声優・三森すずこ、人生の分岐点には『ミルキィホームズ』のメンバーとファンがいた。アニメに詳しくない宝塚オタクが今日まで”声優業界”を駆け抜けてこれた理由【人生における3つの分岐点】
ニコニコニュース / 2021年12月17日 12時0分
「声優」のイメージは、ここ10数年で大きく変わった。
かつてのように、キャラクターのアフレコに徹するだけではなく、声優自身がステージに立って歌い踊ることは、今日では当たり前になっている。
声優の三森すずこさんは、ミュージカル俳優だった経歴を活かし、『ミルキィホームズ』や『ラブライブ!』、『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』などのアニメ作品に出演してきた。これらの作品は、作品に関連した楽曲を、キャスト自身がキャラクターに扮し、ライブや舞台、各種メディアに出演して歌い踊ることが大きな特徴となっている。
三森さんは、ミルキィホームズのメンバーとして、武道館単独コンサートに出演。また、『ラブライブ!』から飛び出したユニット・μ’sとして紅白歌合戦に出演、東京ドームコンサートも成功させている。「歌って踊る声優」を代表するひとりだと言えるだろう。
おはよう♪新しい1週間の始まり♪
— 三森すずこ (@mimori_suzuko) January 20, 2020
WSS終わって、放心して、スクールアイドルになった1週間だった…!
朝起きたら、色んなニュースにμ'sが…嬉しいね❤️#μsicforever #ラブライブフェス pic.twitter.com/wJrAAcdFUY
ニコニコニュースオリジナルで連載中の、人気声優たちが辿ってきたターニング・ポイントをトコトン掘り下げる企画、人生における「3つの分岐点」。
今の自分を形成するうえで大きな影響を及ぼした人物や出来事は?
声優人生を変えてくれた作品やキャラクターとの出会いは?
など、人気声優たちの人生における分岐点に迫る。
第1回の大塚明夫さんに続き、第2回となる今回は三森すずこさんにインタビューを実施した。
三森すずこさんは宝塚音楽学校受験をし、声優になるまではミュージカル俳優をしていたことは、これまでも本人より語られてきた。
本インタビューでは、さらに踏み込んで幼少期にどのような流れで宝塚やミュージカルにハマり、それが現在の三森さんにどのような影響を与えているのか、たっぷりと伺うことができた。
三森さんはデビュー直後から人気声優の仲間入りを果たしたが、それは単純なシンデレラストーリーではなかった。
多忙すぎるなかで「“三森すずこ”が何なのか分らなくなった」というほどの、混乱や葛藤があったことが赤裸々に語られた。
そしていま、三森さんは30代になり、人生で最も“声優としての演技”を追求する気持ちが高まっているという。
幼少期から現在まで、彼女を魅了し突き動かす“お芝居”は、「声優・三森すずこ」にとってどんな存在なのか。人生に迫るロングインタビュー、彼女の素直な言葉の数々にぜひ触れてみて欲しい。
分岐点1:帝国劇場で『レ・ミゼラブル』を観てビビビッときた
──今日は三森さんの人生の「分岐点」というテーマでお話をうかがわせてください。早速ですが、いま振り返ってみて、最初の分岐点だったと思う出来事はなんですか?
三森:
まずはやっぱり、「ミュージカルを観たこと」ですね。子供の頃からバレエを習っていて、ずっと漠然と「バレリーナになりたい」と思っていたんです。
中学2年生のとき、帝国劇場で『レ・ミゼラブル』という東宝の有名なミュージカルを生で観たときにビビビッときて。そこからミュージカル俳優を志したんです。
──『レ・ミゼラブル』のどこに「ビビビッ」ときたのでしょう?
三森:
バレエは「踊り」と「音楽」でみなさんを魅了するじゃないですか。ミュージカルにはそのふたつの要素に、さらに「歌」がプラスされる。『レ・ミゼラブル』にはダンスの要素はないんですけれど、セリフがほぼ歌の作品なんです。「こんなに歌の力って、心に刺さるんだ!」というのが、衝撃的でした。
島田歌穂さんという有名なミュージカル女優の方がいらっしゃるんですけど、その方が「エポニーヌ」という花形の役を演じていて。もう、その歌の音圧がバリバリッ!! と。
──舞台の音響で聴く、生歌ならではの衝撃ってありますよね。
三森:
この日の衝撃は、それで終わりじゃないんですよ!
