電王戦FINAL第5局 観戦記 野月浩貴七段
ニコニコニュース / 2015年4月16日 18時0分
・電王戦に出るにあたって
「面白い将棋を指した上で勝つ、というのが棋士の理想だと思いますが、それを両立するには物凄い実力が必要で、まだ自分にはどちらも足りないと思います」
(阿久津)
・AWAKEの持ち味は?
「終盤での際どい凌ぎで逆転もできるのが魅力です。長引いて粘りのある指し手には自信があります」「勝敗には特にこだわっていません」
(AWAKE開発者・巨瀬さん)
阿久津とはここ10年ほど毎年数回、棋士仲間達でスノーボードに行っていたが、対局に専念したいという理由から、今年の冬は行かなかった。
【衝撃の結末】
2勝2敗で迎えた電王戦FINAL第5局、東京将棋会館の大広間で行われた本局は、総手数21手、各5時間の持ち時間ながら対局終了時間は開始から僅か49分後の10時49分という衝撃的な結末で終局を迎えることとなった。(図1)
[画像]http://p.news.nimg.jp/photo/188/1365188l.jpg
観戦記と言っても、対局について語れることは少ないので、対局までのサイドストーリーなどを交えながらお伝えしたい。
私自身は第2回で佐藤慎一五段対Pоnanza、第3回では豊島将之七段対YSSの対局で解説を務めさせていただいた。また8年前に行われた、棋士対コンピューター戦の先駆けと言われる渡辺明竜王(当時)対Bоnanzaの一戦でも将棋連盟の映像班として撮影用ビデオカメラの横で対局を見守らせていただいた。
コンピューター将棋の実力は年々目覚ましい進歩を遂げていて、今やトップ棋士でも苦戦を強いられる状況となっている。
【△2八角の位置付け】
電王戦のレギュレーションの1つとして、対戦するソフトを棋士に貸し出す、貸し出してから開発者はソフトに強化などの手を入れないという条件が定められている。終局後の会見ではこのレギュレーションについて様々な意見が出て議論の対象となったが、定められたルールなのでここではひとまず触れないでおく。
阿久津にソフトが貸し出されたのは、対戦する棋士が発表されてから4回に渡って行われた勉強会の2回目の日。12月12日のことである。
ちなみにこの日の勉強会は対局者へソフトを貸し出した上で、コンピューター将棋に精通している西尾明六段により、ソフトの使い方などのレクチャーが行われた。西尾六段は電王戦を通して、棋士達へのアドバイザー兼分析係を担当した。分析については第4局の観戦記でも触れられている。
阿久津はソフトを受け取ってから、様々な戦型で対戦し、AWAKEの特徴を掴んでいった。AWAKEはコンピューター同士の対戦では居飛車オンリーだったが、電王戦用に振り飛車も解禁するプログラムに修正をしていた。巨瀬さんにそのことを聞くと「的を絞られない様にするというよりは、せっかくなので色々な戦型で戦ってみたいと考えた」とコメントをしてくれた。
**巨瀬さんのコメントは全て終局から会見までの合間に聞いた話を元にしている。**
阿久津は得意戦法である相掛かりや角換わりをメインに対戦を重ねていったが、同時にコンピューターの弱点と言われる形も試していった。貸し出しから3、4日目くらいに、本局でも登場した△2八角と打つことに気づいたという。
この△2八角戦法は「将棋ウォーズ」というスマートフォンをメインとした対戦型アプリで搭載されているPоnanza対策として、ユーザー達が編み出したコンピューターの弱点を突いた対策の1つだ。
阿久津は△2八角戦法を最終手段として視野にいれつつも、相掛かりや角換わりの戦型で練習を重ねていく。しかし勝率は上がらず、コンピューターの強さを実感させられる事が多かったと言う。
特に角換わりでは圧倒的に負かされ続けた。2月24日に郷田真隆九段対阿久津八段(王座戦)の観戦記を担当した際、局後に二人で打ち上げと称して軽く一杯飲みに行ったのだが、その時に普通に指すと勝率が悪い事と、△2八角が通用する可能性がある事を教えてくれた。その週末にニコ生で「電王AWAKEに勝てたら100万円!」という企画が行われたが、「実行する人が出たら、100万円取られちゃいますよ」と予言していて、その通りになったので驚いた。その時は採用するかまだ決めかねているようだった。3月17日は二人とも対局だったので、昼食休憩にご飯を食べに行ったが、その時も作戦を決めかねていた。
結局、本局の2週間前、稲葉陽七段が函館・五稜郭で敗れて対戦成績が2勝1敗となった時に△2八角戦法を採用することを正式に決めたという。
そして本番1週間前に分析係の西尾六段に伝えて、阿久津が組み立てた対策を元に二人で相談していった。
普通に対戦しても勝率が悪い。AWAKEの強さを認めて、貸し出しも含めて与えられた条件で勝ちを目指すことが一番重要、との考えのもとに遂行された作戦である。 棋士側の総大将という重大な責任を全うするために取った苦肉の策だ。
