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声優・大塚明夫の人生における「3つの分岐点」|“素晴らしい役者”より“メシが食える役者”を目指した若者が50歳を過ぎて気づいた“芝居の中にある自分の幸せ”【人生における3つの分岐点】

ニコニコニュース / 2021年12月10日 12時0分

 今、エンタメ業界の最前線で輝く人気声優たち。

 そんな彼ら、彼女らが、どのような人生を歩み今に至っているのか、その人生にはどんな分岐点があったのか。「もし聞けたら聞いてみたい!」と思う方は少なくないのではないだろうか。

 TVアニメやゲームのキャラクターボイス、吹き替えやナレーションに留まらず、アーティスト活動やテレビ出演など活躍の場を広げている「声優」という職業。近年、その規模も熱量も爆発的に拡大している。

 そこでニコニコニュースオリジナル編集部では、人生における「3つの分岐点」と題し、人気声優たちが辿ってきたターニング・ポイントをトコトン掘り下げるテーマの連載企画をスタート。

今の自分を形成するうえで大きな影響を及ぼした人物や出来事は?
声優人生を変えてくれた作品やキャラクターとの出会いは?

など、人気声優たちの人生における分岐点に迫っていく。

 記念すべき第1回となる今回は、大塚明夫さんにインタビューを実施。

大塚明夫 声優 インタビュー

大塚明夫さんの主な出演作品や関連ニュース情報はこちら

大塚明夫さんTwitterアカウント

 会社務めから役者の道へ踏み出したきっかけや声の仕事に出会っての変化、そして50歳を過ぎて気づいた“芝居の中にある自分の幸せ”など、大塚明夫さんの人生における分岐点をお聞きした。

 “素晴らしい役者”より“メシが食える役者”を目指していた若者が、「楽しく芝居ができればいい」と、演じることに一番の楽しみを見出すようになったのはなぜなのか。そして今後どのようにお芝居に向き合っていきたいと考えているのだろうか。“声優・大塚明夫”の人生に迫るロングインタビューをお届けしていく。

 また、来週には連載第2回の三森すずこさん、再来週には連載第3回の中田譲治さんへのインタビューを掲載予定。3週連続で人気声優たちの人生における分岐点に迫っていくので、合わせて楽しんでもらえれば幸いだ。

文/前田久(前Q)
編集/竹中プレジデント

分岐点1:社会人からドロップアウトして「売れない役者」という道へ

──本日は「人生の三つの分岐点」というテーマでお話をうかがって行きたいと思います。早速ですが、大塚さんの声優人生において、最初の分岐点、ターニング・ポイントと呼べる出来事はなんでしょうか?

大塚:
 「役者として立とう」と思ったときが、やはり最初の分岐点ですかねえ。

──著書の「声優魂」によると、役者としての第一歩は、23歳のときに文学座の研究所(文学座附属演劇研究所)の門を叩かれたことだったそうですね。

大塚明夫 声優 インタビュー
(画像は「声優魂 (星海社 e-SHINSHO)」より)

大塚:
 はい。当時はトラックドライバーをやっていて、毎月安定してお給料をいただける環境ではあったのですが、あるとき、「ちょっと待てよ?」と。このままこの仕事を続けていても、歳を取ったとき、同じように働き続けるのは難しいのではないかと考えるようになったんです。

 この仕事は僕が稼いでるんじゃなくて、僕の持っている車の免許証が稼いでいるようなものじゃないか。若くて元気なうちはいいけれど、これから先はどんどんきつくなっていくな……と。そんな想いがあって、活路を見出したい気持ちになりまして

 それともうひとつ大きかったのは、当時の自分は若かったので、毎日の生活がルーティーンになっていることに退屈してしまっていたんですよ(笑)。そういったモヤモヤを解消したくて、月給のもらえる社会人からドロップアウトして、「売れない役者」という道にあえて進んでみてしまったんです

──仕事を辞めて新しいことを始める……なぜそこで「役者」という道を選んだんでしょう。

大塚:
 それまでずっと中途半端に生きていたもので、選択肢が多いわけでもなく。その限られた選択肢の中で、乾坤一擲、夢があるほうに進もう。そう考えて、何の根拠も手掛かりもなく、この世界に足を踏み入れてしまった。

