「本当はデモなんて、一刻も早く辞めたい」 首都圏反原発連合呼びかけ人、ミサオ・レッドウルフさん<「どうする?原発」インタビュー第12回>

ニコニコニュース / 2012年9月12日 15時30分

野田首相面会後の会見で話す、ミサオ・レッドウルフさん

 「会話に持って行かないというのは、こちらの戦法でもあったのですね」――首都圏反原発連合のミサオ・レッドウルフさんは、野田首相との30分にわたる面会を終えて、そう会見で語った。今回のインタビュー中、この言葉について問いただすと、こんな答えが返ってきた。

「1時間もあれば、そりゃ野田さんから失言の一つでも引き出しますよ。でも、当初与えられた持ち時間は20分です。日常的に会議をしている人ならわかると思いますが、20分なんて一人がしゃべって時間を引き延ばせばすぐに終わってしまいます。だから、首相の発言で時間をとられるよりも、こちらでイニシアティブを取って要求を述べ、最後に首相が『ご説明しました』で終わらせない方式をとるのが、最も効果的だろうと考えたのです。そうしてある種、決裂を演出したのです」

・特集「どうする?原発」
http://ch.nicovideo.jp/channel/genpatsu

 8月22日、野田首相は官邸に、首都圏反原発連合を招き入れた。首都圏反原発連合は3月から毎週金曜に、首相官邸前での反原発デモを主導してきた。昨年から各所で行われてきた反原発デモが合流して、結成されたこの連合の設立の呼びかけ人の一人が、ミサオ・レッドウルフさんだ。

■ 「運動のニューウェーブのような」立ち位置

 ミサオさんが、反原発運動に身を投じたのは、2007年のことだ。それ以前は、デザイナーとして活躍していた。一時期は米国永住も考えていたというが、たまたま日本に意識が向き、日本史への独自の興味から原発に関心を抱いた。そんな矢先に、知人から青森県六ケ所村の再処理工場建設反対運動に誘われた。

「当時、反原発運動をしていたのは、年配の方ばかりでした。そこで私たちは下の世代の若い人達が実際に来れるようなデモにしたのでした。そのときには日比谷野音の集会でライブも行なって、集会とデモに2000人の人がきました。これは当時としては、大きな数字でした」

 ミサオさんいわく、「運動のニューウェーブのような」立ち位置だったという。彼女が名付け親となり、7ロゴをデザインしたグループ「NO NUKES MORE HEARTS」は、その後も500~1000人ほどの集客力のデモを続けてきた。「左翼」的な考えの人も多かったが、「基本的には原発問題のみのシングルイシュー(※ 抗議活動を一つの問題に絞ること)で取り組んでいる人」が集まってきていたと語る。

ニコニコニュース

トピックスRSS

ランキング