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声優・中田譲治が初めて自身の強みに気付いたのは『HELLSING』アーカードだった。“年齢を重ねることで落ちる力”を受け入れて──役者人生で貫く「感性を磨き続ける」心構え【人生における3つの分岐点】

ニコニコニュース / 2021年12月23日 12時5分

 テレビアニメやゲームのキャラクターボイスに限らず、ライブ活動やイベント出演など活躍の場を広げている「声優」という職業。将来の夢を「声優」と答える若者も少なくなく、いまや憧れの職業のひとつとなっている。

 今でこそ、声優事務所があり、養成所があり、専門学校があり、「声優」を目指す人の多くが「最初から声優になりたくて声優を目指している」

 しかし、ひと昔前は違った。舞台、映画、テレビ、そして声の仕事。「声優」は役者としての選択肢のひとつだった時代があった。

 今回お話をお聞きする中田譲治さんも、学生時代に演劇を学び、テレビドラマや特撮ドラマでキャリアを積み、声の仕事という道を選択した役者のひとりだ。

中田譲治 声優 インタビュー 

中田譲治さんの主な出演作品や関連ニュース情報はこちら

中田譲治さんTwitterアカウント

 声優・中田譲治と言えば、『Fate』シリーズの言峰綺礼や『HELLSING』のアーカードをはじめ、数多くの渋くてかっこいいキャラクターを演じる人気声優

 その渋くて、ダンディで、身体に響く声で、多くの“イケおじ”を演じる反面、Twitter上ではチャーミングな立ち振る舞いで多くのファンを楽しませてくれるエンターテイナーでもある。

 今回の取材では、そんな中田譲治さんの人生における分岐点に迫るべくお話を伺ったのだが、分岐点はもちろん、『機動戦士Vガンダム』や『ケロロ軍曹』の撮影現場での出演者やスタッフとの交流など、貴重でおもしろいお話もお聞きすることができた。

 もともと芝居経験もなく、強い情熱もなかった若者が、劇団の道を諦め映像の世界に入り、声の仕事と出会い、富野監督をはじめとするクリエイターたちと作品作りを重ね、自分の役者としての強みに気づいていく、そんな芝居に生きる中田譲治さんの人生を今回のインタビューでは紐解いていく

中田譲治 声優 インタビュー 

 人気声優たちが辿ってきたターニング・ポイントをトコトン掘り下げる連載インタビュー企画、人生における「3つの分岐点」

 第1回の大塚明夫さん、第2回の三森すずこさんに続いて、今回は中田譲治さんへのインタビューをお届けしていこう。

文/前田久(前Q)
編集/竹中プレジデント

分岐点1:高校卒業後に演劇の世界へ

──本日は「人生の分岐点」というテーマでお話をうかがっていければと思います。早速ですが、中田さんの人生の最初の分岐点といえる出来事はなんでしょうか?

中田:
 これはきっと、このテーマにお答えになるみなさんそうだと思うのですけれど、人生は選択の連続で、分岐は3つどころじゃないですよね。いろいろなところで、「こっちのほうがいいかな?」「自分はこうあるべきだな」と考えながら選択をしている。

 ただ、自分はこれまで、生業として「声優」という仕事をやってきました。そうした「今」の視点から振り返ると、一番大きな分岐点は、高校を卒業したときです。

中田譲治 声優 インタビュー 

──高校卒業後の進路は、やはり人生の大きな岐路ですよね。

中田:
 うちは母ひとり、子ひとりの家庭で、経済的に余裕があったわけでもないので、普通に就職して、親の面倒を見なければと思っていたんです。

 だからいわゆる普通の大学に行こうと思っていて、親にもそう言っていたんですけれど、そこから演劇の専門学校……桐朋学園大学短期大学部に進んだのが、大きな第一の分岐点だったかなあと思います

 もしあのとき普通の大学に行っていれば、会社勤めをして、お給料をいただく暮らしをして、もしかしたら今はもう定年で隠居していたかもしれない。よかったのか悪かったのかわかりませんが、大きな分岐点だったと思います。

──そもそも役者の道を進路の選択肢に加えたのは、なぜだったんでしょう?

中田:
 後付けで何かカッコいいことを言ってみたい気持ちもありますが、正直にお答えすると、勉強が好きじゃなかったのと、演劇の世界がカッコよく見えたからです。

 大それた覚悟はありませんでした。「テレビに出ている人たちみたいにドラマに出てお金が稼げたらいいなあ」みたいな、安直な気持ちが多分にあったような気がします。

──ある意味で、十代の少年らしい発想というか。

中田:
 あとは……高校のころの自分は割と根暗だったんです。外から見てどうだったかはわかりませんが、人とコミュニケーションをとることに苦手意識があって。アルチュール・ランボーや坂口安吾を愛読しているような学生でした。

 一足す一が二じゃない、白は必ずしも白じゃない……そんな人間のファジーな部分に、精神が惹かれていたように思います。だから自然とそういう道に行ったのかなと。

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──いわゆる文学青年でらっしゃったわけですね。お芝居の経験はそれまでなく?

