小松未可子 アーティストデビューは『モーレツ宇宙海賊』打ち上げでのカラオケがきっかけだった。『呪術廻戦』『ダイの大冒険』などヒット作を支える人気声優が大切にするのは「人に流されてみること」【人生における3つの分岐点】
ニコニコニュース / 2022年10月25日 11時0分
ニコニコニュースオリジナルで連載中の、人気声優たちが辿ってきたターニング・ポイントを掘り下げる連載企画、人生における「3つの分岐点」。
これまで、大塚明夫さん、三森すずこさん、中田譲治さん、小倉唯さん、堀江由衣さん、ファイルーズあいさん、石原夏織さん、三石琴乃さん、平野綾さん、日髙のり子さんにインタビューを実施した。
出演いただいた皆様の多くは、幼少期から役者など芸能の世界を志してきた。家族のサポートを受けながら子どもの頃から専門的なレッスンに通うなど、夢を叶えるための準備と努力を重ねて現在のポジションに辿り着いた方が多かったように思う。
今回の主役・小松未可子さんは、そういった方々とはちょっと事情が異なる。彼女は『名探偵コナン』にハマり、「倉木麻衣のようになりたい」という漠然とした憧れから芸能の世界を目指すようになった。
デビュー当初は「目標もないままこの世界にいるのは失礼」と感じていたという。
そんな小松さんが本格的に声優の道を進みはじめ、『呪術廻戦』の禪院真希役や『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』のマァム役といった重要なポジションを担うようになるには、どのような努力があったのだろうか?
小松未可子さんの人生を振り返るロングインタビュー、ぜひゆっくりと読み進めてみてほしい。
分岐点1:吉本興業からアイドルデビュー
──小松さんの人生の最初の大きな転機は何になるのでしょうか?
小松:
吉本興業主催の「藤井隆さんの妹を募集する」というオーディション【※】を受けてアイドル「いもうと」としてデビューしたのが、第一の分岐点だったかなと思います。声優の前段階として芸能界に入ることになったきっかけでした。
※ラジオ番組「藤井隆 オールナイトニッポンR アイドル総合研究所」とテレビ番組「アイアイタイフーン」の共同で2003年に開催されたアイドル発掘企画。正式名称は「藤井隆の妹オーディション」。
──なぜ応募したのでしょうか?
小松:
私が倉木麻衣さんを大好きだったのがきっかけです。さらにその元を辿ると『名探偵コナン』にハマったことがきっかけだったのですが(笑)。
──倉木さんは『コナン』の主題歌を何度も担当されていますよね。
小松:
それで「倉木麻衣さんみたいになりたい! 会いたいー!」と言っていたら、母親が「芸能の仕事がやりたいのかな?」と捉えたみたいで。
後に話を聞いたら、母親も芸能の仕事に憧れた時期があったそうで、積極的にその道に繋がる手助けをしてあげようと思ってくれたみたいです。
──お母様は、具体的にどんなアクションを取ったのでしょうか?
小松:
オーディション雑誌をいろいろ買ってきては、素人が申し込めるCMや事務所所属のオーディション、雑誌のモデル募集に片っ端から応募してくれました。受けては落ち、受けては落ち……を繰り返しだしたのが中学1・2年くらいのころですかね。なかなか上手くいかなかったんです。
──厳しいものですね。
小松:
私は「倉木麻衣さんみたいになりたい! 会いたい!」という邪な気持ちしかなかったんですけど、まわりの子たちは「女優になりたい」「モデルになりたい」とか、はっきりとした気持ちがあったんです。だから磨かれているところがちゃんとあるし、アピールポイントも心得ていて、とにかく志が高い。私は履歴書にすら、「倉木麻衣さんみたいになりたい!」としか書けないような子だったのに(笑)。
それでも、倉木麻衣さんの歌が好きで、アーティストになりたい気持ちが強くあればよかったんでしょうけど、そのときはそうじゃなかったんです。もっと漠然と「彼女のようになるにはどうしたらいいか?」としか考えていませんでした。
──子供らしい憧れだった。
小松:
そうやって落ち続ける中で、こんなのやりたくない、と私も途中で言い出して。「じゃあ、これで最後にしようか」と母と話して受けたのが、藤井隆さんのオーディションだったんです。
思いがけないアイドルデビュー
──「最後」と言って合格するのがドラマチックです。どんなオーディションだったのですか?
