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ニコニコ生放送「メディアの公平性ってなんだ!?メディア帝王とジャーナリズム」(2015年9月19日放送)全文書き起こし(4)

ニコニコニュース / 2015年10月18日 12時20分

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 9月の「ニコニコドキュメンタリー」は、アメリカ在住の映画評論家・町山智浩氏が選んだ、超大国アメリカの裏側がわかる過激なドキュメンタリー作品を特集。その第2段「アウトフォックス〜イラク戦争を導いたプロパガンダTV〜」が2015年9月19日(土)20時から、ニコニコ生放送で配信されました。

 本ニュースでは、生放送後におこなわれた作品をテーマにしたトーク番組の内容を、以下の通り全文書き起こして紹介します。

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※出演者=話者表記
モーリー・ロバートソン (ミュージシャン/ジャーナリスト)=モーリー
神保哲生 (ビデオジャーナリスト/ビデオニュース・ドットコム代表)=神保
永田浩三 (ジャーナリスト/武蔵大学教授)=永田
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神保:将来的にはわからないですよ。だけど、要するにスポンサーが今はそのような報道をしてくれることが利益にならないっていうことは、ある程度わかっている。ただ、今回、高須クリニックというところが『報道ステーション』のスポンサーをおりますっていうふうに公言したと。それは要するに『報道ステーション』の今回の一連の報道が偏っているからだっていう、要するに、恐らくリベラル過ぎるっていうことだと思います。だから、当然、例えばどこかの放送局がじり貧になって、でも右方が空いているなと。実際、日本ではあまり空いていないんだけど、日本は既に両方いるから。空いているなと、FOXぐらいまでいけば、仮に読売とか産経がもうちょっと中道寄りになっていて、右側が空いていると思ったと。そうしたら、どこかの放送局がもう全然数字をとれなくて、売上も減ってどうしようもないと。辣腕経営者が来て、「ここが丸々空いているじゃないか」と。

モーリー:アニメとおっぱいと右翼、みたいな。

神保:みたいな、さっきの『サン』にあったような話ですね。それをいけば、いけるんじゃないかみたいな。政府にロビイングして、要するに、フェアネス・ドクトリンを変えさせようみたいなことまでやって、結局そこで思いっきり右をとるっていうようなことはあり得なくはない。ただ、繰り返しますけど、日本はまだまだメディア、少数の特に5系列のメディア、プラスNHKに対する、新聞5紙に対してテレビが系列化している、それからNHKも、集中度が圧倒的にまだ世界の中でも日本では非常に高いんですね。つまり、ネットとか多チャンネル化というものが日本では遅れているので、さすがにあれだけまだ力を持っていると、こんな右に、大右のほうに行くっていうようなことは恐らく難しいと、当分は思います。この先どうなるかはわからない。

モーリー:見方によっては、だんだん小さくなっていく丼ぶりというかコップの中で、その5社が切磋琢磨しバランスをとりあおうとしているんだけど、若い人であればあるほど、そもそも丸ごと見ていない。

神保:そうなんです。

モーリー:そうすると、テレビを見ていない30歳以下とか、そういう層に対して、今後映像を含めた、ニコ生もそうなんですけど、このメディアの舵取り次第で大いに世論形成の影響力があり得る。

神保:それもあり得るんだけど、例えば、先にそういうビッグデータなんかまで用いて世論をどうやって操作していくかっていうノウハウを最初に持ったところが一時優位に立つ可能性はある。でも、それは何もそこの専売特許にはなり得ないわけですよ。それを見て、「そうか、だったらこうやればできるんだ」っていうことで、別のとこもそれはまた真似することができる。そうすると、一時的にそういうふうに大きく何かが偏ることはあり得るけれども、だから、ここは結構ギャンブルです。つまり、もう自由にするわけです。ネットは自由なわけですよね。そうすると、何をやるのも自由だから、一時的にとんでもないほうに行っても、みんながそこに今度は入ってきて、それがまた中和されていくっていうふうな可能性もあると思う。だから、今一番大きな議論は、メディアっていうものがほんとに自由競争にさらしたときに健全な競争が維持できるのかどうかっていうのは、ネットまでは自由競争って言ったって、せいぜいチャンネルの数は限られていたんですよ。ケーブルと地上波だけだったから。ネットが来て何でもありになったでしょう。そうなってきたときに、はたしてほんとに全く自由にしたときに、いわゆるメディアの公共性みたいなものが維持できるのか、あるいは、これはよく堀江貴文さんが言っていたことだけど、「別に公共性なんかなくたっていいじゃん」っていうようなことも考え方としてあり得るのかどうか、これまでは「メディアは公共的じゃなきゃいけない」なんていうことを言っていたけど、公共性はそれぞれが、見る人が自分で定義すればいいじゃんという考え方が、そこまで我々一人一人が成熟しているかどうかってことも含めてだけど、成り立つのかどうかっていう、そういう話だと思います。