 お袋とは「30歳で目処がつかなかったら辞める」という話をしていたんですけど、「目処は付くはずだ」という、不思議な自信がありました。とはいえ、自分の経験を元に、「みんなも夢を持とう!」とは決して言えないですね。

──役者という職業に夢を見てはいけないと。

大塚:
 僕がやってこれたのは運の良さが非常に大きいと思いますから。役者の道を選ぶのはギャンブル。それも、10万円とか20万円とかの小さな金額じゃなく、人生を丸ごと張ってしまう危険なギャンブルです。

 僕の場合はコツコツやることで成功するような選択肢が限られていたから、危険な道を選ぶ踏ん切りが付いたんですよね。

──文学座を選ばれた理由はなんだったのでしょう?

大塚:
 当時の文学座は、『太陽にほえろ!』だとか、そうした有名作品に出演するための登竜門的なイメージがあったんです。

 若い役者志望なら、文学座か無名塾のどちらかに入らねば、みたいな空気があったんですよ。たとえば松田優作さん、中村雅俊さん、渡辺徹さんが文学座を経て、ドラマや映画で活躍されていました。

 おそらく制作サイドに、「文学座にいる若い役者なら、それなりにお芝居ができるだろう」みたいな判断があったのでしょうね。

──なるほど。役者を志すうえで文学座に入ることがある種の王道であったんですね。

大塚:
 ええ。そういう場所にいた方がいいと判断するくらいの頭は当時の自分にもあったので、受けてみたら、上手いこと潜り込むことができた。……まあ、そこから一年芝居を教わって、「はい、卒業です!」で話が終わってしまったので、困ったのですが(笑)。

 文学座に行けばなんとかなる……そんな、今にして思えば浅はかで、非常にちゃらい考えで踏み出した第一歩でした。

大塚明夫 声優 インタビュー

とにかく役者でメシが食えるようになりたかった

──ゼロから芝居の勉強を始める立場だった大塚さんにとって、高校演劇や大学演劇で経験を積まれた方々に囲まれての、文学座での日々はいかがだったのでしょう?

大塚:
 それまでまったく芝居に縁のない世界にいたものですから、芝居が楽しくてしょうがなかったです。

──楽しい、ですか。それは役を通じて、何か自己解放ができるような感覚があったとか?

大塚:
 今になって思えば、「役を通じての自己解放」や「自分とは違う人間になれること」に魅力を感じていたのかもしれません。でも当時は、とにかくただただお芝居をするのが楽しかった。

 お芝居とは分析していくと、つまるところ「ごっこ」じゃないですか。大の大人が真面目にやるわけですけれど、それでも「ごっこ」である。幸いにも僕にとっては「ごっこ」が面白かったので、夢中になっていったんです。

──トラックのドライバーから役者ですと、やることから周囲の環境まで大きく違いますよね。

大塚:
 それはもう。トラックドライバーの仕事では、当然ですが仕事中は基本的にひとり。職場は年上の人ばかりでした。

 そんな毎日を過ごしていた人間が、同世代の人間が集まって「ごっこ」遊びをする。ものすごい変化でしたし、本当に楽しく刺激的な日々でした。

──そんな刺激的な文学座の研究生を経て、こまつ座に所属されます。こまつ座は故・井上ひさしさん主催の劇団ですが、次の進路としてここを選ばれたのには、どのような理由が?

大塚:
 こまつ座の前に、亡くなられた賀原夏子さんが主催されていた、劇団NLTというフランス喜劇を主に上演する劇団に入れていただいたんです。

 ちょうどそのときに、こまつ座の旗揚げ公演がありましてね。雑務をしてくれる、若いお手伝いのアルバイトを探していたようで。

 で、井上ひさしさんの次女の綾さんが文学座の同期だったもので、「やってくんない?」と。「手伝ってよ」「いいよ」と、軽い気持ちでもぎりの手伝いをしたり、パンフレットに入れるチラシの折り込みをしたりしていたんです。

──臨時のお手伝いとして声をかけられたと。

大塚:
 ええ。ですが、そうこうしているうちに、NLTよりこっちの方がどうやら楽しそうだなと。それでNLTには謝って、こまつ座のでっち働きのようなものになりました。

──今、さらりとお話になられましたが、大きなご決断ではないでしょうか。こまつ座のどこに強く惹かれたのでしょう?