小松:
ちょっと特殊なオーディションでしたね。年齢制限が緩くて【※】、当時の私と同じ世代の子もいれば、20歳くらいの方もいたり、中にはすでに芸人さんとして活動している人もいたり、すごい多岐にわたるジャンルの人が集まっていました。
それで、2次審査、3次審査、最終審査と、藤井さんのラジオの放送の中で発表される形だったんです。
※一次審査の募集要項は「・30歳以下の女性!もしくは、藤井隆にそっくりな31歳の女性」「・アイドルになることに前向きなこと」
──ラジオでの公開オーディションだったわけですね。
小松:
最終オーディションでお台場に行って、最後の自己PRをしたんです。一人だけ選ばれるオーディションだと思っていたら、まさか同世代の子が4人選ばれて、「ユニットを作ります!」といわれて、なぜかアイドルへの道が開かれてしまったんですよ(笑)。
──わはは。
小松:
自分が思ってもみなかった新しい世界に、一歩踏み出した瞬間でした。
そこからは藤井さんの妹分ということで、「いもうと」というグループ名が付き、CDデビューが発表され、かぐや姫の「妹」をカバーすることになり……「妹」って兄目線の歌なんですけどね(笑)。
──親のいない、ふたりきりの兄妹の、妹の結婚式前夜の兄の気持ちを歌った歌詞ですよね(笑)。
小松:
単に「いもうと」に「妹」を歌わせたかったんでしょうね(笑)。それでデビューに向けてダンスレッスンを受けさせてもらったり、あと、藤井さんと一緒にラジオをやる企画が動いたりもして。
品川庄司さんがMCのテレビ番組で1クールの密着企画もやっていたんですが、何が起こっているのか、それがどれくらいすごいことか、よくわかっていなかったんです。14、5歳の頃でした。
三重で学校に通いながら、週末は東京で仕事
──アイドルになって、生活は激変したんじゃないですか?
小松:
土日だけ東京で仕事をして、平日は地元の三重県で学校に通う、という生活をするようになって。
おもしろかったのが、修学旅行で東京に行ったとき、東京で仕事があるから「私、東京に残って仕事に行ってきます!」ってみんなと現地でお別れしたことがありました(笑)。
──すごく芸能界っぽいエピソードです。
小松:
ただ、下積みの段階というか、まだまだこれからがんばっていく感じだったので、自分としては胸を張って芸能の仕事をしているとはいえない気持ちでした。「まだレッスン中なんだよね……」みたいな感じで。まわりは「すごいね! 芸能人に会ったらサイン貰ってきて!」みたいな、大フィーバー状態だったのですが。
デビューはしたものの自信はなくて、まわりから特別扱いされることに申し訳なさもあるような複雑な気持ちで学校に通っていました。
──なかなか難しい立場ですよね。学生なのか、タレントの卵なのか、自分をどう認識していいかわからなくなりそうな。
小松:
そうなんですよ。「ここからアイドルとして活動していくんだろうな」とは感じていたし、ユニットの4人のあいだには結束もありました。でも、当時の私はアイドルが何をしたらいいのか、1ミリもわかっていなかったんです。
──どういうことでしょう?
