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西洋音楽から浪花節まで、戦前の日本人は「サイレント映画」で多彩な音に出会っていた...「音文化の拠点」としての映画館

ニューズウィーク日本版 / 2024年12月27日 11時5分

Andrzej Rostek-shutterstock

柴田康太郎(早稲田大学総合人文科学研究センター次席研究員) アステイオン
<明治中期から昭和初期にかけて、東京の映画館ではどんな音が鳴り響いていたのか──第46回サントリー学芸賞「社会・風俗部門」受賞作『映画館に鳴り響いた音──戦前東京の映画館と音文化の近代』の「受賞のことば」より> 

喜劇役者の古川緑波から政治思想史研究者の丸山眞男まで、戦前の映画館に通った人々の回想録を見ていると、サイレント時代の映画館で西洋音楽に親しんだことを回顧し、その重要性を強調する言葉に出くわします。

当時は映画館に雇用された楽団が映画の伴奏音楽を生演奏し、上映の合間の余興演奏も行なっていました。映画観客は映画館の生演奏で西洋音楽を楽しんでいたようです。

しかしサイレント時代の映画館に響いたのは西洋音楽だけではありません。上映時には弁士の語り、さらには囃子鳴物、義太夫、琵琶歌、浪花節といった多彩な日本の音楽が響いていました。大正後期には日本音楽と西洋音楽を組み合わせた和洋合奏の独特の響きも登場します。

サウンド映画の時代になると実演は減少しますが、今度は録音で台詞、効果音、音楽が響くようになり、上映前や休憩時にはレコードコンサートやレヴュー上演を行なう映画館もありました。戦前の映画館は映画体験だけでなく、多彩な音の体験の場でもあったのです。

本書は、明治中期から昭和初期までの東京を中心に映画館に鳴り響いた音の文化と歴史に光を当て、狭義の映画史や音楽史では見えてこない映画館の音文化の拠点としてのありようを、音楽や映画の西洋化や近代化のなかで位置づけようとする試みです。

もっとも、サイレント映画の音楽研究を始めた当初、この研究がこれほど広がるとは想像していませんでした。現存資料の不足に限界を感じていたほどです。

しかし最初の研究発表を契機に、早稲田大学演劇博物館でのサイレント映画の楽譜調査に参加でき、その後さらに映画、楽譜、弁士や琵琶師の台本、レコード、プログラム、チラシ、ポスターなど多岐にわたる資料と出合うことができました。

資料不足に直面していた私が本書のような大部の研究書をまとめられたのは、放っておけば捨てられてしまう資料がアーカイブやコレクターによって注意ぶかく収集、保存されてきた結果にほかなりません。

他方、研究が進むにつれて扱うべき分野の広さに戸惑うことにもなりました。

それでも複数の分野にまたがる本書を執筆できたのは、共同研究を通じて各分野の研究者と意見交換を行ない、活動写真弁士、楽士、邦楽の演奏家といった現在まで文化や芸能を継承してこられた方々から経験や知見を聞かせていただけたからです。

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