モーリー:わかりました。それを受けて、永田さん、日本のテレビでのディベート、日本の新聞での社説などの闘いを見ていると、アメリカに暮らしているハーフですから、BBCやCNNを引っ切りなしに見ている中で日本語に切りかえて読んでいるんですけど、何か物足りないんですよ。何が一番物足りないかっていうと、左、右って簡単に言ってしまうと、そういうリベラルなのか、保守なのか、みんな陣営のたこつぼに入ってすみ分けちゃっている。それぞれの持論と正義をより純粋に、前提が共有されない状態で、その先の論理展開がそれぞれ稠密に埋まっていくんですよ。ですから、僕は1回菅直人さんとテレビで対談して、いろいろ不審船に対する対応をちょっとなじってみようかなみたいにいろいろやったんですけど、彼の論理展開が、自分が正しいというところから始まって、ドミノ倒しであまりにも見事に続くので、しゃべらせている限り入る余地がないのね。だから、菅さんと話しているときは、菅さんの正義にすり寄ったほうが気持ちよくなって、「いい人だな」っていうのが、対談し終わって、「やっぱ菅さん、すばらしいわ」って思ったんですよ。寝て起きて、「あの人、何を言っているんだ」って思ったんですよね。つまり、催眠術なのかもしれないけれども、産経なら産経、テレ朝ならテレ朝っていうことで、それぞれすごく密度の高い論理展開があって、「今言っていることの根拠は前に言ったこれ」みたいにすごくつながっているんだけど、本当のディスカッション、お互いの話を聞いているディスカッションっていうのは大きなメディアの中の環境で行われていないような気がするんですけど。

永田:そうですね。

モーリー:そのすみ分けも、人とぶつかるのが怖いとか。これは日本特有なんですか?

永田:だから、公共空間できちっとお互いの考えも尊重しながら、自分の意見をきちんと言い切る、そういうことにやっぱり慣れていないんじゃないですか。つまり、その理由は2つあって、やっぱり差し障りのあるものを避けるっていうことが大前提にあると思うんです。ケンカするっていうことを避けるとか。

モーリー:同時に、身内に対してパフォーマンスする人が増えているので、後で身内が怒るようなことも言わなくなる。

永田:だから、個人として確立していないっていうこともあるかもしれませんよね。つまり、「私は私の責任で、人がどう言おうが言うことは言うよ」っていうふうになかなかなっていないと思うんですよ。

モーリー:つまり、ポジショントークに陥りやすいと。

永田:僕がNHKの職員だったときは、NHKの職員という属性をずっと引きずりながら、「自分はそうは考えていないんだけれども、NHK職員としてはそこまで言っちゃいけないよね」っていうセーブがまず働くっていうことだと思うんです。もう関係ありませんから、僕は自分の責任で今も話しているし、これからもたぶんそうだろうと思うんですよ。私が思うこと、私が信じていることを今も話しているし、そのことに何のためらいもないっていうことですけれども、そういうことはなかなかやっぱり普通はできないんじゃないですかね。