中田:
 なかったですね、まったく。本当に大胆な選択をしました。

 一緒に試験を受けた子たちは、小さい頃にお芝居に関する習いごとをしたり、地方の演劇を見て感動して、「自分も役者になるんだ!」と強い情熱を持った人が半数以上で、僕みたいに「なんだかよくわかんないけど、入ってみようかな」というのは少数派だったと思います

 受かったのは養成所【※1】だったからかもしれません。今になって思えば、試験官の人も変に色がついたり固定観念がある人より、素材のままで素直な人のほうが可能性を感じる部分もあったのかもしれませんね。

※1……桐朋学園大学短期大学部の芸術科演劇専攻は俳優座の養成所が前身。名称が変わってからもその性質が残っていた。

──必ずしも最初から実力のある生徒がほしいわけではなかった、と。

中田:
 僕自身は実際にはやったことがないですけれど、自分が入学試験の審査員になったとしたら、その時点での上手い・下手じゃなくて、やはりそこを見る気がします。何年も同じことを一生懸命やっていれば、誰でもある程度までは、技術的には上手くなりますから。

 それよりは雰囲気や声、立ち姿といった、役者としての可能性を感じる部分を評価する。そうした面で、僕は何かを見つけてもらえてラッキーだったと思います。

──まっさらな状態で飛び込まれた演劇の世界は、いかがでしたか?

中田:
 本当に何もわからない状態から、演劇論や演技についての本を教えられるままに読んだり、グループ課題で組んだ詳しい人に酒を飲みながら演劇の話を聞いたりして、ワイワイガチャガチャと過ごしていました。綿に水がだんだんと染み込むような感じで学ぶことができて、学生生活の3年間は楽しかったです。

 ただ、僕は自分の好きなことを楽しくやっていましたけれど、親にしてみれば3年間、卒業してもその先どうなるかわからない学校に高いお金を払ってくれていたわけですよね。今にしてみれば、親という存在はスゴいなと思います……。

感性を磨き続けていく──役者としての心構え

──養成所での交流やカリキュラムで学ばれたことの中で、今のご自分の仕事に一番活かされているものは何ですか?

中田:
 これが! というものはとくにはありません。もちろん、そこで教わった基本的な役者としての技術は、仕事をする上で必要なものですけれど。

 それよりも演技に対する心構えとか、生活に対する心構えの大事さ……感性を磨き続けていくことが、自分の人間を大きくし、ひいては仕事に深みを与えるということを、養成所時代に学べたことが大きいですね。今でもその心構えは大事にしています。

 演技の本当に上手い人は山のようにいますからね。僕なんか、今でも自分を客観的に見たら、役者の中では下手くそなほうだなあと思います。

──そんな。

中田:
 上手さだけで勝負をしたら、僕ではとても敵わない役者は大勢います。僕自身の問題としても、ある程度の年齢になって、自分が若いときにはできたことが、自分の中で少しずつできなくなっていることを、肌で感じることもあります。

 悲しい話ですけれど、どうしてもそうなっていくんですよね。考えても見てください。肉体だけにしても、昔できたスポーツが、今、同じようにできるだろうか? 多分できませんよね。それは自然の摂理で仕方ない。

──確かに……。

中田:
 そうしたことに対処するために大切なのが、心構えなんです。どれだけ真剣に物事と向き合えるか……社会問題にしてもそうだし、人間関係にしてもそう。自分の仕事に関してもそうですね。

 ひとつひとつの物事に対して誠実に、逃げないで向き合って、そこから返ってくる責任も引き受ける覚悟をする。社会的な客観性とか、年齢を重ねて手に入れたいろいろなものさしを使って、若いときにはできなかったような形で物事に接することで、できなくなったことを補うしかない。

 そのための大事なバックボーンが、物事への誠実さだとか、常識、愛情……つまりは心構えなんです。それが、養成所のころに得たもので、ずっと今でも残っていることですかね。

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──普段の日常生活でも自分を磨き続けておられる。ストイックな生きかたです。

中田:
 というか、怖いんですよね。自分の中の感情……好奇心をなくしてしまうことが

 例えば綺麗なものを見たり、身体を鍛えたり、映画を観たり、美術展に行ったり、時間があると気分転換に行きます。このあいだは薔薇を見に行きました。それもこれも心を敏感に、柔軟にしておきたいからです。

──「怖い」ですか。

中田:
 声優の世界に明確な引退の基準はないですが、生業にし続けるのは難しい。声優の仕事は自分で作るものではなく、あくまでいただくものですから、仕事がなくなれば嫌でも引退になります。ただ、自分の中ではそれとは別の基準を設けているんです。

──なんでしょう?

中田:
 役をいただいたときや、できあがった作品を観たときに、自分が感動できなかったら引退かな、と

──そうした基準をお持ちですと、たしかに好奇心を失うことは怖いですね。声のお仕事の中には、ナレーションもありますが、それもですか?