弱点があると知っているのに普通に戦って負けたとすると、最善を尽くしていないと言われるかもしれないし、コンピューターの弱点を突いて勝つのがプロらしい戦い方なのか?と責められるかもしれない。結局、何をしても議論を呼ぶ事になるのであれば「勝つための最善」を尽くそうという結論に至った。
【巨瀬さんのAWAKE開発】
巨瀬さんは仕事が終わって、22時から深夜1時までの約3時間をコンピューター将棋開発に費やしている。毎日コツコツと地道にだ。
プログラムを組んで、対戦学習をさせながら強くしていっている。前述の「際どい凌ぎで終盤に逆転できる」という魅力的な持ち味も、学習の成果で最初から意図した物ではないという。
ただ、この持ち味は非常に気に入っていて、今後も強化していきたいとのこと。それ以外にも攻めを磨いて、PоnanzaやNDF(NineDayFever)の様に攻めで積極性を持たせたいとも語っていた。
ただし強くしたいと考える部分が簡単に強化できないのも開発に苦労する部分。千局単位で統計を採ってみても、その度に誤差も大きくて、なかなか強くならないどころか、弱くなっている場合の方が多いと言う。これはどの開発者も抱える悩みなのだろう。限られた時間の中から、コツコツと強化する現状なので、まとまった時間は中々取れずに、大幅な強化、改良をする事ができない。対コンピューターのコンピューター選手権と、対棋士の電王戦では開発の主軸が違うのだが、時間の関係上で両方を万全にする事は難しい。どちらかというと本分である対コンピューター用に照準を合わせた開発を重視せざるを得ない現状となっている。そこに評価値関数などの問題から、コンピューター同士の戦いでは出現しない弱点(△2八角戦法や意味を持たない不成など)が露呈してしまうのではないだろうか?
痛し痒しかなと感じた。
【作戦遂行の裏側】
阿久津は採用を決める前からも△2八角戦法の事について、色々と試していた。100%遂行できる形は見つからなかった事を考えると、作戦面でかなり工夫が必要となる。
作戦実行の条件として、
1△2八角を打ってこない対策を万全にする
2手順中に悪手や疑問手は指さない
3△2八角を打たせる局面になったら、手待ちをして△2八角の判定回数を増やすが、攻められそうになったら、待機策はやめて▲3九玉~▲3八金から玉を囲って戦いに備える。
という事が挙げられる。
最初の課題は、▲7六歩△3四歩▲6八飛の時に△3二飛(参考1図)と相振り飛車にしてくる可能性が20~25%ある点。
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出だしからこんな確率では△2八角戦法だけに頼る事はできない。特に相振り飛車は阿久津にとって指し慣れていない戦法なので、構想が破たんしてボコボコにされる確率が高い。ただし相振り飛車について研究を進めていくと、AWAKEは序盤の手得を重視する傾向にあるので、参考1図以下▲2二角成△同銀(△同飛)▲6五角△5四角▲同角△同歩▲5三角(参考2図)と馬を作れる展開が多かったそうだ。
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経験値の低い相振り飛車ながら、序盤早々に馬を作れて十分に勝機の高い戦いができる事が本作戦を選択する決定的な決め手となった。ここが本局に置いて、見えない部分だが最も重要な位置を占めていると感じた。
私は隣の建物の中にある取材本部の最前列で西尾六段と並んで観戦していたが、▲6八飛を観た時に二人で「ギャンブルだね」と話していた。実はそれほど実現性が高くないからだ。
実戦では25%の確率を回避して、△8四歩と突いてきた。しかし△2八角までの道程はまだまだ遠い。次の課題はどちらから角交換をするか。
本譜は後手から角交換をしてきたが、練習では角交換をして来ずに先手からする場合も多かった。先手から▲2二角成と交換をする場合は、△同玉と取らせて△1二香から穴熊を目指す形でないといけない。△同銀だと△2八角を打って来ない場合がほとんど。AWAKEは7~8筋から攻勢を取ってくる。本局のタイミングで後手から角交換をしてきたのは、練習では1回もなかったという。先手は一手でも早く形を作っていきたいので、後手から手損での角交換は大歓迎だ。
しかも△2二銀ではなく、△2二玉を選択してくれた。ここでも確率は阿久津の味方をした。
次は△5四歩を突くかどうか。例えば△5四歩を突かずに△1二香▲2七銀と進むと△5四角(参考3図)と打って銀取り&△7六角を狙う場合が多い。後手も角を手放すので、形勢的には互角の展開だが懸念材料の1つだ。
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▲2七銀と上がった局面でセット完了。後は△2八角と打てる状態を維持して、判定回数を増やしていく事が重要だ。不思議なことに▲7七銀と上がると打たない率が上がるらしい。しかも目線が銀に行くので、△8五歩~△7四歩~△7三銀~△6四銀と7~8筋を攻める体勢を取ってくる。