モーリー:きょうはどちらかというと、NHKが、BBCがやるように安倍政権との距離のとり方が少し不健全であると、そして、大きなメディアであるにもかかわらず、オフセットできないでいるというようなことをいろんな角度から言ってきたんですけれども。例えば、国会前でのデモとか、それに対してとても強いシンパシーを示している、東京新聞でも、朝日新聞、毎日でもいいんですが、これを見ると、今永田さんがおっしゃった、身内だからとにかく褒めよう。例えば、SEALDs、若い人たちが美しいことをしている、そこもわかります。僕は映像で見ましたが、確かに美しい目をしていました。だけど、例えば、反原発の団体とほんとに行動をともにしているし、「これ何なの、セットなの?」とか、そういうことを朝日とかテレ朝が言ってくれると、イギリスの労働党がいて、ニューレイバーがちょっと保守にすり寄って、そこでコービンっていうすごいバリバリ左翼が出てきて、労働党の中でかき乱して党首になっちゃったわけですよね。そこには健全さを感じるんですよ。そういうのが、朝日とかにSEALDs批判を見たことがない。

神保:つまり、左はちゃんと左に問題があれば批判をするし、右は右で、右に問題があれば批判しろという、そういう意味でしょう。

モーリー:そうです。つまり、個人がどうしてリベラル陣営で確立されていないんでしょう?

神保:だから、そこがすごくもったいない。例えば、今回の安保法制1つをとっても、いろんな意見があっていいですよ。でも、例えば、こういう考え方がある。集団的自衛権に賛成な人ほど、この法案には反対しないとまずいでしょうと、この法案は欠陥だらけだし、しかも、採決の方法にやはり異議があると。それも意見がありますよ。でも、ほんとに集団的自衛権が大事だと思っているんだったら、そんな形で通されちゃったら、集団的自衛権っていうもの自体がそれで穢れてしまうというか、正当性を失ってしまうじゃないですか。だから、集団的自衛権を日本が持つべきだと思っている人こそ、この法案には反対しなきゃまずいっていうような意見が本当は推進派から起きてもおかしくないのに、ほとんど起きない。ただ、今回1点だけ起きたのは、小林節さんみたいな改憲論者の方が、この法案はまずいと。だから、「ちゃんと憲法を改正してやれ」っていう意味において、右からの批判っていうのが起きたっていうのが、かなり異例な、本来では仲間のはずの陣営の中から攻撃がきた、非常にまれなケースで、確かにそこはおっしゃるとおりですね。その逆側、自分の陣営の中に問題があるときにそれを言うと、のけ者にされるとか。結構、実は僕らもそういうのがあるんです。つまり、何々に反対している中で、「でも、こういう反対の仕方はどうだろうか」みたいに、「いかがなものだろうか」って異論を言ったりすると、やっぱ日本では敵に塩を送る行為みたいなふうになって、「あいつはやっぱり、実は心の中ではほんとは向こう陣営なんじゃないか」って言われたりするっていう。

モーリー:なるほど、よくわかります。というのは、例えば、イギリスの労働党、あそこにすごく透明性みたいなものを僕は見ているので、しかも、若い人がものすごく投票に参加をして、異例なぐらい若い人の投票によって新しいイギリス労働党のコービン党首は登場したわけなんですけれども、彼は最初の公のスピーチが難民をイギリスにちゃんと入れろというアムネスティの集会に議会の前で行って、持っているんですよ、真後ろでアムネスティの人がハッシュタグをつけて、「#refugeeswelcome」。つまり、もう労働党がどうのっていうこと以前に、人間としてシリアでこの戦争に先進国はみんなかかわっているんだから、見捨てちゃダメでしょうと。とにかく1万人でも2万人でもいいから今すぐ入れろよってやっちゃっているわけ。きのうの国会で、仮にBBCもCNNも報道しているわけですから、そこで「Refugees Welcome」っていう人たちがいなかったんだよね。なぜ?僕の好みが今入っちゃったけども。

永田:でも、その「Refugees Welcome」はすごく感度のいい人は実は言っていますよ。日本は5000人申請があって11人じゃないですか。

神保:去年11人ですね。

永田:そういう国はあまりにおかしいということで、つまり、我々もイラク戦争にかかわったわけですから、そういうことでいえば共同責任を負うべきだということを言う人はそれなりにいるんですよ。

モーリー:ただ、その人たちは、もしかしたら神保さんがさっきおっしゃったように、それをやっちゃうと将来の移民への扉も開いて、今の自民が進めようとしていることに塩を送ることになるし、「今はみんなとりあえず反原発なり、反安倍で、ちょっとスクラムを組んでおこうよ」みたいな配慮で黙っちゃっているんですか?