小松:
たとえばCDデビューしたときにリリースイベントがあったんですけど、当時の私は「曲を聴いてください」とアピールすることもなく、ただ大人から言われたことをやっているだけでした。お客さんのためにアイドルがどうすればいいのか考えたことがなかったので、お渡し会でも「ありがとうございます!」しか言えずに終わってしまいました。
そんななか、CDデビューこそさせてもらったもの、その後はレッスンだけの日々が続いていました。
──10代で「アイドルとはどうあるべきか」まで理解して動くのは、なかなか難しいですよね……。
小松:
そうこうしているうちに、「いもうと」の仲間の中でも、アイドルになりたい、女優になりたい、新喜劇に行きたいと、ちょっとずつ未来への志が違ってきたんです。でも、私は何も見つからなくて、ついには「私はアイドルをやりたかったのだろうか!?」なんて考え始めるところまで来ちゃったんですね。
当時の「いもうと」は今のように、ライブ活動がメインじゃなかったのも大きかったかもしれません。ライブ活動はリリースイベント以来一切したことがなくて、あとはたまに来るオーディションを受けて、ソロで舞台に受かったら、舞台に出て……の繰り返しでした。アイドルとして活動している感覚が薄かった。それもあって、何をやりたいか迷子の時期がしばらく続いていました。
──そんな状況が変化するきっかけはあったのでしょうか?
小松:
18歳くらいのころ、メンバーそれぞれがソロの活動をするようになっていく中で、たまたま学園もののドラマに参加できる機会があったんです。
その現場では、私が最年長くらいで、下は12、13歳くらいの子もいましたね。なのにみんなそれぞれ演技プランを持っていて、「私はこういう役だから、ここの芝居はこういう態度に徹する」だとか、「ここでふたりの絡みがあるから、アドリブをやろうよ!」とか、メチャクチャ高度な話をしていたんです。カルチャーショックを受けました。
──意識がまったく違った。
小松:
それから、ちょっとずつまわりの子のお芝居を見ながら「芝居ってこういう風にやっていくものなんだ」と勉強していきました。
あと、連続ドラマの現場に入ること自体も初めてだったので、プロの現場で活躍されているスタッフのみなさんの働きを目の前で見て「すげー!」って(笑)。ドラマの撮影があった3ヶ月間、そんな経験をしたことで、目標がないままこの世界にいるのは失礼だと感じるようになったんです。
──なるほど。
小松:
そのドラマの少し前から大学に通い始めていたので、一度学業を優先して人生を考え直してみようと思って、芸能活動を辞めました。
分岐点2:現在の事務所に入る
──ここまでのお話でもすでに激動の人生という感じですが、人生の大きな、ふたつめの「分岐点」となると、どこになるのでしょう?
小松:
第二の分岐点は、現在も所属している事務所、ヒラタオフィスに入ったことだと思います。大学に通いながら、また平行して芸能活動を始めたんです。
──どのようにまた活動を再開したのでしょうか?
小松:
大学生で就活をどうするか考え始めたとき、将来何の仕事がしたいのか何も思い浮かばなかったんです。相変わらず、気持ちがさまよっていたんです。
そんなとき、原点に立ち返った野望が思い浮かんだんですね。「倉木麻衣さんに会いたいな!」って(笑)。
──そこに戻る!(笑)まだその気持ちが残っていたんですね。
小松:
心の隅にずっとありましたね。
そうしたら、マスコミ業界を目指していた友人から「就活と並行して芸能でやりたい仕事があったら受けてみたらいいんじゃない?」とアドバイスを受けたんです。それを聞いて、もうちょっと自分を試してみてもいいのかなと思えたんですよね。
──いいご友人ですね。
小松:
そうやって考え始めたら、先ほどお話ししたドラマ現場の記憶が浮かび上がってきたんです。グループを飛び出して、単独の仕事で初めてお芝居をした現場だったのもあるんでしょうけど、やはり強烈な印象だったので。もうちょっと、その道を極めてもよかったのかな?という思いがあったんです。
そこで、それまではなんとなく「芸能の仕事」という括りでしか見ていなかったけど、「芝居」に絞ってがんばってみようと思い、改めて芸能事務所のオーディションを受け始めました。
──またゼロからスタートしたような感じでしょうか?