中田:
 ナレーションのお仕事も含めてそうですね。ナレーションも原稿や映像に対して、自分の中で気持ちが動く瞬間がまだあるからやっています。

 逆にいえば、いくつになっても、どれだけ技術的に未熟であっても、それがある限りは続けていいと考えています。演技には正解はありませんから。自分なりに精一杯やったら、あとの評価は別の問題です。

 だから実は、本番よりも稽古のほうが、ある意味では楽しいんですよね。ああでもない、こうでもないと、台本と向き合いながら自分の気持ちが動くところを探しているときは楽しい。なので稽古時間が長くとれる作品のほうが好きなんです。

──芝居をとりまく一連の時間の中で、いちばん楽しいのは練習の時間なのですか?

中田:
 ああ、いや、そうとられると語弊がありますね。本番は練習の成果を出す場所ですし、緊張するじゃないですか。そういう意味では準備段階のほうが楽しくはあります。

 ただ、やっぱり芝居の世界に身を置いていて最高に楽しいのは、本番で他の役者のみなさんと実際に芝居を合わせてみて、向こうが思わぬ出方をして、こっちもいい返しかたをできたとか、そういう大勢の感性がぶつかることで、ひとりではできない、その場でしかできないことができたときですね。

 「おお! 最高だね、このチーム!」と感じる瞬間がいちばんです。

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分岐点2:野村道子さんに誘われて声の仕事へ

──では、次の分岐点のお話に移らせてください。

中田:
 もともと養成所卒業後は、どこかの劇団に入って演劇を続けていこうと思っていたんですが、入りたかった劇団の試験に落ちてしまって。

 それをきっかけに気持ちが変わって、団の道は諦めて、知り合いに誘われた芸能プロダクションに入って、マスコミ(映像表現)の仕事に進みました。この進路を変えたタイミングが1.5個目くらいの分岐点だったかなと思います。

──大きな決断に思えますが、1.5なんですね。

中田:
 養成所の卒業生は、俳優座はもちろん、文学座や青年座、劇団昴といった劇団に入って舞台役者を目指す人が7割、マスコミ(映像表現)の仕事をしたい人が2割くらい、残りの1割くらいはまだ何がしたいかわからない人だった印象でした。

──舞台にこだわり続ける選択肢は、なぜなかったのでしょうか?

中田:
 これは言い訳かもしれないんですが、劇団で下積みのまま10年、20年と経つよりは、マスコミのほうで働いて、少しでも母の助けになればいいなと思ったんです。

 で、映像の仕事を10年以上やっていた中で、たまたま野村道子さん【※2】と舞台でご一緒することがあったんです。その際、道子さんが夫の内海賢二さん【※3】と賢プロダクションという声優事務所を作って独立するので、「譲治もよかったら声の仕事やってみない?」と声をかけてくれた。それがそのあと声の仕事をするきっかけで2つ目の分岐点といえるかな、と。

※2……声優・俳優。主な出演作に『サザエさん』(磯野ワカメ役(2代目))、『ドラえもん』(源静香役(テレビ朝日版・初代))など。第10回声優アワード功労賞受賞。現在は賢プロダクション相談役。

※3……声優・俳優。主な出演作に『Dr.スランプ アラレちゃん』(則巻センベエ役)、『北斗の拳』(ラオウ役)、『はじめの一歩』(鴨川源二役)など。第8回声優アワード特別功労賞受賞。2013年に逝去。

──2つ目の分岐点は、「野村道子さんのお声がけで、声の仕事に踏み出したこと」。

中田:
 はい。本当にありがたかったですね。今でも道子さんにはご恩を感じています。

 映像の仕事を続けていたら、もしかしたら好きな人ができて結婚したり、その他の理由でも安定した収入が欲しいとなったときに、役者を辞めていたかもしれません。映像や舞台の世界で生きていくのは、僕にとっては厳しかったんじゃないかなと。

 誤解されたくないのが、どの世界がいい、悪いじゃないんですよね。あくまで僕にとっての選択肢としては、声の世界が悪くなかった

「映像」と「声」、どちらを選ぶか迷った時期もあった

──ただ、大河ドラマにご出演され、特撮でも「超新星フラッシュマン」のサー・カウラー、「超獣戦隊ライブマン」の大教授ビアスと印象的な悪役を演じておられ、ほかにも出演作は多々あります。

 外から見ると実写の仕事を続ける道もあったように見えるのですが、声優の道へ進むご決断をされたとき、どんなお考えがあったのでしょう?