永田:いや、黙っていないと思いますよ。

モーリー:でも、きのうはいなかったですよね。あまりこだわるわけじゃないんだけど、すごく対照的だったんですよ。その労働党系の集会で「Refugees Welcome」ってやって、それと緊縮財政反対とか、いわゆる、現与党への反対を強く述べている人たちが、横断的にいろんなイシューを一つの世界観として出しているわけね。それに対して、違うものが感じられたというか。個人主義というか。

永田:そうかな。僕が反論したいのは。

モーリー:どうぞ。

永田:例えば、脱原発の人と集団的自衛権反対の人は重なるけれども、イコールではないんですよ。

モーリー:一致はしていない?

永田:と思います。それで、創価学会員だって今回の法案に反対している人もいる。難民の問題について運動があるのは、別に今回の難民騒ぎ以前からずっと課題はあるわけですから、そのことで声を上げている人は、実はすごく日本社会の中でたくさんいるんですよ。目立っていないだけで。だから、いかに日本の法務省が難民に対して厳しくて、それも根っこを辿れば敗戦後の、つまり、朝鮮半島出身者の人たちを排除したり、差別したり、さまざまなことをやってきたこととやっぱり根っこは同じ話だっていうふうに私は思うんですね。

モーリー:そうすると、そこら辺の人権やライツも含めて話はどんどん大きくなっていって、関ヶ原になっていくと(笑)。

永田:いや、大きな話なんです。

神保:でも、これからだと思う。つまり、今回はやっぱり、安保法制っていうのはなんだかんだ言ってすごく大きなことだったんだと思います。日本の歴史の中で、あの可決の瞬間っていうのはやっぱりある種これまでの歴史の大きな転換。それは世界から見れば小さなコップの中の話かもしれないけど、やはり日本にとってはとても大きなことだった。そうすると、報道のリソースも言論空間も、かなりそこにほとんどとられると。そのさなかにヨーロッパでああいうような難民危機が起きたわけですよね。危機が起きた直後はちょっとは報道があったけど、そこから深まらないのはなかなかもうそこまでリソースがないわけです。その話をするような場所や、人や、読む側も、見る側もそこまで時間がない。

モーリー:心の準備ができていない。

神保:でも、これで法案がとりあえずいいか悪いかは別に、ひと段落でしょう。そうすると、今ご指摘があったように、実はまず今回シリアで大量に難民が出た一番発端となったのは、イスラム国、ISILじゃなくて、アメリカが結局は空爆を開始して、そこでシリアが内戦化したことにあったわけですよね。日本はもともとそこのコーリションの中に入っているわけ。それを日本はとても誇っていたわけです。

モーリー:今、イラクのことをおっしゃっているんですか?

神保:イラクもそうだし、それから、ISILと戦うところについても支援をするっていうのを表明しているわけですよね。だから、今回、日本は完全に当事者なわけです。11人、シリア難民に関しては、日本はこれまで全部合わせて3人ですよね。例えば、日本が去年11人なのに対して、アメリカが毎年2万人、ドイツやイギリスやフランスが大体1万人単位で、今回ドイツは10万人単位で、ほかのとこも2、3万人単位でどんどん増やしたと。日本は今のところ全くアナウンスメントがゼロなんですね。増やすっていう話が今回全く何もない。

モーリー:これを本来なら、いわゆる、先進国スタンダード、欧米基準で考えると、リベラルのメディアが、あるいは、活動家たちが声を上げ、集団的自衛権で軍事派遣するんじゃなくて、難民の受け入れこそ積極的平和主義じゃないかと。

神保:国際貢献。だから、普通の国じゃないんですよ。

モーリー:普通じゃない?