小松:
それが、例のドラマからご縁が繋がったんですよ。現場で仲良くしていた女の子のマネージャーさんが、たまたま私のことを覚えていてくれたんです。
「あの女の子が所属している事務所を受けてみよう」と思って受けたら、最終面接にそのマネージャーさんがいたんですよ。それで受かったのが今所属しているヒラタオフィスなんです。
──それは運命的ですね。
小松:
とはいえ、そのときの私はもう20歳前後。事務所には子役からずっと芝居をしている人もいるし、それでなくても中学生や高校生くらいから所属してがんばっている子も多いなか、私は遅いスタートでした。
始めのうちは1年契約で、様子を見る状態で受け入れてもらった形でした。「リミットは1年しかない!」という意識が強くありましたね。
声優デビュー作『HEROMAN』
──ヒラタオフィス所属は、最初のデビューのときと違って、ご自分の中で覚悟のようなものがあったんですね。
小松:
事務所に入れたからといっても、いきなり仕事があるわけでもないですしね。ヒラタオフィスは役者もいますけど、基本的にはモデル事務所なので、当時はドラマのオーディションは年に1回あれば運がいいくらいだったんです。
それでも最初の1年で、CMのオーディションに受かることが何回かあったので、なんとか最初のハードルはクリアできた気持ちがありました。契約を更新できて2年目に入ったときに、いよいよ「芝居をもうちょっとやりたい」という気持ちが強くなってきたんです。「早く結果を残さないと厳しいぞ」と思いました。
そんなとき、たまたまアニメの仕事をやっている子が事務所にいると知ったんです。それが小見川千明ちゃん(※2016年までヒラタオフィス所属。フリーを経て、現在はクロコダイル所属)でした。ちょうど、彼女が『ソウルイーター』で主演しているタイミングでした。
──小見川さんの声優デビュー作ですね。2008年頃ですか。
小松:
そのつながりで、『ソウルイーター』の音響制作会社さんがオーディションの案内をうちの事務所に送ってくれるようになっていたんです。「小見川さんの他にも、誰かいませんか?」と。それを見たマネージャーさんが「小松さんも受けてみる? アニメをよく観てるって言ってたよね?」と聞いてくれて。そのころは、マネージャーさんと話すのが大事だといわれていたので、とにかく用がなくても事務所に行くようにしていました。そうやってマネージャーさんと話すなかで、アニメの話題が出たのを覚えていてくださった。
それで「ぜひお願いします!」と答えてオーディションを受けたのが、結果的に声優デビュー作になった『HEROMAN』でした。
──スタン・リーさん原作の大作アニメでいきなり主役に抜擢された形ですよね。スゴい。
小松:
それも、そのマネージャーさんのおかげなんです。
ヒロイン役と主人公の男の子の役の応募枠があったんですが、私の普段しゃべっている声を聞いて「ヒロインより男の子の方がいいんじゃないか?」と采配してくれたんですよ。そこでヒロイン役で受けていたら、決まっていなかったかもしれない。
──慧眼ですね。そもそも、その方からお話をいただくまでは、小松さんの中に声優の仕事という選択肢はあったのですか?
小松:
全くなかったです!
お芝居をやるとしたら、ドラマ・映画・舞台しか選択肢を思い描けてなかったですね。小見川ちゃんの存在を知った時も、声優という選択肢が自分にあるとは感じていませんでした。
──アニメをよくご覧になっていても、ご自分の仕事の領域とは繋がっていなかったんですね。おもしろいです。
小松:
ただただ趣味で観ていただけでした。あくまで大学生活を送る中でのストレス解消というか、楽しい気分になれる、心の救いのようなもので。仕事に繋がるとは1ミリも考えたことがなかったですね。
『ソウルイーター』のアフレコ見学
──『HEROMAN』の音響監督は原口昇さん、『ソウルイーター』の音響監督は若林和弘さんで、恥ずかしながら当時は繋げて考えたことがなかったのですが、今のお話を聞くと関連性が深かったんですね。言われてみれば音響制作会社は同じフォニシアですし。
小松:
しかも原口さんは若林さんのお弟子さんにあたって、『HEROMAN』がTVアニメの音響監督デビュー作だったんです。だからオーディションには若林さんもいらっしゃっていたんですよね。
で、私も声優の仕事は初めてだし、ヒロインのリナを演じる小幡真裕ちゃんも、外画吹き替えの経験はあったけど、TVアニメのメインヒロインは初めて。そうしたこともあって、アフレコ現場に馴染むために、『ソウルイーター』の現場を見学させてくださったんです。忘れもしません、第44話です。
──そこまではっきり覚えているんですね。