中田:
 正直にいえば、そこも桐朋学園に入学したときと同じで、強いきっかけがあったわけではありません。

 これもまた浅ましい話ですけれど、道子さんに声をかけていただいたあとも、しばらくは映像の事務所と声の事務所の両方に所属する形になっていて、実はどちらを選ぶか迷っている時期もあったんです。

──仕事の種類でマネジメント先が分かれていたんですね。

中田:
 でも、例えば映像の仕事の問い合わせが来たとき、僕くらいのクラスの人気だと、1週間スケジュールが丸々空いていて、相手に丸投げできるような状態じゃないとなかなか決めてもらえない。スケジュールが空いてないのなら、他の人に仕事が行ってしまう世界だったんです。

 そうなると、声の事務所に仕事が来たときに、まず映像の事務所に電話して、スケジュールが押さえられているかどうかを確認して、そこから声の事務所に折り返すという、二度手間が掛かっていたんです。

 で、だんだんと声の仕事が忙しくなってきたときに、「これはもう、どちらに専念するか決めてもらえないか」と事務所から言われてしまって。

──依頼が増えたら、そうなりますよね……。

中田:
 これは半分冗談として聞いていただきたいのですが、映像の仕事と声の仕事の源泉徴収票の額面を比べて、「よし、声の仕事をしよう!」と決めました(笑)。

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──ははは(笑)。でも、個人事業主はひとりで受けられる仕事に限りがある以上、仕事の取捨選択のジャッジはとても重要なことですよね。

中田:
 それに……そのころ、自分が実写の役者として、「こういう役どころだったらいけるんじゃないか?」という、確固たるモノがなかった気がするんですね。

 「役者はどんな役でもやるべきだ」という養成所の教えを引きずっていたところもあったのかもしれませんが、10年近くやっていても、自分のウリがどこにあるのかわかっていなかったんです。

──うむむ……。

中田:
 もともと、別に演じることは好きだけど、舞台だけ、映画だけ、テレビだけ、声の仕事だけ……といったこだわりはなかったんですよ。

 昔は映画の役者がテレビの作品に出たり、舞台の人が声の仕事をすると、「芝居が荒れる」と言われたものなんですが。そういう時代の中で、僕自身はどんな形でもいいから演じる仕事があって、生活が安定して、自分のペースでやっていけるならなんでもいいと感じていました。

 そういう意味では、いい加減だったんでしょうね。舞台や映画に命を捧げるとか、そういう強い気持ちは残念なことになかったんです。むしろ生活基盤がないと、時間に追われて自分を磨くこともできないのが心配でした。

──さきほどうかがった「心構え」が崩れてしまうわけですね。賢プロダクションに所属されてからしばらくは内海賢二さんの仕事に付いて回られていたそうですが、そこから刺激を受けることはあったのでしょうか?

中田:
 それはもう。内海さんは演じているときだけではなく、普段のたたずまいからカッコよくてダンディですし、くっついて一日歩いていると、午前中に映画の予告のナレーション仕事をやって、次にCMのナレーションをやって、そのあとでアニメの収録をして、最後に外画の吹き替えをやって……と、ご自分のペースでものすごい量の仕事をやってらっしゃるのを間近で見られた。

 で、車はいい車に乗ってらっしゃって、服もおしゃれな、まさにスターの雰囲気でしたね。もちろん、声やお芝居も唯一無二の個性をお持ちでした。

 そうした姿を見ながら声優の仕事を覚えて、連れ歩かれる中でときどきは演じる仕事も振ってくださって、そうしたことがなかったら、普通は僕のようなキャリアの人間はやっていけなかったかもしれないですね。

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いくつもの貴重な経験ができた『Vガンダム』の撮影現場

──お仕事の履歴を見ると、アニメの声のお仕事がグッと増えるのは1993年ごろ。『機動戦士Vガンダム』でナレーションに加えて、“宇宙の虎”ゴッドワルドなど印象的な脇役を多数演じられ、翌年には『BLUE SEED』に敵のボスにあたるムラクモ役でレギュラー出演されます。

中田:
 おそらくそのころには、ご縁があって賢プロから、今所属している大沢事務所に移籍していたと思います。

 大沢事務所にはキャスティングマネージャーという作品の配役の仕事をする方がいて、自社所属の声優以外にも合う役があれば声をかけていたんです。そのときのチーフマネージャーに何度かお世話になっているうちに誘われて、僕としても可能性にかけてみたくなって、移籍することになりました。

 そこからしばらくはナレーションやCMの仕事を生業にしていて、少しずつアニメや外画の吹替といった、芝居の要素がある仕事も入るようになりました。それがこの時期だったのだと思います

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(画像は「機動戦士Vガンダム」公式サイトより)

──『Vガンダム』の富野由悠季監督は、セリフまわしを始め、役者さんとの関わりかたには独特なものがあると聞きます。中田さんの目から見た『ガンダム』の現場はいかがでしたか?

中田:
 いやぁ、すごく印象に残っていますね! 富野さんのお仕事ですと、その前に『ガイア・ギア』という、富野さんの小説を元に遠藤明範さんが脚本を書いたラジオドラマをやらせていただいていたんです(※ビジャン・ダーゴル役)。

 『Vガンダム』の音響監督の浦上靖夫さんとも富野さんとも接点がほぼなかった状態で、いきなりナレーションという重要な仕事に呼んで下さったのは、もしかしたら『ガイア・ギア』を聴いてくださっていたのかな? と。ご本人に確認をとってはいませんが。

──富野監督のお名前は、お仕事で関わられる前から意識されていました?