終演後に近くの帝国ホテルで家族とご飯を食べていたら、隣の席にさっきまで舞台でマリウス役を演じていた役者さんがいらっしゃって。その姿がまたすごく輝いていたんですよね。「スターだな!」って感じ(笑)。
ラッキーが重なったというか、ミュージカルを生で観ただけでも感動してドキドキしているのに、さっきまで舞台に出ていた役者さんがすぐ近くにいる経験も同じ日にして、ドキドキが止まらなくなってしまったんです。
それまでにもミュージカルにまったく触れたことがなかったわけではないんですけど、「ミュージカルってこんなに面白いんだ!」って、完全に虜になってしまいました。
──ちなみに、どうして家族でミュージカルを観に行くことになったんですか?
三森:
もともと妹がミュージカル好きで、両親に「本物のミュージカルを観に行きたい!」とおねだりしたんですよ。私はただ、それに付いていっただけなんです(笑)。
妹は私と違って、子供の頃からいろいろなことにすごくアンテナを張っていました。いま思えば、妹の好きなものからずいぶん刺激をもらったなと思います。
──たとえば、ミュージカル以外だと何かありますか?
三森:
妹は声優も好きだったんです。飯塚雅弓さんのファンだったんですよ。だから飯塚さんの出演されていたミュージカルも観に行ったことがあったし、飯塚さんがよく載っていた『声優グランプリ』も定期購読してたんです。
あと、当時は姉妹で部屋が同じだったんですけど、深夜になると飯塚さんのラジオが掛かるように設定されていて、自然と声が聞こえてきました。
私は妹の影響でミュージカルにはハマりましたけど、声優さんにはそこまで当時は興味を持たなかったんです。でも、そうした形で雑誌やラジオが身近にあって、なんとなく声優さんの存在を意識するようにはなっていました。
ミュージカル部に入り、宝塚のオタクに
──ミュージカルにハマってからは、どんな行動を起こされたんでしょう?
三森:
中学校のミュージカル部に入りました。それまでは毎日バレエのレッスンに行くのに一生懸命で、部活をやっている時間がもったいないと思っていました。だから、中学2年生までは帰宅部だったんです。
──それはかなり環境が変わりますね。いかがでした?
三森:
まわりの友達も、先輩も、みんなミュージカル好きなので、「なんだここは、天国か!」 と思いました(笑)。
それで、その先輩のひとりから、「今度『ベルサイユのばら2001-オスカルとアンドレ編-』を宝塚でやるから、絶対観たほうがいい」と勧められて、観にいって。それがきっかけで、宝塚受験を決意するんです。
──三森さんが宝塚好きで、宝塚音楽学校を受験されたこともファンにはよく知られていますけど、そうやって流れが繋がるんですね。
三森:
そうなんですよ。正直にいえば、最初「宝塚ってなんだかキラキラしていておもしろいな〜」ぐらいのテンションだったんです。
でも観てみたら、とてつもなくおもしろくて!
それから『ベルばら』の漫画全巻を教科書のようにじっくり読み、和央ようかさんと花總まりさんが主演の『ベルサイユのばら2001-フェルゼンとマリー・アントワネット編-』【※】も観に行きました。
あとは過去の宝塚のビデオや、『タカラヅカ・スカイ・ステージ』【※】も録画して、天海祐希さんや涼風真世さん、それよりももっと前の世代の方たちの『ベルばら』も見比べて、すっかり宝塚のオタクになりました。「涼風さんのオスカルは、このセリフのときにこういう間の取り方をしている!」みたいな、細かいところをチェックして(笑)。
※『ベルサイユのばら2001』
「オスカルとアンドレ編」と「フェルゼンとマリー・アントワネット編-」の2つの公演が、東京宝塚劇場と宝塚劇場で入れ替わりに同時上演された。
※タカラヅカ・スカイ・ステージ
スカパー! で放送されている宝塚歌劇専門チャンネル。
──ただ楽しむだけじゃなく、そうした演出の差、同じ役を演じる役者さんたちの個性の違いに注目する、解像度の高い見方をされていたんですね。
三森:
仕草とか、めちゃくちゃ研究してました。
あとは『宝塚おとめ』という、劇団員全員のプロフィールが載っている毎年発行される雑誌があるんですけれど、それが当時の愛読書だったんです。名前を言われたら、その人のあだ名や出身地がパッと答えられるくらいのハマりようでした。
──それはすごいです!もともと凝り性だったのでしょうか?