小松:
もともと1話から楽しんでいたアニメでしたし、普通、見学者はブースの中にまで入れないものなんですが、そのときは入れていただけたんです。そのインパクトも大きくて。
ベテランの方もいれば、同世代でも既にバリバリ活躍している人もいる中にいきなり放り込まれたんです。とにかく戸惑いました(笑)。でもそこで若林さんが、雑談で緊張をほぐしながら「こういうときは先輩方へのご挨拶から始めるんだよ」みたいな、初歩の初歩のところからいろいろと教えてくださったんです。
──さりげないですが、さすがスタジオジブリ作品や押井守監督作品でお仕事をされてきた大御所だなと感じるエピソードですね。
小松:
まわりの先輩方も、とにかく優しく接してくださいました。そういう恵まれた経験をしてから『HEROMAN』の現場に入れたのは、本当にありがたかったですね。
苦労していたのに、楽しくてしょうがなかった初のアフレコ現場
──素敵なエピソードです。声優デビューとなった『HEROMAN』の現場はいかがでしたか?
小松:
いま思うと異例の現場でした。あんまりないことなのですが、本番の前にリハーサルをすることになったんです。私と小幡真裕ちゃん、当時すでに豊富なキャリアのあった木村良平さんを交えて一回通してやってみましょう、と。それが初めて、現場で台本を持ちながら映像を見て芝居をする経験だったんです。
──何から何まで、実写とは違いますよね。
小松:
そうなんです。いやもう「リハーサルあってよかったな!」と思いました。『HEROMAN』ってアフレコの時点で映像が全部完成していたんです。これは本来ありがたいことなんですが、初めてアニメをやる声優には、逆に滅茶苦茶ハードルが高かったんですよね。
──そうなんですか。絵からニュアンスが汲み取りやすいのかと思いましたが、違うのですね。
小松:
絵が未完成だと、ボールド【※】でタイミングを見るんですね。すると「ここで喋るんだよ」というのが、初心者にはわかりやすいんです。でも絵が完成していると「口が動いたら喋ってね」という感じなので、かえって難しいんです。
映像にタイムレコードが表示されているので、テストのときに口が動き出したタイミングで秒数をメモしておくと入りやすいと後々知ったんですが、当時はそんな余裕なくて、とにかくタイミングを丸覚えしていました。
※ボールド
アフレコ用の未完成映像で、声を入れるタイミングを表示する目印のこと。色付きの枠内にそこでセリフをいうキャラクターの名前が表示されている形式が一般的。
──大変ですね、それは……。
小松:
しかも台本と映像を見ながら練習を繰り返して現場に行くと、今度は練習のしすぎで、準備したことしかできなくなってしまうんです。新人が陥りがちな現象なんですけどね。用意してきた芝居から1ミリも動かせない感じになっちゃって、現場での指示に対応できなくなる。「アフレコは現場での対応がメインなんだ!」というのもカルチャーショックでした。
そんなこともあって、第1話から居残りをして、先輩方にも迷惑を掛けながら『HEROMAN』のアフレコは始まりました。
──それはつらそうですね。
小松:
それがですね、不思議なことにうれしくて仕方なかったんです。とにかく知らないことだらけだから「もっとこうやったほうがいいよ?」と先輩たちに教えてもらえるのが、とにかくうれしくて。「もっと教えてください!何が分からないのかも分からないんです!」って感じでした。
苦労していたはずなのに、「楽しくてしょうがない」というのが、アニメのアフレコ現場の第一印象でした。
──それまでレッスンはあっても、現場でそこまでしごかれることはなかったですよね。
小松:
なかったですね。収録が終わった後には飲み会も毎週あったので、いろんな先輩方のお話を聞いたり、監督からもキャスティングに対する思いを聞いたりできました。
コミュニケーションが沢山できる現場だったので、最初に関わった作品が『HEROMAN』で、本当に私は恵まれていたと思います。
分岐点3:『モーレツ宇宙海賊』でのアーティストデビュー
──『HEROMAN』で演じたジョーイくんが、中性的な、ちょっと可愛い男の子だったのも、その後の小松さんのキャリアに繋がる部分があるような気がします。
小松:
そういえば、アイドル時代のレッスンでも「少年っぽい声をしてるね」と言われたような気がするんです。普段しゃべっているとき声の性別は意識していないので、そういう印象なんだと知ったのがまずポイントではありましたね。
──そんな『HEROMAN』で鮮烈な声優デビューを飾られて以降、とても順調にキャリアを進められている印象ですが、3つめの分岐点はどこになるのでしょう?