7~8筋を攻められる形での△2八角は、例え打たせたとしても分が悪いとの分析が阿久津と西尾六段の間でされていた。また巨瀬さんの談話でも7~8筋を攻める形であれば投了はしないし、十分に戦えると話してくれた。
果たして、▲9六歩と突いたタイミングで△2八角(図2)と打ってきた。
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実はこの△2八角は短い持ち時間の将棋であれば80%くらい打ってきたが、長い持ち時間だと4~5分は△2八角を考えているが、そこから先の探索では△2八角をやめて穴熊に囲ったり、7~8筋を攻める体勢を作ってくる事の方が圧倒的に多い、と分析されていた。本局は先手にとって、後手は穴熊に組んでいないし、7~8筋の攻撃態勢も全く進んでいないという、最高の条件で△2八角が出現する事になった。
振り返って初手から作戦遂行について考えると、△2八角を打つ形になる可能性は10%ないくらいで、本局のような先手にとって最高の条件でとなると、1%もない確率だったのではないだろうか?
論理立てて分析していくと、△2八角戦法を目標に対策を組み立てつつも、メインは別の形になる事を中心に考えていることが分かる。
開発者の巨瀬さんも勝ち目が全くないと考えて投了という選択をした。後日、阿久津に聞いてみたところ「投了図からはほぼ100%、いや98%勝てると思います」と言っていたし、彼の実力を考えるとその通りだろう。
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投了図以降は分かりやすく進めると△1九角成▲3八玉△1二香▲5八金左△1一玉▲4六歩△2二銀▲1七桂△3一金▲4八金直△5二金▲6九飛(参考4図)と進んで、無条件で馬が取れる。
[画像]http://p.news.nimg.jp/photo/194/1365194l.jpg
手順中の▲4六歩は△3五歩から△3六歩と暴れてくる順に対して▲4七金で防ぐ意味がある。
投了後にコンピューターの思考を見ると、△1九角成に▲3九玉から▲3八金と読んでいたので、馬を取られることには全く気付いていない事になる。まあ投了を入力したのが15秒、指し手の探索は12秒21パターンなので、あまりに探索時間が短く、どこまであてになるのかは分からないが。
玉の近くに馬を作る事の評価が高いのと、少し先に決定的な手があるのを読む事が難しいという理由による弱点だ。評価関数をいじれば△2八角の問題は解決できるが、他のところでマイナスの影響が出ることになるのかもしれない。
【終局後、全体の考察】
バグ、ハメ手、穴をつく、弱点をつく等々、△2八角戦法を色々な表現で目にしたが、評価関数特有の問題なのでバグではない。目にした方が感じた感想なので、とやかく言うつもりはないが。
コンピューターは強いというところから始まった△2八角戦法を視野に入れた対策は、稲庭戦法の様に人間相手には悪手になるがコンピューターには滅法強いという、純粋なハメ手やアンチコンピューター対策とは一味違う。
貸し出し有りという条件の元で弱点を視野に入れながらの、想定から外れた場合でも通用する事を意識した作戦はプロ棋士ならではだと思う。ただし、この様に裏側で当日の朝8時半まで西尾六段と作戦遂行の準備でメールのやり取りをしていたという、阿久津の準備が万全だった事を賞賛したい。
もしも△2八角を打ってこなかったとしても、午後からのエキシビションマッチで永瀬六段と戦ったように、ほぼ互角の展開で戦える証明も果たしている。「千日手を視野に入れると、先手としては互角だけど少し不満があるくらい。AWAKEは千日手を選ばずに、穴熊を崩して攻めてきたり、自陣角を打って攻めてくるので、先手としてもまずまずな展開で戦える」とのこと。
巨瀬さんはAWAKEが傷ついていく事を分かっていたので、いたたまれない気持ちで投了を選んだのではないか。際どい凌ぎ、終盤の破壊力、粘りのある指し手、AWAKEの持ち味が全く出ない展開に、開発者としての悲痛な想いはひしひしと伝わってくる。また奨励会経験者として、プロ棋士を志した者として「プロ棋士とはこうあるべき」と、真っ向勝負で戦ってほしいし、知っていたとしても△2八角戦法はやってこないのではないか?と考えていた。巨瀬さんが描く棋士の理想像とは違う勝負だった事が、あの会見に繋がったと思う。
私が話をした時に受けた印象は、将棋に対する愛情が溢れていて、ただただ純粋な気持ちでコンピューターも棋士も将棋の真理に一歩でも近づいて欲しいと心の底から思っているようだった。
奨励会という場所は、ひたすら純粋に将棋の事だけを考える場所だ。プロになって初めて、観る人が居て成り立つ事、信念を持って戦わなくてはいけない事、将棋って楽しい!と思わせるような魅せる将棋を指さなくてはいけない事、勝たないと注目されない事、等々が付随してくる。矛盾する事も多く、葛藤しながらの対局となる。
冒頭のコメントもそうだが、阿久津のプロ棋士人生を通しての電王戦と、巨瀬さんの奨励会経験者で開発者としての想いは噛み合わなかったが、異種格闘技戦と考えると全うな事ではないだろうか?