三森:
実は小学校のときから、ハマっていた趣味があったんですよ。小5、小6くらいのときかな。クラシック音楽ばかり聴いていたんです。
父がオーディオ好きで、クラシックのレコードやCDをいっぱい持っていたんですよね。それで父の部屋に入っては、同じ曲のいろいろな交響楽団のバージョンを聞き比べて、「このバージョンはここのフレーズをこういうテンポでやってるぞ!」とかチェックしたりして。
──小学生でクラシックの音源マニアのような聴き方をされていたんですね。
三森:
友達にも理解されないと思って、学校では恥ずかしくて言えなかったんですけどね(笑)。
「すずこには、めちゃくちゃ投資した」
──宝塚音楽学校への進学を考えたときのお気持ちはいかがでした? あそこは15歳から18歳のあいだだけ受験資格があって、合格すると通っていた学校を辞めて、少し特殊な道へと進むことになるわけですよね。
三森:
勉強がそんなに得意でもなかったので、宝塚への進学を考える前から「早く学業から解放されて、朝から晩まで芸事のレッスンばかりをする、舞台のことだけを考える生活がしたい」と夢見ていたんです。それには宝塚受験をするのが一番の近道だな、という感じでした。
──なるほど。宝塚を受験するとなると、そのための特別なレッスンを、学校の外で受ける必要がありますよね。
三森:
そうですね。学校のミュージカル部のコーチもサポートしてくださったんですが、いつも部活を18時までやって、その後でバレエや声楽のレッスンに通っていました。
バレエは隣の県の先生に教わっていたんです。
──県外まで行っていたんですね。それはまた大変な。
三森:
宝塚のことをよく知っている劇団関係の知り合い伝手に教えてもらった先生で、週3〜4のペースで通っていました。
そこから家に帰ってくると、地元の駅に着いた時点で23時くらいなんです。で、次の日は朝6時くらいに起きて学校に行かなきゃいけないから、高校時代はとても過酷でした。
でも、ある日体を壊してしまったんです。10日くらい学校を休まなきゃいけなくなって、そこで「無理はいけないな」と思いましたね。
──でも、受験のためのレッスンは必要ですよね。どうされたんですか?
三森:
勉強を犠牲にする……(笑)。
──なるほど(笑)。将来を見据えた努力を優先されたということですね。
三森:
担任の先生も理解があって、「お前は頑張ってるから、授業中に寝てても俺は怒らない!」って言ってくれたんです。本当に、先生方は優しかったですね。委員の活動をちゃんとやっていたのもあったんですけど、「ただ、その代わりに体だけは壊すなよ」と言ってくれて。先生だけじゃなく、まわりの友達も、「すずこ頑張れ!」みたいに応援してくれていました。
──周りの方々にとても恵まれていたんでね。それに、ずっと一貫して、ご家族の理解も深いですよね。
三森:
そうなんですよ!
親からは 「すずこには、めちゃくちゃ投資した」って、いまだに言われます(笑)。「女優になるかもしれないから……」と、子どものころにいいお医者さんを探して歯の矯正をしてくれたこともありました。
バレエを習っていたときも、帰りが夜遅くなるから迎えに来てくれて。娘のために自分たちの時間を費やしてくれて、本当にありがたかったです。
来た……! 私の人生、来たぞ……!
──学校卒業後、すぐに舞台俳優生活がスタートしたのでしょうか?
三森:
卒業してすぐに受けたミュージカルのオーディションが、自分がその道を選ぶきっかけになった帝国劇場のものだったんです。『ミー・アンド・マイガール』の、役名のないアンサンブルでした。
『ミー・アンド・マイガール』は宝塚でも上演されている作品で、その宝塚バージョンがとても好きだったんです。ビデオが擦り切れるくらい観ていました。
そんな思い入れのある作品で、帝国劇場のミュージカルに受かったということは、「来た……! 私の人生、来たぞ……!」みたいな感じでしたね(笑)。
──おお、それは運命を感じますね。
三森:
そのあとも、ポンポンと順調にオーディションに受かったんです。
『ミー・アンド・マイガール』の次は、立て続けに同じ帝国劇場で『ルドルフ 〜ザ・ラスト・キス〜』に出演させていただけて。
──スムーズにキャリアを積まれたんですね。
三森:
楽しかったですね。だけど、いま思えばそれは仕事ではなく、学生時代の「ミュージカル好き」の延長でしかなかった気がします。
ただただ「好き」という気持ちだけでワーッと進んでいただけというか……。
──なるほど。
三森:
そこから次の道に進むきっかけになったのは、主演した舞台に、ブシロードの木谷高明社長(現在は代表取締役会長)が来たことですね。当時、私の叔父がブシロードに勤めていた縁で観に来てくれたんですけど、そのあとで「ミルキィホームズというプロジェクトでデビューする声優を探しているんだけど、来てくれませんか?」と声をかけてくれたんです。
うん、2つめの大きな分岐点は、やっぱりこれですね。
分岐点2:ミルキィホームズの声優に誘われた
──人生の第二の分岐点は、「舞台を観たブシロードの木谷さんに、ミルキィホームズに誘われたこと」。もはや伝説のように語られているエピソードだと思いますが、あらためてうかがってもいいですか?