大塚:
 ひとつあったのは、そこで舞台の制作に触れたことですね。稽古場にはそのときはまだ顔を出していなかった気がしますが、集まってくるお客さんや、関わっているスタッフのひたむきな感じ……旗揚げ公演だから、いろんな想いが詰まっていたりするわけですよ。その中にいるほうが、ワクワクできた。

──当時のこまつ座は平田満さん、石田えりさん、夏木マリさんといった、のちに錚々(そうそう)たるご活躍をされる役者の方々が関わってらっしゃいました。

大塚:
 そうなんですよ。そういった人たちを稽古場で観ているとね、やっぱり上手い下手じゃない、何か言い表せないものがあったのを覚えています

 今、名前を出されたような方々とは違う、メディアであまり活躍されていない役者の中にも、芝居の上手い人は沢山いるんです。でも、何かが違う。その違いはなんなのか、常に研究しました。

大塚明夫 声優 インタビュー

──それはどういうところが具体的に違ったのでしょうか?

大塚:
 たとえば……先輩から言われたことがあるんですよ。「貧乏はいいけど、貧乏臭いのはダメだよ」と。

 その言葉をどう自分の中で噛み砕くのか、当時はずっと考えていました。お金がないときに「貧乏臭いのはダメだ」と言われても、「しょうがないじゃないか、実際貧乏なんだから!」と思ってしまうでしょう?(笑)

──ですよね(笑)。

大塚:
 でも、それで終わりにはできない。そこに向き合う戦いはやりました。ちょっと良い値のものを、見栄を張って身につけたり。

 あとはそう……なるべくお金のことを考えないようにしたり。お金のことを考えているんだけど、そのことはまわりに悟られないようにしよう! と。

──それはつまり、舞台に立っていないときでも素の自分を見せきらない、一枚皮を被って生きているような感覚でしょうか?

大塚:
 ああ、それはあるかもしれないですね! ただ、そうした行動をすることが役者として正解だったのかどうか……。

 僕の場合は素晴らしい役者になるのか、メシが食える役者になるのかという選択肢があるとしたら、メシが食える役者になりたいと思っていたので、そういうことは大事にするべきかなと思ったんです。

──素晴らしい役者よりもメシが食える役者……ですか。

大塚:
 ええ。お金を払う人にとって、貧乏臭い人に払うのは嫌なのかもしれないな、と。「みんな、この人にお金を払ってるんだな!」みたいな安心感が求められるのかもしれないと思って、できる範囲で身綺麗にしたりしていました。

 あと、仲間と飲めばちょっとだけ多めに出そうという素振りを見せたりね。あくまで、素振り(笑)。つまらないことですけど、そういうのが意外に大切なんじゃないかという気が当時はしていました。

 もちろん、演者として優れていることへの憧れも人一倍ありはしたんです。でも、メシが食えないのは嫌だったんですよ。胸を張って「自分は役者だ」と言えないような気がして

 とにかく役者でメシが食えるようになりたかったですね。それはもしかしたら、一度社会の、世の中の水を飲んでいるから余計にそう思ったのかもしれないですが。

分岐点2:親父から声をかけられた「声の仕事」

──では、2つ目の分岐点についておうかがいさせてください。

大塚: 
 それ以降、分岐していない気もするんですけれど……そうだなあ。僕は吹き替えから声の仕事に入ったんですけれど、そういう意味では、亡くなった親父(大塚周夫さん)が、「お前、声の仕事をやってみるかい?」と聞いてきたときが、あえて挙げるなら第二の分岐点かなあ。

 厳密にいえば「分岐」したわけじゃないんだけれど、役者として違う道が僕の中で生まれた瞬間でしたね。

──大塚周夫さんから声のお仕事の話があった際、役者としてはどのような活動をされていたのでしょう。

大塚: 
 こまつ座に入ってから、お芝居ばかりやっていたわけですけれど、お芝居をどれだけがんばってもお金は儲からなかったんです。持ち出しばっかりで。

 たとえば、こまつ座の旅公演というのがあって、半年ほど各地でお芝居をやる。そうすると、1日5000円しか支払われないとしても、旅のあいだは少なくとも飯は食わせてもらえるな、みたいな。

 ヒリヒリするけどフワフワした、楽しい時期だったので、先のことをそんなに考えずに夢中でやっていたんですが、あるとき親父が「お前、声の仕事をやってみるかい?」と聞いてきた。

──当時、声のお仕事に誘われて、実際に声のお仕事をしてみてどうでしたか?