中田:
 当時、アニメといえば小さいときに観た『鉄腕アトム』や『あしたのジョー』くらいしかろくに観ていなかったもので、『ガンダム』がどれほどすごいシリーズなのかも、富野さんがどれだけ怖くてスゴい人かも知らなかったです(笑)。

 そんな怖いもの知らずの状態でしたが、印象的だったのは、『Vガンダム』にはリハーサル日があったんです。アフレコスタジオに本番とは別の日に行って、映像を観ながら練習して、その日は帰って、本番にまたスタジオに行く……みたいな。だから週2回、アフレコがあったようなものでした。

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──テレビシリーズではかなり珍しい体制ですね。

中田:
 僕も含め、ほぼ新人だったり、その現場で初めて会う人たちが多かったからでしょうね。

 (主人公・ウッソ役の)阪口大助ちゃんも新人でしたし、渡辺久美子さんにもそのとき初めて出会ったし、たしか藤原(啓治)くんに会ったのものそのときが初めてだったはず。松本梨香さんはその後長く続く『ポケットモンスター』のサトシ役に決まる前で、関智一さんは新人でしたがその時点で既に達者で、翌年には『(機動武闘伝)Gガンダム』で主役になる。

 練習日のあとにはみんなで食事に行くこともあって、そこでほかにもいろいろ、それまでご縁がなかった方々と交流を深められたのもよかったです。

──その後長くご活躍されるみなさんが、若い頃に濃い交流をされていたんですね。

中田:
 作品が1年間続く、長いシリーズだった点もありがたかったですね。「ナレーションってもっと上手くできないのかな……」と、いろいろ試しながらやることができたんです。

 ほかにやらせていただいた役もいろいろで、中にはそれまでやったことのない老け役もあったりして、貴重な経験をいくつもできた現場でした。しかも、富野さんの厳しいダメだしも付いてくる。「きっと僕、富野さんに嫌われてるよなぁ……」なんて、ドキドキしながら(笑)、毎回勉強させていただいていました。

 全部終わった後の旅行では浦上さんと楽しい時間を過ごせましたし、作品全体の打ち上げの二次会で富野さんと新宿二丁目に繰り出して、遅くまで飲んだのもよく覚えています。約25年前でまだお若かったとはいえ、今思えば、富野さんもよく付き合ってくれましたね(笑)。

声優・中田譲治の「生みの親」と「育ての親」

──名前の付いた役での初レギュラーだった『BLUE SEED』の現場はいかがでしたか?

中田:
 浦上さんや富野さんをはじめ、これまでいろいろな演出家の方にお世話になってきました。

 ですが、その中でもとくに、僕の声優としての「生みの親」のような存在を挙げるとするなら、『BLUE SEED』の音響監督の若林(和弘)さんなんです。右も左もわからないやつを初めてレギュラー役として使ってくださって、「声優とはこういう風にやっていくものなのかな?」と教えてくれた。

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(画像は「BLUE SEED | 番組 | AT-X」より)

──若林さんは『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』やスタジオジブリのお仕事で知られる巨匠で、役者を育てる方だと噂を聞きますが、中田さんもそのおひとりでらっしゃったんですね。

中田:
 ええ。最初にご一緒したのが『BLUE SEED』。大塚明夫さん、榊原良子さん、林原めぐみさんなど上手い方々が揃った中に、僕とうえだゆうじ(当時は上田祐司)くんが新人っぽい扱いで入っていた現場でした。

 そこでいろいろと教わったあとに、『天空のエスカフローネ』ではオーディションから引っ張ってくださった。そうした若林さんの作品で、声優としての仕事の仕方を、きちんと教わった気がしたんです。

──なるほど。ちなみに「生みの親」とおっしゃるということは、「育ての親」もいらっしゃる?

中田:
 はい。もうひとりの親、「育ての親」にあたるのが、音響監督の鶴岡陽太さんです。本当に長くお世話になっています。

 といっても、僕は自分から仕事相手の懐に飛び込んで可愛がってもらうようなタイプの役者ではないですし、鶴岡さんもサバサバして照れ屋なところもある方なので、プライベートで親しく付き合っているようなことはありません。ただ、アフレコ現場でこちらがやりやすいように、的確にフォローしてくださる。

 正直、アフレコ現場での僕は打たれ弱いほうだと思うのですが(笑)、鶴岡さんはあまり厳しく指示を出すタイプではないんですよね。リラックスしてできるように、普通の口調で雑談しがてら、演技の方向性を示してくれる。お互いのやりかたが、上手く合っているように感じています。

──そうした相性は大事ですよね。

中田:
 演出家の方には、自分の中にあるイメージが強くて、役者をコマとしてそのイメージに嵌める完璧主義の仕事をする方がいます。

 それはそれでひとつのやり方だとは思うのですが、僕はそういう方の下だと、萎縮して自分が出せなくなってしまう。というか、それだと、その人の思い描くイメージ以上のものができないと思うんです。

 せっかくいろいろな人間が集まって一緒に作業をするのだから、あまりにもひとりの人が自分のイメージ通りにしてしまったらつまらないんじゃないかな? と、僕は考えてしまうんですけどね。

分岐点3:自身の強みに気付かされた『HELLSING』のアーカード

──声のお仕事のキャリアを積まれていく中で、3つ目の「分岐点」にあたるような、キャリアの上で重要だと感じている役はあるのでしょうか?