三森:
最初は叔父から「うちの社長が観に来てくれたんだから、菓子折を持ってご挨拶に行きなさい」って言われて、正直尻込みしていたんですよ……(笑)。
でも、たしかにお礼はちゃんというべきなので、ひとりでお菓子を持って、当時は東中野にあったブシロードのオフィスに行ったんです。そこで、お礼をするだけで終わると思ったら「ミルキィホームズの声優を探してるんですけど、どうですか? 向いてると思うんですよ」って。
──三森さんの素質を見抜いたんですね。
三森:
うーん、どうなんでしょうか……でも最初は、「歌って踊れるからね」みたいな感じだったと思いますよ(笑)。
「これからは歌って踊れる声優の時代だから、どうですか?」と。私としてはびっくりですよ。「声優さんって歌って踊るの? 私の読んでいた『声優グランプリ』に歌ってる声優さんは載っていたけど、みなさん踊ってたかな?」みたいな感じでした。
──いまと全然、世の中での声優さんの立ち位置が違いましたよね。
三森:
そのとき、ミルキィホームズのキャラ絵を見せてもらったんですけれど、「眼が大きい~! 髪がピンク色ですね~!」と言ったら、キョトンとされたのを覚えています。
──でも、そのほとんど未知の世界に踏み出していくわけじゃないですか。お気持ちはどうだったんですか?
三森:
ミュージカル熱はまだ残っていたものの、このまま続けていても、アンサンブルやバックダンサーその他大勢のひとりで終わってしまいそうな危機感を覚えていたんです。もちろん、そうした方々も舞台にとっては重要で、アンサンブルやバックダンサーのプロフェッショナルを目指すのも、すばらしい道なんです。
でも、私は野心的な部分も持っていたので、もっともっと自分の可能性を試してみたいなと思ったんです。
──野心ですか。
三森:
声優さんの仕事に興味はあるし、これをやることで、私を知ってくれる人が増えるかもしれない。野心であり、好奇心ですね。
その頃に所属していた事務所の社長さんにも、「声優としてのお芝居は舞台のお芝居に通じるものがあるから、勉強になると思うし、やってみたら良いんじゃない?」と言われて、そうだよな、と。
──となると、最初は声優業をやりつつ、舞台にも立つという活動のイメージだったんですか?
三森:
そうですね。舞台俳優をやりながら声優もやられている方々がたくさんいらっしゃったので、舞台俳優と並行し、声優としての演技も学んで、自分の引き出しを増やしたい。みたいな感じで飛び込みました。
飛び込んでみたら、声優としてのお仕事にどっぷり浸かった感じですね。
──世界を広げてみようと思ったら……。
三森:
いつの間にか、すっっっごい広がっていきました……(笑)。いやぁ、カルチャーショックの連続でした。
前の事務所の契約が切れると同時に、いまもお世話になっている声優事務所の響に所属したんです。そのころは徳井青空さんと橘田いずみさんしか所属声優がいなくて、ふたりと一緒にミルキィホームズとしてのデビューに向けてレッスンを受けることになりました。
絵に合わせて声のお芝居をする練習だとか、ゲームのための音声収録の仕方とか、毎週集まってやっていました。
アニメファンの人たちにもっと早く会いたかった
──声優として表舞台に立つための準備をしていたんですね。
三森:
そうこうしているうちに、徐々にイベントで人前に出る機会も増えてきて。そこでまた、スゴい衝撃がたくさんあったんですよね。
そら(徳井青空)が、とにかく私のまったく知らない世界をたくさん教えてくれるんですよ。イベントで特技を披露するコーナーがあって、「私、バレエが特技なんだけど、どうかなあ?」って相談したら、「ダンスなら『ハレ晴レユカイ』を踊った方が喜んでくれるよ!」と。
いやもう、私は「『ハレ晴レユカイ』ってなんぞ!?」という状態で。でもアドバイスどおりにやってみたら、ドカンと盛り上がったんです。
それまでの私がいたのは、「難易度の高い技をやればウケる」世界だったんです。でもそのとき、この世界は何かが違う! と、はっきり理解できたんです。このカルチャーにはやく溶け込むために、そこからは必死でしたね。
──必死になったのは、どういうお気持ちだったんでしょう?
