「とても残念」な日本...クリスマスツリーに「星」を飾らないのは異文化への無理解だ
ニューズウィーク日本版 / 2024年12月25日 16時55分
石野シャハラン(異文化コミュニケーションアドバイザー)
<クリスマスやハロウィーンなどへの理解の浅さは、日本でニセ着物を着て寺社で騒ぐ外国人観光客と同じでは?とイラン出身の日本人である石野シャハラン氏は指摘します>
日本でもクリスマス商戦がにぎわいを見せた。どこに行ってもクリスマスツリーが飾られている。大きいもの小さいもの、豪華なもの、オーナメントの色に凝っているもの、子ども向けにかわいらしく飾っているものなど、日本のツリーはなかなか趣味がいい。だが毎年気になることもある。一番上に星が飾られていないツリーが多いのだ。
クリスマスを年末の楽しいイベント、クリスマスツリーを素敵な飾りとしか思っていない人には、ツリーのてっぺんに星があろうがなかろうが気にならない。
だが、誰もが知っているようにクリスマスはイエス・キリストの生誕を祝う日であることに加えて、ツリーの星は、ベツレヘムの空に輝いてキリスト誕生を東方三博士に知らせた星を表していて、クリスマスツリーにはなくてはならないものである。だから、どんなに大きく立派なツリーであっても、星が飾られていないツリーはクリスマスツリーではない。ただの飾り付けられた木だ。
商業的なイベントとして世界中で大成功しているのはクリスマスだけではない。ハロウィーンもあるし、最近はブラックフライデーも安売りの呼び込みに使われる。ブラックフライデーは感謝祭の次の日、つまりクリスマス商戦が始まる日のことを言うが、日本には感謝祭はないのにブラックフライデーはある。何とも不思議だ。
逆に、日本の伝統文化は外国人に好まれまねされるが、日本人としては首をかしげたくなることもある。インバウンド観光客が安物の着物っぽいものを着せてもらい、町を闊歩しているのは滑稽だ。それに本来祈りの場である神社や寺に大挙して訪れ大声で騒がれるのは気分のいいものではない。
そう感じるのは、外国人観光客たちに着物や寺社への理解や尊重がなく、日本文化が見せ物にされていると思うからではないだろうか。同様に、日本のクリスマスに釈然としないのは、伝統文化が金儲けに使われている気がするからだろう。
何もキリスト教徒でなければクリスマスツリーを飾ってはいけない、と言っているわけではない。ただ日本人ももう少しツリーにまつわる歴史や文化への理解があっていいはずだ。イランでは、私が子どもの頃にはクリスマスはキリスト教徒だけが祝う祭りだったが、現在ではキリスト教徒ではない若者もツリーを飾ってパーティーをする。
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