あんなに注目される会見は、棋士にとっては慣れた物だが、巨瀬さんにとっては初めての経験。
巨瀬さんの開発者としての成長を温かく見守っていきたいと感じた。純粋さを大切にしてほしい。
【まとめ】
会見が終了した後にツイッターで豊島七段が「強くなければ何も選べませんし、圧倒的に強ければ複数の要素を両立できるので、やはり実力をつけたいと思いました」と投稿していた。冒頭の阿久津の言葉とほぼ同じ意味なのだろう。どちらも心に響く。魅せて勝つ事の意味と難しさを棋士は常に考えている。
聞き手やリポーターとして関わることの多かった藤田綾女流初段と山口恵梨子女流初段にも話を聞いてみた。
「電王戦をきっかけに将棋に興味を持ったという声を良く耳にします。観てくださった皆様は色々な感想をお持ちだと思いますが、対局者の棋士、そして開発者の一局に懸ける想いが画面越しに伝わったと思います。コンピューターとの「共栄共存」はどうなっていくのか、引き続き興味を持って、そして将棋界に注目していただけたら嬉しいです。」(藤田さん)
「今回感じたことは各々の地方で対局を行うという事で、現地解説会はどこも盛り上がっていました。特に高知県では年齢層が高めの人達が、コンピューターとの対戦というよりも将棋の対局そのものを楽しんでいる姿が印象的でした。コメントを書く視聴者層は若年層が多く、将棋を楽しみにするだけではなく、コンピューター目線で進化を楽しみにする方も多いように感じました。また将棋の強さを競う面に加えて、開発者と棋士の職業による価値観の戦いでもあり、既存の将棋界の価値観と新しい価値観がぶつかり合っていると思いました。」(山口さん)
彼女達はこの電王戦に関われたことが嬉しいと口を揃えて言っている。また電王戦を担当した職員は「苦労話や裏話で一冊の本が書けるくらい。今回の(将棋連盟側の)真のMVPは分析を担当した西尾六段だと思います」と言っていた。
本、ぜひ出してほしいですね。
全てうまく行って、賞賛だけの電王戦FINALだと、ドワンゴの「ニコ生」で行う意義は無いように思う。様々な議論や課題を残してこそ、電王戦を行う意義ではないだろうか。ドワンゴ川上会長の「ルールや今日の結果も含めて大成功だったと思う」の発言に繋がるのではないだろうか。
また視聴者の皆さんもコンピューター、開発者、棋士、将棋、ニコ生に対して想いを持って観ている、一緒に戦っているのだなと改めて感じた。まさに参加型。
今回、運営や設営に関わってくださった皆様、スポンサーの皆さま、対局者、興味を持って観て&来ていただいた皆さま、そして何よりもエンドロールでも最後に出てくる「コメントしてくれた皆さま」に感謝して観戦記の筆を置きたいと思います。
会見では発表に至りませんでしたが、今後もドワンゴと将棋連盟での企画は続いていくはずなので、そちらも楽しみにしてください。
書き始めると思わぬ長文になりましたが、お付き合いいただきありがとうございました。
◇関連サイト
・[ニコニコ生放送]将棋電王戦FINAL 第5局 阿久津主税八段 vs AWAKE - 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv199947253?po=newsinfoseek&ref=news
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