三森:
とにかくおもしろかったんです。そして、なんか悔しかった。
──悔しい?
三森:
いままで自分が、こんなすばらしい世界を知らなかったことが悔しくて。
来てくれたお客さんたちから、その当時はまだ全然知られていなかったミルキィホームズのことを、私のことを、「知りたい、受け入れよう」みたいな気持ちを感じたんです。
アニメファンの人たちって、私のパーソナルな部分を受け止めてくれるところがところがあるんです。そういう温かさに触れて、「何、この人たち! もっと早く会いたかったよー!」と思ったんです。
──すごい、温かいアニメファンに出会ったことが三森さんの心を動かしたんですね。
三森:
ああ、ホントにそうですね。アニメファンのみなさんとの出会いが、私を大きく変えてくれたと思います。
声優の世界に入って、ファンの方たちに応援してもらえるようになってから、言動にも気をつけるようになりました。
──言動って、例えばどういうところですか?
三森:
「ブログに、ご飯の写真ばっかり載せなくていい」って、そらが教えてくれたんです(笑)。
クリスマスにミルキィのメンバーと集まってご飯を食べたこととかは載せていいんです。ファンのみなさんが知ってうれしい、見たいことをちゃんと考えながら、「声優・三森すずこ」としてSNSやブログで発信する。
そうしたファンのことをちゃんと考えることを、そらちゃんときっちゃん(橘田さん)に教わりながら身に付けていきました。
あとは、木谷さんからも少しそういう話はありましたね。
──どんなことですか?
三森:
舞台に立っていたときは、髪色を明るくしていたんです。舞台ではウィッグを被ることも多いので、地毛がはみ出たときに目立たないように。
でも木谷さんから、「イメージを変えましょうか」といわれて、事務所に所属したときに黒髪に変えたんです。
──なるほど。でも、いまは明るめの髪色ですよね。
三森:
ミルキィに加入して一年くらい経ったときかな? タイミングを見計らって提案したんです。
「ユニット全員が同じ髪型だけど、ひとりくらい違うのがいてもいいんじゃないですか?」って。ときどき、変なところにこだわってしまうんですよ(笑)。
“三森すずこ”が何なのかわからなくなった
──ミルキィホームズとして声優としてのキャリアをスタートされてからは、怒濤の日々だったんじゃないですか?
三森:
怒濤でした。声優を始めてから、ホントにあんまり休んだ記憶がなくて、気づいたら一年終わってる! みたいなことの繰り返しでした。
年末年始はどこかしらでライブして、休む間もなく走ってる。そんな20代でしたね。それはそれで良かったのかな? とは思うんですけど。
──ミルキィホームズが特殊なのは、お芝居、歌、踊りに加えて、バラエティ番組的な仕事、芸人さん的な要素が求められていた点だと思うんです。これって、ここまでうかがってきた三森さんの人生にはなかったものですよね?
三森:
そうなんですよ! ないない!
──そこはどのように対応されたんですか?
三森:
そもそも最初は、「自分自身でいる」ということがよくわからなかったんです。橘田さんは「餃子が好き」、徳井さんは「アニメが大好き」みたいな個性がそれぞれあるじゃないですか。
「私の個性ってなんだろう?」 と、バラエテイ番組っぽい仕事になるとポツンと考え込んでしまっていましたね。
ラジオでもそうです。「ただの“三森すずこ”として話してください」と指示が出たら、悩んでしまっていたんですよね。「どういう人なんだろう、『三森すずこ』は?」と……。
──なるほど、難しい問題ですね。
三森:
例えば、舞台に立っているときは、大勢の中のひとりであっても、設定があったんですよ。「この人はこういう婦人で、もうすぐ結婚する人で〜」とか。
だから、役がない自分はスカスカに感じたんです。役から離れた「三森すずこ」が、どういうしゃべりをするのか全くわからなくなっていて、ただただ最初は混乱しました。
私って何もないなあ。ダンスだったらできるけど、しゃべりは本当に弱いな……と思いました。
──学生時代からずっと、夢に向かうために膨大なレッスンを受け続けて、仕事を始めてからも新しい世界を猛然と駆け抜けておられた。立ち止まって我が身を振り返る余裕なんてないですよね。そこで急に、仕事のために素の自分が必要になった。「自分探し」を始めなければならなくなった。
三森:
そうなんですよ。「トークコーナー? 何をしゃべればいいんだろう? 私の日常? でも私には忙しくて日常がないから」って。
──どうやって解決したんですか?