神保:だって、難民条約に署名して加盟しているのに、ほかの条約国がこれだけとっているのに、日本は全くとっていないっていうのは。

モーリー:NHKは政治部記者がいるから嫌だっていうのはわかった。テレ朝がやればいいじゃないですか。

神保:だから、これからだと思います。ここまでやらなかったのはけしからんで、もちろんそうだけど、やっぱりここまではあれだけ1つのテーマにあらゆる力を集中していた。それくらい大きなものだと考えることは間違っていなかったと僕は思う。ただ、難民問題はこれからやらなきゃダメですよ。

永田:1つ言えば、この前新宿の歩行者天国で「クルド人の人たちと連帯しよう」っていう動きがあったんですよ。だから、集団的自衛権に反対している人たちと難民問題が切れているわけでは実はないんです。

モーリー:なるほど。

神保:たまたま、今回、僕もうちの番組で難民を扱ったので1つだけ言っておくと、日本でやっぱ難民っていうのは、「かわいそうな人だから、もうちょっと受け入れてやれよ」っていう文脈なんですね。ただ、難民受入条約っていうのを見ればわかるけど、難民っていうのは保護される権利を持っていて、難民を受け入れるのはその国の義務なんですね。そこが日本ではまだ難民っていうのは気の毒な人にはちょっとくらいは。

モーリー:ちょっとぐらい、3人ぐらいはね。

神保:3人とか。

モーリー:11人とかね。

神保:全部で11人になっていると。だから、そこはメディアも含めて、まだ難民っていうものが何なのかっていうことに対する理解が、基本的な理解がまずないところからスタートしている。

モーリー:メディアに取材の意思はあるんですか?非常に消極的に感じるんですけど。

神保:こんなことが起きていますと。だけど、そこから先に、なかなか日本に行かないんですよ。でも、例えば、この番組でどんどん「なんで全然やらないの。おかしいじゃねえか」っていうことをやっぱ言えば、この中の視聴者の。

モーリー:とても強い反発をしている方もちらちらいるし(笑)。

神保:いや、難民が嫌いなのは別に結構なんですよ。でも、要するに、1万人ぐらい見ている人がいれば、もしかしたら、テレビ局の人とか、新聞社の人とか、1人や2人くらい見ているかもしれない。

モーリー:だから、今「そういう難民のことを知りたくもない。移民は嫌いだ。在日も嫌いなんだ。おれは保守だ」っていう人が仮にいたとして、我々の会話を聞いて、「やっぱりこいつらアカでそろった。ニコ生はとうとう左傾化だな。ドワンゴはちょっとひよったな」みたいに簡単に決めつける人もいると思うんですよ。ところが、おっしゃったように、テレビ局の人が見て、影響力を持っているわけだから、そこで積極的に、いわゆる、プロアクティブに本気で難民を扱い、例えば600人、今群馬県にミャンマーから逃れてきたロヒンギャの人がいるわけですよね。戻されたら、たぶん死にます。なのに、日本の法務省は見て見ぬ振りか、ずっと申請を受け続けて捨て置けっていう感じですよね。ここからでもできないのかっていうことを切り込んでいただければ、それをテレビがいい方向に、それを通じて見た結果、今までの偏った狭い意見から解放される人も出てくるわけですよね。

神保:だから、まだ「難民問題」なんていうような理解なんですよ。それはただの言葉ですよね。でも、例えば、具体的に難民申請しているのにもらえない人っていう人物像が報道によって出てきたりすれば、難民問題っていうような言葉だけの意味とは変わってくると。

モーリー:抽象的な点の羅列じゃなくて。

神保:でも、そこにいくためにはかなり熱心な報道とかをしていかないと、「難民問題ってこういうことだったんだ」っていう認識はなかなか変わらないですよね。言葉で「難民とはこういう意味なんだよ」なんてここで言ったところで、「そうですか。これで考えを変えます」なんて人はいないですよ。

モーリー:ここでご覧になっている数多くの方の1人からメッセージを送っていただきました。30代の男性で、北海道の方です。「FOXはかなり右に偏っているメディアだと映画で言われていましたが、そういった流れはすべて」、ごめんなさい、手書きの字が読めないんだけど(笑)。何これ?

