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「ツイッターを通じて出会った人たちに支えられた」復興への思い 被災地高校生・福田順美<インタビュー「3.11」第5回>

ニコニコニュース / 2012年3月5日 15時39分

岩手県陸前高田市の高校生の福田順美さん(左)と母の操さん

 岩手県陸前高田市の避難所で暮らしていた高校生3年生・福田順美(なおみ)さんが、ツイッターで被災状況や物資の支援を訴える発信を始めたのは、震災から1ヶ月経った2011年4月半ばのことだった。消防団員である父がツイッターを通じて物資の支援を呼びかけていることを知ったのがきっかけだ。震災前もツイッターを利用していたが、「ツイートをしても反応がなく、あまり面白くないと思っていた」という。

 「どうか残ったいのちを助けてください。これからを担う子供たちを見守ってください。お願いします」――。昨年4月16日、順美さんはツイッターでメッセージを発し始めた。順美さんは、被災状況や必要な物資について、つぶやいてみた。すると、そのつぶやきは被災地・陸前高田の情報を集めている人々によってだんだん拡散されて、やがて彼女のツイートには返事をしきれないほどの返信が集まるようになった。

 物資も続々と届けられるようになった。避難所の衛生状況などをつぶさに報告すると、詳しい人がアドバイスをくれるケースもあったようだ。こうしたやりとりは、6月に順美さんが避難所を出るまで頻繁に行われた。

 ことし2月上旬、筆者は、陸前高田市の仮設住宅で暮らす順美さんの元を訪れ、震災当時の話やツイッターに込められた思いなどについて聞いた。

・東日本大震災 3.11 特集
http://ch.nicovideo.jp/channel/311

(寺家将太)

■震災後のPTSDから救った『一緒にいるよ。一人じゃないよ』

 順美さんの故郷である陸前高田市は昨年3月11日の東日本大震災による津波で甚大な被害を受けた街のひとつ。津波は5メートルの堤防を乗り越え、名勝「高田松原」の松7万本をなぎ倒し、平野部に広がる人口2万3千の市街地を押し流した。2012年2月27日現在、陸前高田市の死者・行方不明者は合わせて1800人以上にのぼる。

 津波は、順美さんの幼なじみや親しい友人、先生、さらに家で飼っていた4匹の犬と1匹の猫の命をも奪った。

「あのとき足がすくんでいなければ、家にペットを助けにいけたかもしれない。もしかしたら誰か一人でも救えたのではないか・・・」

 震災後、順美さんは自分を責めた。津波が街を飲み込む光景を目の当たりにし、恐怖心もずっと消えない。取材無力感、虚無感にさいなまれ突然涙があふれ出す。昼夜を問わずフラッシュバックに襲われ、寝ても津波の悪夢で目が覚め、眠ることもできない日が続いた。発災から3ヶ月後、順美さんは次のようなツイートをした。

「ちょっと告白です。津波後、実はPTSD(心的ストレス障害)から鬱になりました。今は3種類の薬と1種類の頓服薬をのんでいます。(中略)たくさんの方々が無くなった中助かることができた命を粗末にするべきではないことは、自分でもわかっているのですが・・・(6月20日)」

 順美さんは6月初旬、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と医師に診断された。このことについて聞いてみると、あっけらかんとこう答えた。

「今も、薬を飲まないと眠れませんよ。1日10錠くらい飲んでいます。なんか薬漬けみたいな感じで、体臭も変わっちゃって困っています(笑)。でもやっぱり飲まないと、津波に追われている夢を見ることとかあって、精神科のケアや薬でなんとか平常心を保っているという面もあります」

 順美さんは真剣な表情でこう続けた。

「ツイッターでいろいろ励ましの言葉もいただきました。一番嬉しかったのは『一緒にいるよ。一人じゃないよ』って言葉。すごく楽になれた。ほかにも傷ついている人はたくさんいる。被災地で、誰も知り合いが死んでいない人なんてほとんどいないと思う。特に高田のような地域では。でも、そういうのって、なかなか外に出せないものなんです。自分は、そういう人たちの助けになりたい」