大塚: 
 「こんなに素敵な仕事があるのか」と思いました。

 当時、芝居では食えないから、寒風吹きすさぶ時期や、太陽に炙られる時期も、朝の8時から夕方の5時まで外で肉体労働のアルバイトをしていたんです。

 それでいただくお金と同じくらいのお金が、当時、新人としてスタジオに行って、空調の効いたところで汚れもせず、汗もかかず、セリフを言うだけでもらえた。当時の自分にとってものすごい体験でしたね。

──大塚さんが目指していた「メシが食える役者」にも近づいたように思えます。

大塚:
 だからこそ「また呼ぼう」と思ってもらえるように頑張りました。生活がかかってましたからね。


セガールの吹き替えやブラック・ジャックとの出会い

──そうして取り組んでこられた仕事の中で、特に思い入れが深いもの、もしくは、転機となった役というと、どれになるでしょう?

大塚:
 いろいろあるんですけれど、吹き替えで言えば主役をいろいろやるようになって、スティーブン・セガールとハマったときは転機といえるかもしれません。

 お試しでいろいろな人が吹き替えていた時期もあったんですが、今はほぼ自分が演じさせていただいています。名刺代わりになる仕事のひとつですよね。

──確かに「セガールの吹き替えと言えば大塚さん!」という印象が強いです。

大塚:
 他にもデンゼル・ワシントンとか、ニコラス・ケイジとか、ほぼフィックスでやらせていただいている方はいますが、その中でもスティーブン・セガールはアイコンとしてわかりやすくて。

 ただ、悲しいことに彼も70歳近いですから、なかなかアクション映画に出演するのも難しくなっているのでしょうね。声を演じる機会も少なくなってきました。こういう寂しさを、吹き替えで活躍されてきた先輩たちも味わってきたんだろうなあ……と、最近は思いますね。

──ああ、たしかに、吹き替えのお仕事ならではのお話かも知れませんね。アニメのキャラクターは、経年では歳をとりませんから。アニメのお仕事ではいかがですか?

大塚:
 アニメーションで言えば、それまでにも主役をやってはいましたが、やっぱり大きいのはブラック・ジャックですかね。

 キャラクターとしては日本中の人が知っているくらい有名な役が、初めてシリーズもののテレビアニメーションになるときに声をあてられて、これも名刺代わりになりました。「ブラック・ジャックです」と言うと「ああ!」と言っていただける。

 ……まあ、「名刺代わり」みたいなことを、あまり気張って考える必要はないのかもしれませんが。それで仕事が増えるわけではありませんし、今でも「大塚明夫です」と言っても知らない人が、日本には山ほどいる。だからこそ、この仕事は楽しい、おもしろいんだと思うときもあります。

大塚明夫 声優 インタビュー
(画像は「【公式】ブラック・ジャック 第1話『オペの順番』」より)

──ブラック・ジャックは1993年のOVA以降、各種メディア展開でも大塚さんが演じておられますものね。スピンアウト作品の『ヤング ブラック・ジャック』でも、本編の若かりし日の姿は別の方ですが、ナレーションとしてブラック・ジャックを演じられて。

大塚:
 ありがたい話ですよね。本当に手塚先生の家の方角には足を向けて寝られないです。

 OVAのお陰で出崎(統)さんにも可愛がっていただけるようになったし。『あしたのジョー』をテレビで夢中で観ていた世代ですからね。出崎さんが僕の芝居を高く評価してくれたのは、すごくうれしかったですよね。

──外画の吹き替え、アニメでの声優としてのお仕事が本格化したあとで、朗読劇や舞台のお仕事にも、以前とはまた違った角度から取り組まれているようにお見受けします。

大塚:
 これは面白いものでしてね。何をやったからじゃなくて、どっちもやったことで、キャリアがどちらにもフィードバックされていくんですよ。

 声優で学んだことが舞台で全く役に立たないかというとそうではないし、逆に舞台で学んだことが声の仕事でも役に立つ。どっちもやったほうが効率がいいような気がしますね。少なくとも僕の場合はそう。だから、何か新しいことをやったから急に自分の何かが変わった、みたいな感じはありません。

──変化ではなく、むしろそこには連続性がある?