神保:「すべて需要と金に影響されるものでしょうか?資本主義でジャーナリズムは可能でしょうか?」と。

モーリー:資本主義の中でジャーナリズムは適合しつつ、良心、軸を放棄しないでいられるのかっていうことですよね。永田さん、どうですか?

神保:大変な問いが。

モーリー:大変な、大きな問いですけど(笑)。

永田:根本的な問いですね(笑)。

神保:これから、ちょっと2時間ぐらいそれやります。

(一同笑)

モーリー:まだ難民で怒っている人がいる、みたいな(笑)。

永田:資本主義でという質問なんですけど。NHKってどういう仕組みなのっていうふうに考えたときに、受信料制度っていうのはある種基金でもあるし、コーポラティブ、組合的なものでもあるし、ちょっと過激に言えば、社会主義的な仕組みですよ。そういうものでないと、日本の中で公共的なメディアはつくれないって当時は思ったんでしょうね。でも、国営にしなかったっていうことはすごくやっぱり実は大事なところで、国の機関だと、つまり、今は非常にニュースの安倍政権寄りっていうのは際立っていて、国のプロパガンダ機関だっていう批判もあるわけだけれども、でも、それじゃいけない、やっぱりニュースっていうのはもともとのきょうのテーマでいえば、フェアネスでもあるし、それからバランスもとらなきゃいけないっていうこと、両方のことをやるために、国からお金をもらうんじゃなくて、市民がお金を出し合って、みんなで育てていくもんだっていうのがことの始まりなんです。

モーリー:育てるという意識をNHKの視聴者は持っていますか?

永田:いや、残念ながら。

モーリー:パッシブに電気代と一緒に払うものくらいの。

永田:そうそう。さっきもちょっと言ったように、国の機関なんだっていうふうに誤解することでNHKが信頼を勝ち得ているっていう、非常に倒錯した関係なんです。

モーリー:そして、その国という権力に対して、日本の一般市民は代々従順であろうとしますよね。

永田:そうです。だと思います。

モーリー:BBCはそこにクエスチョンをわざと投げ込むわけですよね。

永田:そうそう。つまり、国を監視するから支持しますっていうのと、国の機関だから支持しますっていう、根本的に違う。

モーリー:国ごと、セットで信用(笑)。

永田:そう。つまり、180度違う。

モーリー:そして、ちょっと受動的で、ちょっと感動が少ない、火があまりついていない生き方が嫌だと思う、30、40代になったヤングアダルトたちが目覚めて、右にがっと流れた時期が2000年代にあったと思うんですよ。「なんだ、この日本の中和したような、足して2で割ったような偏向報道は。やっぱりゴーマニズムだろう」というふうになって。それも下火なんですけど。だから、そういうさっきおっしゃったクラスター現象、自分と同じ意見ものばかりネットとかで検索して、好きなものばっかり偏食しているうちにどんどんと純粋化、あるいは、原理主義化していく傾向も仕組みの中にあります。ただ、加えて日本のぬるま湯を脱することのできるメディアっていうのは登場するんですか?それとも、モア・オブ・ザ・セイムなんですか?

神保:いや、これは「さっき2時間かかるよ」って言ったのは冗談じゃなくて、ほんとにこれは究極的な問いなんですよ。つまり、これまでメディアというのは、インターネットというものがくるまでは、新聞にしてもテレビにしても、ものすごく特権的なビジネスだったんですね。要するに、新聞なんていうのも再販によって守られているってこともあるけど、日本でせいぜい全国紙が5紙、それから、地方に至っては、きょうちょっとほんとに議論しようと思っていたことだけど、各県に基本的に1紙しかないんですね。

(つづく)

・[ニコニコニュース]「メディアの公平性ってなんだ!?メディア帝王とジャーナリズム」全文書き起こし(1)~(5)
http://search.nicovideo.jp/news/tag/20150919_メディアの公平性ってなんだ!?メディア帝王とジャーナリズム?sort=created_asc

◇関連サイト
・[ニコニコ生放送]メディアの公平性ってなんだ!?メディア帝王とジャーナリズム - 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv234565032?po=newsinfoseek&ref=news
・ニコニコドキュメンタリー - 公式サイト
http://documentary.nicovideo.jp/

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