中田:
 それでいうと、鶴岡さんとのお仕事がやはり多くなりますね。真っ先に挙げるのは、『HELLSING』のアーカード。オーディションではない形で選んでいただいた役だったのですが、初めて自分のストロングポイントに気付かされた役でした。

 ただ、分岐点といえるかどうか少し迷うのは、他の方からの評価は良くなかったのか、その後、似たような役があまり来ないんですよ(笑)。

──それは評価の問題ではなく、アーカードのような強烈なキャラクターがなかなか他の作品にいないからではないでしょうか(笑)。思慮深くて、同時に暴力的で、表面的には穏やかだけれども、底知れない闇を抱えている。非常に奥深いキャラクターです。

中田:
 全部とは言わないまでも、アーカードのような側面がある役をもっと演じたい気持ちはあるのですが、なかなか巡り合えていないのが寂しいですね。

 また、『巌窟王』の伯爵(エドモン・ダンテス)も挙げたいです。こちらはオーディションで、鶴岡さんと監督の前田真宏さんが選んでくださった。そもそもマニアックな企画が許される深夜帯放送の作品とはいえ、『巌窟王』のような重厚な小説を2クールでアニメ化するというのは、当時はなかなか考えられないくらい挑戦的なことでした。

 それを本当に面白く見せてくれて、関わらせていただいた僕自身、作品もキャラも大好きです。役者としては、伯爵はそれまでのいつもの自分と違う一面をお見せできたのがよかったですね。

 粗野ではなく、品が良く、貴族的で、知的な甘い声もできるんだ、と。福山潤ちゃんや平川大輔さんとご一緒できたのも、楽しい思い出です。

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(画像は「巌窟王 | GONZO」より)

──おふたりともまだキャリアが浅いころでしたね。

中田:
 そしてもうひとつが、『ケロロ軍曹』です。『ケロロ軍曹』に出演するまで、まだ「中田譲治」という名前は、ごく一部の方にしか覚えていただけてなかったと思うんです。

 出演作は深夜帯の作品が多かったですし、比較的メジャーな「ガンダム」にしても、まだ現在ほどには、一般の人に広く認知していただけるものではありませんでした。

──たしかに近年の『ガンダム』のアニメファンの外側への広がりは、隔世の感があります。

中田:
 そんな中で、『ケロロ軍曹』は子ども向け番組ですし、放送枠も深夜ではなく、いろいろなイベントもありました。名前を広く認知していただけるきっかけという意味で重要な作品でした。

 またこの作品は、共演者もみんな個性的で、いい人たちばかりだったので、その中で7年もレギュラー出演できたのはとてもありがたいことでした。

中田譲治 声優 インタビュー 
(画像は「ケロロ軍曹総合公式サイト KERORO.COM」より)
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(画像は「ケロロ軍曹KERORO PLATOONS ギロロ伍長」より)

──メインキャラクターのケロロ小隊には、渡辺久美子さん、小桜エツコさん、草尾毅さん、子安武人さん、そして中田さんと実力派が揃っていました。

中田:
 「え、子安さん、クルルなの?」って、聞いたときは僕も驚きましたよ(笑)。

──美形を演じる際のカッコいい声とはまったく違うものですものね(笑)。でもそれでいうとギロロにしても、三頭身のコミカルな見た目から中田さんの渋い声がするギャップは強烈でした。

 しかもギロロはギャグあり、カッコいいアクションでの活躍あり、そしてヒロインとの恋愛の要素もありという……。

中田:
 びっくりですよね、あの見た目で(笑)。本当に演じていて楽しかったです。

──若いアニメファンにとっては、言峰綺礼を筆頭とする、TYPE-MOON作品へのシリーズを跨いだご出演も印象深いイメージがあります。

中田:
 TYPE-MOONさんとは、彼らが同人でやっていたころからのお付き合いで、そこから大きくなっていろいろな展開をされるたびに、引っ張られるようにしてさまざまな形で関わらせていただいてきました。

 今、言峰綺礼のような役を僕にキャスティングしてくれる方がいるかといったら、多分いませんよね。役の印象から考えると、もし仮に今、完全新規でキャストを決めるとしたら、別のもっと若い方が演じるような役のはずです。

 でもTYPE-MOONさんだから、今でも関連作品に言峰綺礼が登場するときは、オリジナルキャストの僕を呼んでくださる。そこには、TYPE-MOONファンのみなさんの強烈な熱さも関係していますよね。ありがたいことです。

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(画像は「劇場版「Fate/stay night [Heaven’s Feel]」Ⅲ.spring song」キャラクターページより)

