第3回 将棋電王戦 第2局(筆者・河口俊彦 将棋棋士七段)

ニコニコニュース / 2014年3月28日 13時0分

第1図

 いきなり指し手の話で恐縮だが、先手番のやねうら王が初手の▲1六歩と突き、以下△3四歩▲7六歩△8四歩▲1五歩と進んだ。それが第1図の場面だが、ここまで見て、やねうら王も味なことをやる、と感心した。

 棋史に名を残す、阪田三吉と木村義雄が戦った「南禅寺の決戦」で、阪田が後手番の一手目に△9四歩と端歩を突いたのは、ご存知の方も多いだろう。

 世間は驚いたが真意は誰にもわからず、以来「謎の一手」と言うことになっていた。

 それが十年くらい前から後手一手損換戦法が多く指されるようになり、阪田の端歩も不思議な手とは思われなくなった。第1図も、▲9五歩を序盤に於いては不急の一手と見れば「南禅寺の決戦」と先後を入れ替えた、本質的には同じ局面とも言える。要するに、相手の出方を見る、という意味なのである。イギリスの古い諺は「真理は時の娘」と言っているが、歳月はいろいろな事を教えてくれる。

 さて、対局場は両国の国技館。土俵の上に舞台を作り、そこで対局するわけだが、最初だけ立会いの有野七段と並んで私も盤側に座った。そうして広い館内を見渡しているうち40年も昔の思い出が甦ってきた。

 昔話のついでにそれを書くと、昭和50年、「将棋の日」が制定されたのを記念して、先代の蔵前国技館で第1回の催しが行われた。

 まず十段戦の中原誠対大山康晴戦が戦われ、それが序盤だけで終ると、指導対局やら棋士多数による連将棋などあった。八千人ものファンが集まり、催しは大成功だった。この企画から実行まで、総てを取り仕切ったのは芹澤博文で、彼も大いに気をよくした。

 ところが、後に請求書が将棋連盟に来ると、その金額の莫大さに理事会は仰天した。そして芹澤はきつく叱責されたそうである。接待と称して連日、銀座、赤坂あたりのクラブ、料亭でドンチャン騒ぎをしていたから、叱られても仕方ないが、それにしても大らかな時代だった。

 戦型は「四間飛車」対「居飛車穴熊」となった(第2図)。またまた昔話になるが、これは30年も昔、盛んに指された戦型である。私も振り飛車党だったので、ずい分指したが、いつもひどい目にあったものだった。

 第2図からの指し手。

△8六歩 ▲同角  △7五歩 ▲2五桂
△5一角 ▲7五歩 △2四歩 ▲1三桂成
△同銀  ▲7四歩 △2二銀 ▲1四歩

 はやる気持ちをおさえかねたか、佐藤は△8六歩と仕掛けた、自信はあったのだろうが、これが敗因の一つとなった。もっとも、この後の進行中、佐藤有利と思われる場面もあったから、△8六歩を悪手と言うことはできないが、結果的には、やねうら王ペースとなった。

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