 順美さんは、4月から宮城大学の看護学部に進学する。将来は、保健師か看護士として経験を積んだ後、高田に戻って来て、被災者たちの心のケアの面から復興に携わるつもりだという。

■ツイートに溢れ出た思い

 順美さんのツイートの中で特に話題になったのは、8月12日と13日かけてつぶやかれた全60数回のツイートだ。12日夜に放送されたフジテレビのドキュメンタリー『わ・す・れ・な・い 東日本大震災155日の記録』を見た順美さんは、番組終了後、「自分も3月11日のことを伝えたい」と思い、ツイッターに書き込みを始めた。

 この連続ツイートは、有名なジャーナリストの目にも止まり、多くの人々に届くことになった。このころから、順美さんは「被災者の『自立』を意識するようになった」という。それは、マスメディアなどで「壊滅」と報道され、全国から様々な支援を受けた高田で生活しているからこそ生じた思いであった。以下、8月12日と13日のツイートの一部を紹介する。

「『とまって。お願いとまって。止まれとまれとまれ・・・』私は組んだ手を額に当て必死に止まれと願いました。上から見た高田は、私が今まで暮らしてきた、見ていた、大好きだった高田ではありませんでした。波があちらこちらで渦を巻き、見渡す限り海が『来て』いました。

不安は不安を呼び胸のなかはキリがない不安、悲しみ、悔しさ、怒り、そんな感情がひしめき合っていました。とにかく笑顔でいなきゃと心をあんなに強く持ったのは生まれて初めてだったと思います。

『なおー!!福田なおみはどこだー!!なおー!!』手には杖がわりの木を持った母といつもは大きい声を出さない父が消防のはんてんを着て必死で叫ぶ姿が目に飛び込んできました。私は声がでない程の喜びを身に染みて感じ、同時に震災後初の安心を感じました。私は父と母の間に飛び込んできました。2人もそれを受け止め、しっかりと抱き締めてくれました

初めの一週間は、あの津波を経験した人たちにとってとても壮絶なものだったと思います。流された町を歩けば場所を問わず遺体があり目にしない方が珍しい状態でした。消防団のみなさん、自衛隊のみなさん、警察のみなさん、寄付を寄せてくださったみなさん、被災地を心配してくれたみなさん、募金箱に大切なお金をいれてくれたみなさん、お元気にしていますか。

私はあなたたちのおかげで今の命があります。毎日に笑顔があります。助けてくれて本当にありがとうございます。

今度は一緒に生きてくれませんか。一緒に歩んでください。あとたくさん笑ってください。私が頂いたみなさんの気持ちは私にとても大切なものをくれました。絶望という言葉が相応しいような町に心に希望をくれました。みなさんが大好きです。ありがとう」

■被災地の「自立」をツイッターで訴える

 復興までの前途は多難だ。陸前高田市が挙げた「新たに15メートルの堤防設置」「土地の5メートルかさ上げ」などの復興案も、住民の納得を充分に得ているとは言い難い。また仮設住宅に被災者がいつまで住み続けられるのか分からない状況だ。

 そんな状況だからこそ、順美さんは高田の被災者たちに「自立」してほしいと願っている。少し長いが、昨年10月7日の順美さんのツイートを引用する。

「大人たちの意見を聞いていると高田はまるで引きこもりの子どものようです。ボランティアの方々や義援金という"ご飯"をとりやすい場所に置いてもらえて、さも"またよこせ"というように食器をもとの場所に置き自分は町という部屋から出ず、いつか助けの手がのべられるのを待つ。そんな風に見えます。

恥ずかしいことであり、直さなければいけませんが、私自身にも、そんな都合のいい考えがあったのかもしれないと今反省します。だからすごく厚かましいのです。やるせない気持ちでいっぱいになりますが、どうか高田に被災地に、きっかけを作っていただけませんか。一緒に輪を作って欲しいんです。日本のいいところは、そんなに広くないということです。みんなで手を繋いだらあっという間に輪ができます輪と輪が繋がるのはあっという間です。そうしてできた輪は被災地に限らず日本を強くしてくれるような気がします。

今日のつぶやきには賛否両論いろんな意見があると思います。私自身それを覚悟の上で書きました。震災への意識を薄れさせないためにも高田が被災地が変化を遂げなければいけないのかもしれません。