三森:
そこもやっぱり、ミルキィのメンバー、橘田さんや徳井さん、それに佐々木未来さんがいたことで解決できたんです。
ひとりでいる私はフラットな、何もない、白いキャンバスみたいな人間になっちゃうけれど、まわりのメンバーが鮮やかだから、気がつけばそこで自分が浮き彫りになっていく。趣味や特別な人生のエピソードがなくても、まわりにカラフルなみんながいれば、私は「白」という色で成り立つんだ。って、そんな感覚になりました。
──素敵な関係性ですね。
三森:
そうやって過ごしているうちに、徐々に「『私』ってこんな感じかな?」というもの出来上がってきたりもしました。
そのあと、ソロアーティストとしての活動が始まったことでも変化がありました。ソロのみもりんチームのみなさんが、「みもりんはこういう感じ!」みたいなイメージを作ってくれて。
──それはビジュアル的にですか?
三森:
見た目もそのひとつですね。ソロではお姉さんっぽい、きれいめな衣装を着させてもらって。
でももっと全体的なイメージで、たとえば音楽性の部分では、ソロだとキュンとするかわいい曲を歌わせてもらうことになったんです。
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──音楽活動はデビュー直後は甘くかわいい感じで、そこからかわいさを残しながらも、カッコよさやスタイリッシュさも加わってと、変化した印象があります。
三森:
「三森すずことは?」と、自分の中で少しさまよっている感じが出ていますよね。
みもりんチームの人たちが全力でプロデュースしてくれる中で、求められているものと、自分のやりたいことがちょっとずつ見えてきて、その繰り返しの中でさらに自分がわかってきたんです。
責任感を強くしてくれた園田海未、ファミリー感のあるミルキィ
──ミルキィホームズも、そのあとにスタートした『ラブライブ!』のμ‘sも、大ブレイクして10年続くものになりました。関わったプロジェクトがブレイクしたことで、三森さん自身の変化はあったのでしょうか?
三森:
『ラブライブ!』は、「園田海未役の三森すずこ」として、もっとしっかりしなきゃ! という責任感が強くなりました。
支えてくれる人も沢山いるし、応援してくださる人も沢山いる。だからしっかりやらなければいけない。ライブはひとつひとつ成功させたいし、テレビアニメも劇場版も、みんなが楽しんでもらえる作品になるように、忙しいけどひとつずつ丁寧にやらないといけないと思いました。
──なるほど、ミルキィホームズはいかがですか?
三森:
ミルキィは、ユニットとして人気が出てからも、あの場所があったから救われたようなところがあります。
ファンのみんなも、スタッフのみんなも含めて、ファミリー感がありましたよね。そもそもメンバーがみんな同じ事務所で、スタッフも会社のみなさんで、いっつも会社のボロボロのハイエースで移動してたんですよ(笑)。
ホントに「人が乗る車じゃないだろ!」「荷積み用だろ!」って思わずツッコミを入れてしまうくらいボロボロの車で。
──(笑)
三森:
そのボロボロの車でアニサマやMV撮影に行ってたんですよ。でも、かえってスゴく楽しかったんですよね。ボロボロな車で、それぞれの聴きたい曲を掛けて大声で歌いながら、途中でコンビニがあったらいろいろ買って。たまらなく楽しかったです。
──ツアー中のインディーズバンドみたいで、青春って感じがしていいですね。
三森:
そうなんですよ!苦労しているバンドみたいでした(笑)。
──ミルキィホームズとμ‘sのその距離感が両輪になって、上手く三森さんの中で活動のバランスが取れていたのが伝わってきました。
三森:
年間を通して、そのふたつの企画に費やす時間が圧倒的に多かったですしね。
他にも『ゆるゆり』とか、単発でイベントに出させてもらう作品もありはしたんですが、『ミルキィホームズ』と『ラブライブ!』が自分の仕事のスケジュールで、かなりの部分を占めていた時期が長かったです。
分岐点3:ミルキィホームズの活動が一区切り、“忙しかった20代”が終わる
──ミルキィホームズは活動終了、『ラブライブ!』は展開が続いていますが、三森さんの関わる活動は以前よりは穏やかになっている印象があります。いまの三森さんは、どういう感覚で活動されているんでしょう?