大塚:
 だと思います。……あ、でも、一個だけ意識が変わった仕事がありますね。BSテレ東で一年間、伊勢丹の精霊みたいな役をやったんです。

──ああ! 『真夜中の百貨店~シークレットルームへようこそ~』! 盲点でした。大塚さんのキャリアでも異色なもののひとつですね。

大塚:
 「声だけじゃなく、出て欲しいんですけど」と言われて、「えっ?」と最初は思ったけど、とにかくやってみたいなと思ったんです。

 あのお陰で、カメラが回る中で芝居をすることがそんなに怖くなくなったかな。声優としての仕事にフィードバックされているかというと、それはわからないですけれど(笑)。

大塚明夫 声優 インタビュー
(画像は「真夜中の百貨店~シークレットルームへようこそ~」公式サイトより)

分岐点3:50歳を過ぎて気づいた「芝居の中にある自分の幸せ」

──声優業以外の、「やってみたい」と思われる仕事に、何か共通点はあるのでしょうか?

大塚:
 あまりやったことがなくて、慣れてないことじゃないかな? ただ、それが演じることからあまりに乖離してくると、「それはいいや」ってなるんですけれどね(笑)。

──やはり「演じる」ことが、仕事の中でも最優先なんですね。

大塚:
 どうやら、そうみたいですね。「お金の問題じゃない」とは決して言いませんし、思いません。お金は大切です。

 でも、王侯貴族のような暮らしがしたいわけじゃない。ちゃんと家庭が成立して、できれば、食べたいなと思ったときに食べたいものが食べられるくらいのお金があればいいんだろうと。

──稼げる役者になることが目標だった若い頃と、少し心持ちが変わられた印象があります。いつごろから、演じることが最優先だと感じるように?

大塚:
 50歳を過ぎてからですね。10年くらい前か。そのころ、「ちょっとお腹いっぱいになっちゃったな」みたいな感覚があったんです。それで、自分の幸せはどこにあるのかをあらためて考えてみたらね、やっぱりそこに行き着いたんですよ。

 優れたホン(台本)と役者、スタッフ、観客、劇場が揃って、ワッ! とひとつになった瞬間に、僕はどうやら幸せを感じるんだな……と。

大塚明夫 声優 インタビュー

──それが、今の大塚さんの演者としての幸せなんですね。

大塚:
 はい。稽古場に行くと、若い人が、昨日までできなかったことが突然できるようになる瞬間があるんです。そのときは我がことのように嬉しいし、感動するんですよね。そういうことのひとつひとつがなんか、楽しいですね。これはお芝居じゃないと味わえない。

 声の仕事だと、ロングスパンで同じ演目を稽古していくことがないので、こういう楽しさは感じにくいんです。それでもやっぱり、若い役者が、アフレコが続く中で突然何かを掴む瞬間はある。そういう瞬間を沢山味わいたいですね。

 そういう意味では、50歳を過ぎて自分の幸せに気付いてから、欲張りになっていますね(笑)。だからコロナ騒ぎになってから、芝居もできないし、アフレコに一度に参加できる人数も限られているしで、中々そういう瞬間を味わえなくなっているのは悔しいです。

──ですよね……。

大塚:
 まあでも、そんな中でも「これは大変だな!」という仕事もいただけていますし、全く退屈はしていないんですよ。大変な仕事に追い詰められることはあっても。

──大塚さんが追い詰められる姿なんて、なかなか想像がつきません。

大塚:
 やっぱりだって、『ルパン三世』とかは大変なプレッシャーですから。元々ね、(小林)清志さんに「先輩だけど、あなたの芝居は違いますよ!」とか思ってたら違うのかもしれないけれど、こっちも50年『ルパン三世』を観ていますからね。

 清志さんの次元から外れられないし、それでいて、自分なりの次元も作らなきゃいけないし。見る人全員を納得させることはまず不可能だし、困ったなぁ……と。大変なものがありますよ。

大塚明夫 声優 インタビュー
(画像はTVアニメ『ルパン三世 PART6』公式サイトキャラクターページより)

『ルパン三世 PART6』情報まとめページはこちら

「こんな役者になりたい」ではなく「楽しく芝居ができればいい」

──なるほど。その次元大介役を引き継がれることも含めて、最後に、大塚さんの未来への展望……これからの分岐をうかがえたらと思います。たとえば、どんな役者になりたいか、とか。何かイメージはあられたりしますか?