小松:
『HEROMAN』の直後の『遊☆戯☆王』シリーズ(『遊☆戯☆王ZEXAL』)への出演も大きいんですけど……あのシリーズは新人声優を育てる意識が強くて、3年単位でじっくりと取り組ませていただけるんです。その分、オーディションの機会も少ないシリーズなのですが、私はちょうどいいタイミングで受けることができて、ここでも大きな経験をさせていただけました。
でも自分の中で、第三の「分岐点」として挙げるなら、『モーレツ宇宙海賊』でのアーティストデビューでしょうね、やっぱり。
──ああ、なるほど。またそこから、違う活動に乗り出したわけですものね。
小松:
そうなんです。しかも、もともとは別に、デビューは決まっていなかったんですよ。そこも『HEROMAN』からのご縁なんです。
──えっ、そうなんですか?
小松:
『HEROMAN』の打ち上げでカラオケに行ったとき、参加者のみんなで主題歌を歌ったんです。それをキャラクターデザインのコヤマシゲトさんが動画撮影していて、仲が良かった『モーパイ』の音楽プロデューサーに送ったんです。
そうしたら、それを見て「小松、歌えるじゃん」と思ってくれたみたいで(笑)。
──カラオケがきっかけとは!
小松:
その時点で、『モーパイ』で主人公の加藤茉莉香を演じることは決まっていたんですけど、オーディションに音楽活動をする条件はまったく書いてなかったんです。「もしかしたらキャラクターソングがあるかもしれません」くらいの話はありましたけど、そんな本格的な話はなかった。それが音楽プロデューサーがカラオケ動画を観たことで「音楽活動には興味がありますか?」という打診を受けたんです。
──急展開ですね。
小松:
「興味……あります!」と答えたら、『モーレツ宇宙海賊』のコンセプトアルバムの形で、イメージソングを歌ってみませんか? という話になり、アーティストデビューが決まりました。
そしてアーティストデビューから、本当にいろんな世界に活動の幅が広がっていったんです。
倉木麻衣さんとの出会い、藤井隆さんとの遭遇
──具体的に、アーティストデビューがどんな活動へと発展したのでしょうか?
小松:
CDを出すだけじゃなくライブをしたり、作詞をしたり。それからラジオですね。
アーティスト活動の流れで音楽番組のお話をいただいて「リッスン?」という生の帯番組の月曜日を担当することになりました。そのご縁で、なんと倉木麻衣さんとお会いすることができたんです!
──ついに。
小松:
しかもその流れで「倉木麻衣さんと一緒に歌いませんか?」と音楽番組の打診をいただいて、デュエットまでさせていただきました。心の奥底に秘めていた本当の夢が、まさかの形で叶うという出来事に繋がったんです。回り回って、自分が果たしたかった夢がまさかの形で繋がったのは、やっぱりアーティストデビューのお陰でした。
──しかも、「いもうと」時代の歌って踊るレッスンの経験も大きかったのでは?
小松:
そうなんですよ! 当時から特別に上手かったわけではないし、今でもべらぼうに歌も踊りも上手いわけではないですが、レッスンをしていた経験はアーティスト活動にとても活きました。私の人生、何かが全部繋がっていると思います。
それでいうと、アーティストデビューがキングレコード(当時のレーベル名はスターチャイルド)だったことで、ひとつ大きなご縁があったんです。
──何があったんですか?
