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ナチスへの復讐劇『手紙は憶えている』とイスラエルをめぐるジレンマ

ニューズウィーク日本版 / 2025年1月17日 18時13分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

森達也
<ユダヤ人迫害への後ろめたさから戦後の西洋世界はイスラエルの加害を強く批判できない。そのジレンマを反転させながらクリアした映画が『手紙は憶えている』だ>

アメリカの介護施設で暮らすゼブ・グットマンは、アウシュビッツ収容所のサバイバーだ。最近は認知症が進行し、妻だったルースが死んだことさえ起床のたびに忘れている。

この介護施設には、ゼブと同じくアウシュビッツにいたマックスも暮らしている。2人の共通項は腕に刻印された囚人番号と、アウシュビッツで自分以外の家族を全て殺されたこと。ゼブは、今は車椅子でしか動けないマックスから自分たちの家族を殺したナチス元親衛隊員の名前と住所が記された手紙を託される。

戦後に元親衛隊員はアメリカに逃亡し、偽名を名乗って血塗られた過去を封印した。同姓同名でほぼ同じ年齢の男は4人。そのうちの1人が元親衛隊員だ。こうしてゼブの復讐の旅が始まる。

ナチスやホロコースト(ユダヤ人虐殺)をバックグラウンドにする映画は、1つのジャンルと規定できるほどに数多く作られてきたが、特にここ数年は明らかに増えている。

その要因の1つは右傾化だ。集団化が加速して異端や少数派への差別や排斥感情が高揚し、移民排斥をスローガンにする右寄りの政党への支持が急増している。だからこそホロコーストの記憶を喚起しなければいけない。欧米の多くの映画人はそう考えたのだろう。

でもこの潮流は、現代史における1つの重要なリスクをも増大させる。

ユダヤ人への差別・迫害はナチスドイツだけではなく、全ヨーロッパで行われていた。その後ろめたさがあるから戦後の西洋世界は萎縮し、被害者意識を肥大させたイスラエルがパレスチナに対して行う加害を強く批判できなかった。

こうして4回の中東戦争が起きたが、イスラエルは常にアラブを圧倒的な軍事力で一蹴した。アメリカという強力な軍事大国の後ろ盾があるからだ。

言ってみれば戦後世界は、ユダヤの受難を歴史に刻み込もうとするたびに、イスラエルのパレスチナに対する加害を肯定してしまうというパラドックスに常にはまり込んできた。ホロコーストは二度とあってはならないし反ユダヤ主義は絶対に許されないとする反省と教訓が、今のイスラエルを造形してしまったのだ。

このジレンマを見事に反転させながらクリアした作品が、今回紹介する『手紙は憶えている』だ。

元ナチス親衛隊員への復讐を果たそうとするゼブの行動は、差別と迫害の記憶を宗教的な大義(シオニズム)と融合させながら、自衛を理由に周辺のアラブ諸国に加害を繰り返すイスラエルと合わせ鏡なのだ。

製作はカナダとドイツ。監督のアトム・エゴヤンは亡命アルメニア系の両親のもとでエジプトに生まれ、今はカナダに居住している。複雑なプロフィールが見事に結実した。

ラストについては絶対に書けない。もしもあなたがこの映画を既に観ているならば「それは書けないよな」と同意してくれるはずだし、これから観るのなら、観終えてから「書けなくて当然だ」と納得してくれるはずだ。

映画は世界を反映する。角度によっていろんな断面が見えてくる。そしてこの映画は、今後の世界を構築するための大きなヒントとなる視座を提示した。

『手紙は憶えている』(2015年)
©2014, Remember Productions Inc.
監督/アトム・エゴヤン
出演/クリストファー・プラマー
   マーティン・ランドー
   ヘンリー・ツェニー

<本誌2025年1月14日号掲載>

『手紙は憶えている』予告編(2015年)



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