──おもしろいのが、ギロロは違いますが、アーカード、伯爵、言峰綺礼には、どこか共通項がある気がする点です。人間らしさは残しつつも、どこか大切な部分が欠けている、人間らしさからはみ出ている役が、中田さんの声や芝居にはハマるといいますか……。

中田:
 逆に言うと、僕には日常のなんでもない芝居ができないのかもしれません。

 癖のある、メリハリのきいた、個性のハッキリした役が演じやすい。キャリアを考えると、食卓でご飯を食べながら「母さん、昨日はどうしたんだい?」と話しかけるみたいな、何気ない芝居がそろそろできないといけないんですけど、そういう役は来ませんし、自分がそういう役に合っているかというと……。

 普通に演じていても、「家族の中に変な奴がいるぞ?」と観ている方に思われてしまいそうな危惧があります(笑)。

自分のできることを楽しんでいければ

──ああ、でもそう考えると、ギロロも日常から少し離れた宇宙人なわけですし、今挙げられた4人のキャラには「日常とは離れた芝居をする」という共通項があるのかもしれませんね。

 まとめに入らせていただくと、役者の道を志し、声の道に進み、そして日常と離れた芝居の持ち役と出会った。そうした分岐点があったように思いますが、それを超えて、今の中田さんが役者として最も大切にしていらっしゃることはなんでしょうか?

中田:
 難しい質問ですね……。アーカードの「『あきらめ』が人を殺す」というセリフがあって、それが好きなんです

 僕の大好きなシンガーのトニー・ベネット……何度もグラミー賞をとったスゴい歌手で、今、95歳なんですが、90代に突入してからもレディ・ガガと組んでアルバムを出して高い評価を得ている。つい先日も、同じコンビで新しいアルバムを発表したばかりです。

 僕は彼が若いときから聴いてるんですけれど、もちろん昔に比べれば声に張りがないし、息が続かないように聴こえるところもある。でももう、そういう問題じゃないんです。その人の人生そのものが歌に乗っていれば、僕は推すよ。それでいいよ、十分だよ……と感じる。

──はい。

中田:
 最初のほうにもお話ししましたが、いろいろな力が加齢とともに落ちて行くことは自覚しています。

 僕より年上でも現役で頑張ってらっしゃる方もいるし、個人差や日頃の過ごしかたによる差もあるでしょうが、それはどうしても人には避けられないことです。

 でも、世の中って上手くできてると思うんですよ。若い人は何もしなくても体力がありますけど、それで使える時間が多いかといえば、そうでもないんです。

──どういうことでしょう?

中田:
 恋をしたり、友達と騒いだり、結婚すれば家庭のこともあるし、子どもが生まれればその面倒を見なければいけない。その上で仕事もしないといけないとなると、時間がないんですね。でも、僕くらいの年齢になると、自分の面倒を見ればいい。しがらみがなくなって、自分の好きなことだけができる。

 若いときは時間がなくても、体力も技術もあるからやっていける。歳をとると、いろんな能力が落ちてきても、時間はある。やる気があれば、若い人の三倍くらいはやりたいことに使えるんです。それで補えるだろう、みたいな(笑)。

 そう考えて、今できることを諦めないで、頑張り続ける。それができるあいだは、やり続けようと思っています

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──具体的にこれから先、未来の野望、野心はありますか?

中田:
 僕、そういうのが昔からないんですよ。スターになりたいとか、舞台で主役を張りたいとか、アニメでこんな作品に出たいとか、こんな役をやりたいとか。もう少し欲があったら、もっといい役者になれたんじゃないかなって気がするくらい(笑)。

 だから、あまり焦らずマイペースで、自分の生活を余裕を持って楽しめたら、それが最高なんじゃないかなと思っています。

 お金にこだわったらお金に追い回されますし、名誉にこだわったら名誉に振り回されます。役者は自分の肉体しか仕事に使えない、他人を使っていっぱい儲けたり、仕事を代わりにやってもらうことはできない、本当に小規模な個人事業主です。

 だから自分が楽しく、苦がなく、プレッシャーもなく、気持ち良くやれたら、いつまでも続けられるかなあ……と。それが望む未来でしょうか。

──仕事を長続きさせるには、いかに自分の生活の中に自然なものとして組み込むか。

中田:
 そうですね。もうがむしゃらにあれを求める、これを求めるじゃなく、自分の中で自分のできることを楽しめれば……と言う気持ちです。

“中田譲治”流Twitterの心構え

──それにしても、中田さんのTwitterへの投稿がとても自然体なことに以前から驚かされていたのですが、その謎が今日のお話で少し解けた気がしました。事務的過ぎず、過度にフランクでもない。そのバランス感覚は、今お話いただいたような心境が自然と滲み出ているのかもしれないですね。

中田:
 Twitterに関しては、フォロワーの数が僕のキャリアや実力に比してずいぶん多くて本当にありがたいのですが、感謝しつつも、数の多さを信用しすぎないように気をつけています。