小松:
スターチャイルドといえば、レーベルの大先輩に林原めぐみさんがいらっしゃいました。同じレーベルの所属ということで、林原さんのラジオにお邪魔する機会があったんです。その時に「もともと藤井隆さんの妹分としてデビューして」というお話をしたら、林原さんは藤井さんとお仕事もされていて、プライベートでも仲が良いんですよね。それがきっかけで、藤井さんと連絡を取らせてくださって。
──いい話ですね……!
小松:
藤井さんとは「いもうと」でデビューしたあと、頻繁に会うことはなかったんですけど、「いもうと」のメンバーがどういう状況でどんな活動しているか把握されていたみたいなんです。
実は、私が「いもうと」を辞めるときにも、わざわざお忙しい中で時間を作って会いに来てくださったんです。「プレゼントしたいものがあるから、この美容室に来てほしい」とご連絡をいただいて、お邪魔したら、そこに藤井さんもいて。
「辞めることに関して僕は止めないし、自分の人生だからそこは絶対大事にして欲しいから、僕たちのことは全く気にしないで進んでください。最後に僕からこのヘアアイロンを送らせてください。きっと役に立つから」って、お手紙と一緒にプレゼントしてくださった。
ヘアアイロンは、当時のヘアメイクさんに相談して選んでくださったんだと思うんです。とても丁寧な方なんですよね……。
──素敵なお人柄がうかがえます。
小松:
ただ、きちんとご挨拶をしてお別れできたものの、連絡先は知らない状態だったんです。声優として活動を始めたご報告も特にできていなかったので、林原さんのご縁で改めてご報告できたのは本当にありがたかったです。
──関わっているどなたも、本当に優しい方ばかりですね……。再会されたときは、いかがでした?
小松:
すごくうれしかったことがあったんです。当時、まだ藤井さんのお子さんが小さくて、ちょうど私が『プリティーリズム・レインボーライブ』に出演しているタイミングだったのですが「『レインボーライブ』見てるよー! 子供がいとちゃんが好きって言ってるよー!」と言ってくださって。
「声優になれて良かったなー!」って感じた瞬間でしたね。自分としては何か恩返しができたような気が少ししたような。
──……何度もいってしまいますけど、いい話ですねえ!!
小松:
今ではTwitterのDMとかでたまにやりとりさせていただくんですが、それこそ結婚したときもメッセージくださったり、何か大きなことがあったときは連絡をくださいますね。
現場にいたみんなに達成感を残したい
──『モーパイ』で始まったアーティスト活動が、現在まで続く活動のもう一本の柱になり、さらにはさまざまな縁も繋げてくれた。そうして現在の小松さんがあるんだなと感じられますが……お話をうかがって来てあらためて思いましたが、今、公私ともに大変充実されておられますよね。
小松:
いやいや(笑)。
──それこそ昨年の声優アワードで助演女優賞を獲られて。
小松:
一生ご縁のない賞だと思っていたので、まさかまさかで、うれしかったです。
──それに繋がった『呪術廻戦』や『ダイの大冒険』もビッグタイトルです。アニメでもそれだけご活躍されながら、最近は吹き替えのお仕事も充実しておられる。そんな小松さんが、いまお仕事で一番大切にされていることは何ですか?
小松:
そうですねえ……声優という仕事で何を大切にするかって、本当に人によって違ってくるんですよね。自分の揺るがない信念、ポリシー、絶対にここだけは譲らない何かを大事にしている方もいれば、場の雰囲気をとにかく大事にしている方もいる。私はどちらかというと後者に近い、現場が充実している方がいいなと思っている人間です。
やっぱり声優業って、どこの現場でも、一人の力で成り立つものじゃなくて。あくまで自分は、作品を構成するパーツの一つなんです。アニメでも、外画でも、音楽活動ですらそうです。だから、なるべく現場の声をよく聞くようにしています。
ただ楽しいだけじゃなく「いいものが作れたな」という達成感が、現場にいたみなさんに残るようにすることを大事にしています。
──チームの一員として動く、みたいな。
小松:
そうですね。パーツの一つであり、柱の一つでもあり、チームリーダーではない。それでも物作りをしていく上で「この人に頼んで良かったな」と思ってもらえるような仕事ができたらいいなと。
自分の中の達成感と、現場の達成感がなるべく一致するように動くことは心がけています。
──より広く、人生においてはどうでしょうか。生きる上で大事にしていることはありますか?