三森:
その話をすると、三つ目の分岐点の話になりますね。
「ミルキィホームズの活動が終了したこと」が、やはり自分にとって、大きな3つ目の分岐点なんだと思います。
──その話をもう少し聞かせてください。
三森:
μ‘sのファイナルが終わってからも、ミルキィが細々と続いていたのが、いったん一区切りを迎えた。まだまだこれからも活動はあるかもしれないけれど、いままでみたいにべたーっと沢山活動するわけじゃない。
そういう状態になる中で、自分の年齢が30代に入ったんですよね。ユニットとして区切りと同時に、「忙しかった20代が終わった」みたいな感じがしたんです。
──人生の、ひとつの節目が。
三森:
実はソロ活動も、1年に3枚CDを出して、ライブもやるような激しい波の時期が一旦落ち着いたんです。ちょうど新型コロナウイルスの影響で、仕事が自粛になったことも重なって。
そうしたら、30代になって初めて、自分の人生に暇な時間ができたんです。10代も忙しかったし、20代も死ぬほど忙しかったから……。
──今日ずっとうかがってきた話を思い返すと、言葉の説得力がすさまじいです。そうして時間ができた三森さんは、いま、どうしているんですか?
三森:
趣味を見つけようというか、「自分の時間を作ろう」と思って、いろいろとやっています。仕事はいまでも大好きだし、いろんな作品や舞台にも出たいです。
でも、そうした気持ちを持ちつつ、ちょっと落ち着いて、インプットしてもいいのかなと最近は感じています。観ていなかった映画やドラマ、触れてこなかった世界中の音楽に接するのが、なんだかいまはとても楽しい。
ずっと私、こういうことをしていなかったなと、急に気付いた感じですね。
──なるほど。
三森:
20代のときには、家にいる時間が本当になくて、振り返るとあのころの休日は何をしてたんだろう?「止まったら死ぬ」みたいな感じで、どこかに出かけていたり、誰かに会っていたのかな。
思い出せないですけど、最近は家でちょっと時間のかかるご飯を作ったり、人間らしい生活をしています(笑)。
──インプットを増やしたり、生活を充実させたことの、仕事への影響はありましたか?
三森:
毎日せかせかしていたころより、物語を消化できる余裕が生まれています。時間に追われて、とにかくいただいた台本の内容に応えるので精一杯な状態ではなくなりましたね。
あと、まわりの人にも、すこし優しくなれている気がするんです。
──そうなんですか? もともとお優しいイメージがありますが。
三森:
忙しくて、気持ちが殺伐としてた時期もありました(笑)。
ただ、優しくなったといっても、仕事に対しての欲がなくなったわけじゃなくて、受けさせていただけるオーディションにはどんどん参加しています。出演したい作品の噂を聞きつけたら、マネージャーさんにがめつくアピールしています。
──そうやってやりたいことを有言実行していくのも素晴らしいですよね。
三森:
「プリキュア」への出演も、何年もラジオ番組で訴えていて、本当に『ヒーリングっど♥プリキュア』のキュアアース役を射止められました。
やりたいと言ったら聞かないタイプなんですよ(笑)。
三森すずこの「森」は、森光子さんから取った
──では最後に、3つの分岐点を超えた、これから先の「未来」のビジョンをお訊きしたいです。
三森:
そうですね……少し時間に余裕ができて、じっくりと声優の仕事に取り組む時間が増えたことで、自分のお芝居に対してもっともっと頑張りたいところが見えてきたんです。「こういうシーンは苦手だな」とか。
ただただ与えられたことをやるのに必死だったのが、どうしたら求められているよりも上のものをお芝居で出せるか考えるようになりました。これから、そこにもっと挑んでいきたいと思っています。
──既にご活躍されているわけですが、さらに芝居を深めたい?
三森:
お芝居って、ゴールがないんです。年齢が重なっていけば、役の幅も広がる。いままでやらなかった役も来ます。
いままでやっていたような役でも、自分の人生経験が重なっていくことで、自分の中での解釈が変わっていったりもするはず。だから演じることを、ずっと続けて行きたいですね。
いまの事務所に所属する直前に、森光子さんの出演されていた舞台の『放浪記』を観たんです。
──超ロングラン公演をした、森光子さんの舞台での代表作ですか。
三森:
そうです。森光子さんはそのとき既にかなりのお歳だったのですが、それでも三幕構成の長大なお芝居で、ひとりの女性が20代からおばあさんになるまでを、おひとりで演じられていたんです。
最初の一幕でのお姿は本当に若々しく、最後のシーンでは年相応のおばあさんとして素敵なお芝居をされている森さんを見たとき「私もこんな風に、一生お芝居をしたいな」って思ったんです。お芝居だったら、80歳になっても20代として生きられる。それってなんて魅力的なことだろう、と。
──役者業の醍醐味ですよね。
三森:
だから私、森光子さんの「森」の字をいただいて、芸名を「三森すずこ」にしたんですよ。
──ええっ!? そうなんですか!?
