政府軍が一つの都市を制圧しても別の都市が奪われ、モグラたたきのようになる。

こうした非効率的なやり方に指揮官が少しでも口を挟もうものなら、自宅軟禁されるか、ひそかに連れ去られて始末されるのがオチ。軍隊内には相互不信が渦巻き、将官たちは密告合戦を繰り広げるようになった。

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