内側からしか言えないことだから、立場もわきまえずにいうと被災者なのは確かだけど、だからと言って自分で出来ることをしないのは甘えだ。全部自分でやらなくていい。それはまだ早い。みんな心のパワーが半分くらいしかないから、ちょうどみんなで助け合って足りないところにボランティアの人に入ってもらうくらいがそろそろちょうどいい。わざわざ遠くから来てくれた人に田んぼの草刈りやらせるのは酷だよ。ボランティアしてくれる人の気持ちを考えるのは礼儀であって当たり前。

いつからそんなに弱くなったの。腰が痛い肩が凝った膝が痛いっていいながらも今まで田んぼやってきたじゃない。今年もお米がとれる予定だったでしょ。それなら出来なくなってるはずないじゃない。腰や肩や膝が痛くなったら、その時こそ助けてもらおう。物資もらうときはパワフルじゃない。

だからやろう。頼ることも大切だけど、みんな支えてくれてるんだよ。だからゆっくりでも歩こう。やれないって思ったら、近くの若者にやってけんねーって言ってみて。よっぽどじゃなきゃ断らない。大丈夫。高田で育ったんだよ。みんな優しいから、だから市や県・自治体で本当に頑張ってくれてる方々やそれをしってる方々には私のツイートで歯がゆい思いをさせてしまったと思います。本当に申し訳ありません!!

わたしも大学を卒業したら、その一員になります。それまでに幅広い知識と教養としなやかさをみにつけます!批判や異論はあって当たり前のツイートだったので覚悟はしていますが、未熟者のつぶやきくらいに捉えてもらえると程よいです!」

■「1年経って、何かが終わったわけではない」

 順美さんと同じ仮設住宅に住む人に話を聞いたところ、当初は「絆」と呼べるようなものは感じなかったという。支援物資が届いた時だけ部屋を出てきて物資に殺到し、住宅の運営を自発的に手伝う人は少なく、ボランティアが来ても、すべて頼りっきりで自分では何もしない人もいたという。順美さんは言う。

「1年経ったからといって、何かが終わったわけではない。これからのことも何も決まっていない。ただ、1年経ったっていうことが、みんなの心に、そろそろ何かやんなきゃなっていうふうに考えさせてくれたらいいと思います。何かしたいけど何をしていいか分からない人とか、やる気はあるけど環境がないだけっていう人もいるはずです」

 順美さん自身、「両親や精神科医、ツイッターを通じて出会った人々など、たくさんの人に支えられてきたからこそ、『自分も何かしなくては』という気持ちが強くなった」と言う。自発的に行動範囲を広げ、がむしゃらにできることを探した順美さん。「頼まれたということは、自分にできるということ」と考え、可能な限り取材や来客にも応じた。

 母の操さんは、「近所の方から『順美ちゃんが知らない男の人について行っちゃったよ』と言われたことがあります。後から取材だと分かったんですけど。話しかけられたその場で取材に応じたみたいなんです」と当時を回想する。

 また順美さんは、被災地の高校生たちが復興について議論する教育支援プログラムにも、受験勉強の合間を縫って参加した。

「津波の残酷な現実を知っている自分たちだからこそ、伝えられることがあると思いました」

 今も順美さんはツイッターを中心に情報発信を続けている。先に引用した10月のつぶやきの後、手に職を持つ人が仕事を再開できるように、仕事道具の物資支援を呼びかけている。

 最後に順美さんは、地元の復興と自身の未来についてこう語った。

「復興に携わりたいけど、それだけの力が自分にはまだないです。いろんな人が考える大小さまざまな復興がある。そういったものを連携させていく形が理想です。だから、大学から外に出て、やりたいことを悔い無くやり切れるだけの力をつけてから高田に戻ってきたい。同じような考えの若者もたくさんいる。そんな私たちが戻ってきてやりたいことができるような体制を、街に残っている人たちが作っていてほしいなって思います」

◇関連サイト
・東日本大震災 3.11 特集
http://ch.nicovideo.jp/channel/311
・@naoming830 - 福田順美さんのツイッター
https://twitter.com/#!/naoming830

(寺家将太)



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