 人間関係もそうなんですけれど、ある程度距離を置いて、お互い気持ちの良いように付き合うのが一番。Twitterにしても、フォロワーが45万人いたとしても、45万の人に「いつまでも傍にいて応援して!」と考えるのはよくないと思っているんです。そうじゃなくて、この中で僕が何をしてもついてきてくれる人は、この何割かだよね、と。

──たしかに、フォロワーの数をそのまま支持と受け止めると危うい印象はあります。

中田:
 元々アカウントをフォローするのって、ちょっと興味があるくらいのものですよね。その程度のものなのに、それに囚われちゃうと、窮屈になってTwitterに振り回されてしまう。

 何かあったらいずれは離れるのだから、僕は僕であることしかできない。だから自分の考えであったり、世の中をよくしたり、人にとってこうあったほうがより気持ち良いんじゃない? って問題についても、普通に投稿します。

 例えば夫婦別姓についての話だとか、ほかの社会的な問題とかも、「おかしいな」と思ったら、「絶対にこうだ!」という形じゃなくて、あくまで事実に関する記事を載せて、「みなさん、一緒に考えようよ」と言ってみる。

──そこにはどんな思いがあるのでしょう?

中田:
 生きるためには、ひとつの趣味とか、ひとつの枠だけで生きていたら駄目だよと伝えたいんです。自分でおかしいと思ったことは、行動しないと変わらない。社会の問題は自分に返ってくるんだから、自分もそういうものに対して考えようよ、と。

 僕がそういうことをするのが合わない人もいるでしょう。「アニメの情報だけ知りたいんだよ!」って。それで離れる方がいても、しょうがないと思うんです。そこを気にしていると、Twitterをやっている意味がない。フォローして欲しい、フォロワーを増やしたいという気持ちがあまりないから、何をやっても自然でいられるんじゃないですかね。

 一応、でも若い方にはお勧めしません。対応を間違えば炎上しかねないリスクもありますし、事務所からも怒られます。ある程度冷静な判断が出来る様になってからがいいでしょうね。

──なるほど……。ちなみに、Twitterも普段からの心構え、感性を磨くことに繋がっていますか?

中田:
 それはもう。このコロナ禍で、誰とも会わないで丸1日セリフしか喋っていない日がほとんどです。そんなときにTwitterでふざけたダジャレにツッコんでもらったり、「譲治さん、頑張ってね!」と声をかけてもらえるのは、本当に心の支えになりました。こだわらず使っていますが、僕にとって現状、ありがたいツールです。

──声優としてのご活躍はもちろん、Twitterの投稿もこれからも楽しみにしております!

中田譲治 声優 インタビュー 

 高校卒業後に演劇の世界に飛び込んだこと、野村道子さんに誘われて声の仕事に踏み出したこと、そして『HELLSING』アーカードをはじめとするキャラクターとの出会い。

 人生における分岐点と題してお話を聞いてきたわけだが、取材を通してとくに印象深かったのは、「感性を磨き続けていく」中田譲治さんの役者としての心構えであった。

 心を敏感に、柔軟にしておきたい。そのために時間があるときには、映画を観たり、美術展に行ったりと、日常生活でも自分磨きを意識して行う。

 仕事のスタンスに関してもそうだ。「どんな形でもいいから演じる仕事があって、生活が安定して、自分のペースでやっていけるならなんでもいいと感じていました」と語るように、生活基盤の安定と自分のペースで楽しめることに重きを置いていた。

 中田さん自身は「いい加減だったんでしょうね」と笑いながら話していたが、その真意は「時間に追われて自分を磨くこともできないのが心配だった」というように、「感性を磨き続けていく」ための選択があったのかもしれない。

 「あまり焦らずマイペースで、自分の生活を余裕を持って楽しめたら」「自分の中で自分のできることを楽しめれば」と、取材の最後に自身の望む未来を語ったように、今後も中田さんはお芝居を楽しんでいくのだろう。感性を磨きながら、好奇心を胸に抱きながら。

中田譲治さん直筆サイン入り色紙をプレゼント!

 取材後、中田譲治さんに色紙へ直筆サインを書いていただきました。今回はこのサイン入り色紙を抽選で2名様へプレゼントします!

 プレゼント企画の参加方法は、 Nアニメ&ニコニコアニメ公式Twitterアカウント(@nicoanime_PR)をフォロー&該当ツイートをRT。応募規約をご確認のうえぜひ奮ってご応募を。

中田譲治さんの主な出演作品や関連ニュース情報はこちら

2021秋アニメまとめページ

―人生における「3つの分岐点」シリーズ―

・声優・大塚明夫の人生における「3つの分岐点」|“素晴らしい役者”より“メシが食える役者”を目指した若者が50歳を過ぎて気づいた“芝居の中にある自分の幸せ”

・声優・三森すずこ、人生の分岐点には『ミルキィホームズ』のメンバーとファンがいた。アニメに詳しくない宝塚オタクが今日まで”声優業界”を駆け抜けてこれた理由

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