大塚:
 「どんな役者になりたいか」というよりは、楽しんで行きたいですね。この考え方に関しては、50歳になる直前にあった大きな出来事が影響してます。

 シェイクスピアの『マクベス』でバンクォーをやる機会があったんですけど、そのときに親父が観に来てくれるというので、チケットを受付に置いておいたんです。

 で、終わったらスタッフから、「周夫さん、チケット代置いてってくれました」って言われてね。渡された封筒に、チケット代と一筆箋が入ってたんです。その一筆箋に、「楽しく芝居をしてください」という言葉があって。それを読んで、泣けてきたんですよ。80年生きて、役者という仕事をずっとやってきた人が、最期に……ではないけれど、80年掛けて辿り着いたのはそこだったのか! みたいな想いがした。

 だから楽しく芝居ができればいいかなと、今は思っています。もしかしたら、もっと自分勝手になってもいいのかもしれない。また親父が、「楽しく」という言葉のなかにどれだけの、どういう気持ちを込めていたのかを考察するのも、非常に面白くてね。

──「楽しく」……端的な言葉ですが、考えさせられもします。

大塚:
 当然ですけど、芝居にしんどい瞬間はあるんです。でもきっと、それすらも受け止めた「楽しい」だったと思うんです。

 あれですよ、武田真治さんのYouTubeの動画でね。ベンチプレスを上げているとだんだん辛くなってくるじゃないですか。そのタイミングで彼が、「あと5分しかできませんよー!」みたいなことを言うものがあるんですよ(笑)。

──しんどいことを楽しいことのように言い換える、逆転の発想ですね(笑)。

大塚:
 それを言われるとおかしくて、笑っちゃって、トレーニングが続かないんですけれど、芝居も結局そういうことなのかなって思いますね。……これって、もしかしたら自分にも終わりが近付いているのを実感しているのかもなぁ。

──そんな。

大塚:
 少なくとも、これから先、これまでと同じだけの長さは生きられないじゃないですか。90歳までやったとしても、あと28年。どうしたって、ゴールが見えてきます、少なくともいままでと同じペースで歩いていたら、すぐにゴールに着いてしまう。

 それなら、もったいないから楽しまなきゃな、と。何か役者としての目標を立てるよりも、その瞬間をちゃんと楽しんで、そして、「ああ、楽しかった!」という気持ちの中で、いつの間にか死んでいければいいのかな……なんてことを思いますね。

──今のお話をうかがっていると、三つ目の分岐点は「50歳を過ぎて、いろいろとあらためて考えたこと」なのかなと感じました。

 そして、そうした流れの中で、このたび『ルパン三世 Part6』から、次元大介役を小林清志さんから引き継ぐという大変な仕事があられるのも、なんだか運命的ですね……。

大塚:
 「大塚明夫版の次元大介を作ってください!」とおっしゃってくださる方が多くて、その言葉はありがたいですけれど、勝手に「これが僕なりの次元です、どうぞ!」とやってみせるのは、誰でも、それこそ新人でもできるんじゃないかな? と。

 そうじゃなくて、清志さんが50年掛けて作ってきた次元大介像にできるだけシンクロするようにがんばって、その上でどうしてもはみ出してしまう部分だけが「明夫版の次元大介」という認識でアプローチするのが、味だという気がするんです。

大塚明夫 声優 インタビュー
(画像はTVアニメ『ルパン三世 PART6』公式サイトエピソードページより)

──重ねようとしてもどうしても重ならない部分が大事だと。

大塚:
 このあいだ、ある伝統芸能の家元と飲んでいるときに、こんな話を聞いたんです。

 「自分は父から芸のすべてを叩き込まれて、コピーしている。本来は父と同じようにできなければダメなんだ。でも、体も違うし、持っている空気感も、声も、全部違うんだから、どう頑張っても同じにはならない。しかし、その違いが『正しい』と思っているんだ」と。伝統とはそうやって受け継がれていくものなんですね。

 そう考えると、次元の芝居にしても、やはり僕が勝手に作るのはどうも違う気がして。なるべく近づける……それだって簡単にはできないですけれど。2、3行のセリフを物真似するとはわけが違うので。

 そこを目指すことをまずは自分に課して、自分の癖から離れた芝居をやってみる。するとどうしてもシンクロできない部分が絶対出てくるので、そこを観る人たちには楽しんでもらうのがベストなのかなあ……という感じがしていますね。

