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プーチンはシリア政権崩壊前からアサドの電話に出なくなっていた

ニューズウィーク日本版 / 2025年1月9日 17時32分

この会談以降、何があったのか。左はプーチンに見捨てられたらしいアサド(2024年7月24日、モスクワ) Sputnik/Valeriy Sharifulin/Pool via REUTERS

マヤ・メーララ
<シリアの反政府勢力がアサド政権の打倒に成功することをプーチンは予想していたのか>

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、シリアのバシャル・アサド前大統領が12月に反政府勢力によって追放される前から、アサドからの電話には「出なくなっていた」。プーチンの元側近が明かした。

この証言を行ったのは、アサドのもとで働いていたこともあるカメル・サクル。マジーズ・スタジオズのポッドキャストで、ホストのフセイン・アルシェイクのインタビューを受けたサクルは、アサド政権崩壊前の数日間、プーチンはアサドを「騙した」のかもしれない、と語った。



本誌は、この疑惑を独自に検証することはできないが、ロシア連邦外務省に業務時間外に電子メールでコメントを求めた。

アサド政権が打倒される前に、プーチンがアサドとの連絡を絶ったとすれば、きわめて重要な情報だ。反政府勢力がアサド政権の打倒に成功することをプーチンが予測していた可能性があるからだ。

それはまた、プーチンがもはやシリアやその指導者と緊密な関係を維持することに、エネルギーを投入する気がなくなっていたことを示しているのかもしれない。

反政府勢力は昨年12月8日に首都を占拠したが、サクルは、政権崩壊直前の3日から5日までの間、プーチンはアサドから電話がかかっても、出なかったと主張。ロンドンに拠点を置く中東ニュースサイト、ミドル・イースト・アイも、プーチンはクーデター発生前にアサドが反政府勢力を押し返す手助けをしなかったと報じている。

アサドは政権崩壊前、反政府勢力はアレッポの大部分を掌握したころ、モスクワにも行っていた。プーチンと会談を行う予定だったとも伝えられているが、サクルによれば会談は延期されたという。



アサドが反政府勢力に対抗するためプーチンに援助を要請したことについて、サクルはこう語った。 「バシャル・アサドがプーチンに要請したのは、アサド自ら前線の国軍にに物資を届け、反政府勢力の前進を阻止するので、空中輸送の安全を守ってほしいということだった」

この要請は、もう1つのアサドの支援国イランが、シリアのロシア軍基地から撤退を始めたことから行われた。結局、ロシアもイランもアサドを助けようとはしなかった。

アサドは、12月8日に反政府勢力がダマスカスを占拠した後、シリアから逃亡し、一族による50年にわたるシリア支配に終止符を打った。その後、アサドはロシアへの政治亡命を主張したが、彼がロシアに到着して以降、プーチンと会ったかどうかは不明だ。

政治亡命を主張するアサドが今後もロシアに留まるかどうか、プーチンが彼と接触しているかどうかは、現時点ではわからない。同様に、ロシアが現在シリアを率いている反政府勢力と政治的関係を築こうとしているかどうかも、まだわからない。





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