電王戦を見て考えたこと 西村京太郎(作家)

ニコニコニュース / 2014年4月12日 17時30分

 昔、全国麻雀大会が船を借りきって行われたことがある。プロ棋士も参加した盛大なもので日本一になったのは将棋のプロ棋士だった。ところが、いざ表彰式になって、その棋士が表彰も賞金も辞退してしまったのである。その理由について棋士がこう話した。(当時の麻雀牌は象牙に竹をかぶせたものだった)

「その竹の表は細いスジが入っていたり、竹の色が微妙に違います。私はその一枚一枚を全部覚えてしまったんです。私一人が伏せたまま全部の牌が読めるので、牌をわかってやっていたようなもので私が勝ったのは当り前です。ですから、表彰も賞金も辞退させて頂きたい。」

 結局、二位の人が優勝ということになったのだが、この時の新聞の見出しが面白かった。

<プロ棋士の頭はコンピューターだ>

 まだコンピューターが一般人にはよくわからない時代だったから、コンピューターが魔法と同じみたいに考えられていたのである。そのプロ棋士が今や、コンピューターというかゲームソフトに苦戦しているのだから面白い。

 私は電王戦というのを初めて観戦したのだが、何とも奇妙なものだった。予想と全く違っていたのである。

 最近はプロ棋士が負けることが多くなったと聞いていたので、さぞや悲壮感にあふれた重苦しいものだろうと思っていたのである。この時も、九段のプロ棋士が、ゲームソフトに負けてしまった。ところが、現場はあっけらかんとして全く悲壮感がなかった。

 ゲームが終盤になって、若い棋士が駒を並べて検討を始めたのだが「どっちが優勢ですか?」ときくと変に明るい声で「もう駄目ですね。100パーセント負けです」という。口惜しがっている様子は全くなかった。それが不思議だったのだが、みんなの話を聞いているうちに、だんだんわかってきた。負けているのに悲壮感がない理由である。

 棋士とコンピューターは仇同士ではないことがわかった。仲間だった。

 昔の棋士、大山や升田の時代はコンピューターが将棋の世界に入ってくることはなかった。駒を並べて棋譜を検討したり、新手を考えていた。羽生、森内の世代になるとパソコンが入ってきた。いろいろ駒を並べて研究するのではなく、パソコンを使って研究する。更に若い世代の棋士たちとなるとパソコンと共に生きている。コンピューターは戦う相手ではなくて頼りになる友人なのだ。若手の棋士たちは新手の研究や定跡の変化を考える時、駒を並べていたのでは百手、二百手先の変化を調べるのも時間がかかってしまう。その点、コンピューターを使えば一瞬の中に千手、二千手先の変化を読みとれる。「今はコンピューターなしに新手を考えるのは無理だ」という若い棋士もいるくらいである。従って、ゲームソフトと表面上、戦っているのに同じゲームソフトを購入して研究に使っている棋士もいる時代である。

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