──歌舞伎や落語に近い発想で、興味深いです。

大塚:
 ましてあの作品は、他の役者たちもみんな先代を踏襲しているじゃないですか。それを考えると、ここで「僕の次元をやらせてもらいます」って言ったら間違いなんじゃないかなと、やっぱり思うんですよね。

 そのスタイルでこの先作っていって、僕らが代替わりするときには「ルパンはこう喋る」「次元はこう喋る」みたいな型ができていたら楽しいなって思うんです。そうすると、「俺は初代が好きだ!」とか「やっぱり三代目だな」とか、歌舞伎のファンたちのような楽しみ方がもしかしたら、可能になるんじゃないかなって。どうです?(笑)。

──その未来は絶対に面白いです! アニメや、声優さんのお芝居の楽しみ方が、さらに広がる気がします。

大塚:
 今回のようなケースは、今のところは稀だと思うんです。稀だからこそ、挑んでみる価値はあるんじゃないかなと。もう1クール分の収録は終わったんですけれど、早く次をやりたいな! ってジリジリしています。

──末永く大塚さんの次元大介を楽しみたいです。

大塚:
 ありがとう! そのために、食事も運動も気を遣って。健康でいたいと思います。

 最近は、食べるものを魚メインに切り替えたりお酒もそこまで飲まなくなりました。90歳になっても自力で歩けるようにと運動もしたり……そう、『Fit Boxing(フィットボクシング)』ってゲームの声を担当したので、ソフトを貰ったんですよ。それ、やってますよ。

 インストラクターは僕の声じゃなくて、少佐(「攻殻機動隊」シリーズの草薙素子のこと)の声にしてますけど(笑)。

大塚明夫 声優 インタビュー
(画像は「Fit Boxing (フィットボクシング) 」より)

──田中敦子さんの声のインストラクターで『Fit Boxing(フィットボクシング)』をやる大塚さん! ぜひゲーム実況をしてください(笑)。最後の最後まで、楽しいお話をありがとうございました。

大塚:
 僕、厳しい人とか恐ろしい人とか思われてるようだけど、全然そんなことないんですよ。

──本当に。何度も取材であることを忘れて、一ファンとしてお話を楽しんでしまいそうになってしまいました。

大塚:
 ははは。いいじゃないですか。取材だって、他の仕事だって、僕のやってることと考え方は一緒ですよ。どうせなんだから、なんだって「楽しく」やりましょう!

大塚明夫 声優 インタビュー

 23歳のころ、トラックドライバーから役者の道を志した大塚さん。お芝居の楽しさに触れ、刺激的な日々を送るなかで目指したのは“メシが食える役者”(稼げる役者)であった。

 役者として食っていく。芝居の仕事で稼いで生きてこそ、胸を張って「自分は役者だ」と言える。無意識のうちにそう考えていたのかもしれない。

 そんな役者人生において、50歳を過ぎて変化が訪れる。

「優れたホン(台本)と役者、スタッフ、観客、劇場が揃って、ワッ! とひとつになった瞬間に、僕はどうやら幸せを感じるんだな……と」

 そう語るように、“演技をすること”、”芝居の中に生きること”こそが自分の幸せであると考えるようになっていった大塚さん。そして今、自身の展望について「どんな役者になりたいか」というよりは「楽しく芝居をしていきたい」と語る。

 芝居にもしんどいときはある。『ルパン三世 Part6』次元大介役は大変なプレッシャーである。それでも、その瞬間も含めて芝居を楽しみたい。ひとつでも多くの作品で、ひとりでも多くの役を演じたい。芝居の世界で演じ続けたい。紡がれていく言葉からはそんな想いが溢れ出ていたように感じた。

大塚明夫さん直筆サイン入り色紙をプレゼント!

 取材後、大塚明夫さんに色紙へ直筆サインを書いていただきました。今回はこのサイン入り色紙を抽選で2名様へプレゼントします!

 プレゼント企画の参加方法は、 Nアニメ&ニコニコアニメ公式Twitterアカウント(@nicoanime_PR)をフォロー&該当ツイートをRT。応募規約をご確認のうえぜひ奮ってご応募を。

大塚明夫さんの主な出演作品や関連ニュース情報はこちら

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