三森:
そうなんですよ。事務所に所属するにあたって芸名をつけることになって、最初はそのまま、「『森』すず子にしたいです」って言ったんです。そうしたら「森じゃ検索に引っかからないから……」と難色を示されて。
で、最終的に私の好きな数字の「3」をつけて「三森」でどうですか? と言ったら、当時のマネージャーさんが「いいじゃないですか! 『みもりん』ってあだ名で呼ばれそうだし」って後押ししてくれて、いまの名前になりました。
──実際に「みもりん」はものすごくキャッチーなニックネームで浸透していますし、すごいエピソードを聞きました……。そうして歩みだした声優の道は、役者業の中でも生涯現役でご活躍される方が大勢いらっしゃいますよね。
三森:
そうなんですよね。とても夢があるじゃないですか。
私が死んだ後も、次の世代の私の家族が「おばあちゃん、こういう役をやってたんだ!」って見てくれたら、それもまたうれしいし。アニメや吹き替えで、声が形に残っていたらいつまでも聴けますよね。それってすごいことだし、そこを目指したいですね。
夢は帝国劇場のセンターポジション
──そんな声優への熱い想いをうかがった上でなんですが、人生で最初に抱いた帝国劇場のミュージカルへの夢は、もう三森さんの中では一段落しているんでしょうか?
三森:
それが、まだできてないんですよ!
でも、それは一生叶わなくてもいい野望ですね。
──ぜひ教えて欲しいです。
三森:
帝劇の舞台で観たミュージカルで「芸事の世界を極めよう!」と思った気持ちは忘れない。アンサンブルで出演はしたけれど、プリンシパル(主演)で、センターのポジションゼロに立つまではこの気持ちは消えないんです。
声優として死ぬまでがんばりたいという「夢」とは別に、帝国劇場のポジションゼロに立つまで、舞台での「夢」は完結しません。
ただ、舞台での「夢」は叶わなくてもいいのかな、とも思います。あそこは、永遠に自分の憧れの場所であってほしい気持ちもあるんです。チャンスが来たら拒否はしないけれども、永遠の憧れ、ロマンであってほしい場所ですね。
──それもまた素敵な話だと思いました。もし帝国劇場での主演が決まったら、またお話をうかがわせてください。
三森:
ぜひ!
──そして、末永く、これからもご活躍されるのを楽しみにしています!
三森:
がんばります! ありがとうございました!
声優業を始めるまで『涼宮ハルヒの憂鬱』すら知らなかったという三森さん。
アニメにまったく明るくない彼女が、それでも声優の道を突き進んだのは、「私のことを受け入れてくれた」というファンの存在だった。
幼いころから憧れていた宝塚やミュージカルではなく、声優という世界で「死ぬほど忙しかった」とまで語った20代を突き抜けることができたのも、きっとファンの存在があったからなのだろう。
インタビューを終えた直後から何度も、「帝国劇場のポジションゼロに立つまで、舞台での夢は完結しません。」と語ったことを思い出す。三森さんはそれを「一生叶わなくてもいい野望」だと言った。しかし、死ぬまでお芝居を続けたいという、野心と向上心が溢れ出す言葉の数々から、彼女はきっと夢を叶えるだろうと感じた。
次回、ニコニコニュースORIGINALに三森さんのインタビューが掲載されるのは、帝国劇場のミュージカルで主演を務めるときになるだろう。その日が、いまからとても待ち遠しい。
三森ずずこさん直筆サイン入りチェキをプレゼント!
取材後、三森すずこさんのチェキを撮影し、直筆サインを書いていただきました。今回はこのサイン入りチェキを抽選で3名様へプレゼントします!
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2021秋アニメまとめページ
三森すずこさん撮りおろしフォトギャラリー
インタビュー後、三森すずこさんのフォト撮影を行いました。
「3つ目の人生の分岐点」を迎え、お芝居に向き合う三森さんの“いま”が詰まった表情の数々。
記事とあわせて、ぜひお楽しみください。
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