小松:
人生を振り返るたびに思うのですが、私は本当に、タイミングと運と縁が良かったんです。大事な分岐点で、自分の意志よりも、たまたまのタイミングで繋がっていくことがすごく多かった。
なので、「流されてみること」は大事にしていますね。自分の意志はもちろん崩さず、でも、流されるときは流されてみようと。
声優アワードの受賞コメントでもお話しさせていただいたのですが、お芝居の先生から聞いた、「役者には『愛』と『運』と『縁』が大事」という言葉が、強く印象に残っているんです。作品やキャラクターに対する「愛」と、そういう作品に出会う「運」、そして人との繋がりの「縁」。これは人間にとってとても大切なことだと。
──いい言葉ですね。
小松:
そして、自分の経験からもし足すとしたら、最後は「恩」かなと思っています。
あい(愛)、う(運)、え(縁)と来たから、お(恩)になるし(笑)。
──上手い!(笑)
小松:
ありがとうございます(笑)。
冗談はさておき、「愛」「運」「縁」に対する感謝が大事だと、真面目に思うんです。その感謝の気持ちを忘れず、ポリシーとして持ち続けようと決めています。
将来の夢は“後輩の演技指導”
──最後に、将来の夢や野望があれば教えてください。
小松:
声優になる前はなかなかやりたいことが見つけられなかった私ですけど、ふと振り返ると、学校の先生をやりたかった時期があったんです。もし可能性があったら、後輩に演技を教えてみたいなと思っています。
──後進育成ですか。おどろきです。
小松:
教本みたいに方法論をしっかりと作っているわけではないですけど、自分が現場で学んできたことが活かせるなら、ぜひやってみたいです。養成所や専門学校には通っていないので、独自のやり方にはなっちゃうんですけど、誰かのお役に立てたらうれしいなって。
プレイヤーとしてずっと継続してやっていきたい気持ちも当然あるので、そこはあくまで、ご縁があって求められたら……ですね。
──声優業は生涯現役でやれる仕事ですものね。もちろん教えながら声優をされている方もたくさんいらっしゃいますし。
小松:
仕事を継続するという意味だと、今年からNHK「クローズアップ現代」でナレーションをレギュラー担当させていただいています。声優としての新しいキャリアの柱が一個できそうだなと思っています。
あとは、洋画吹替の持ち役というか、担当の役者さんができたらいいななんてことを思っています。「この役者さんの吹き替えと言えば、この人!」みたいな関係になるのは、なかなか難しいんですけどね。
──出来る人は限られますよね。
小松:
でも、その野望を持っている声優さんは多いと思いますね。役者さんでも、キャラクターでも、生涯を共にするような声のパートナーができたら声優冥利に尽きると、私は思っています。
小松未可子さんは「縁」の人だと感じた。アイドル時代に出会った藤井隆さん、声優デビュー作『HEROMAN』で支えてくれたキャストやスタッフ、憧れの倉木麻衣さんとの共演、『モーレツ宇宙海賊』をきっかけにしたアーティストデビュー。
彼女の活動を後押しして夢を叶えてくれる人々との出会いが、今日までの声優・小松未可子さんを形作ってきた。
数々の素敵な出会いを招いたのは、言うまでもなく彼女の朗らかで気遣いのできる人間性によるところが大きいと思う。取材でも、現場入りからお帰りになるまで、終始現場を盛り上げて、スタッフに丁寧に接してくださった。「またお仕事をしたい」と、そう思わせる人だった。
「後輩に演技を教えてみたい」と語っていたが、きっと後輩からも慕われているのだろうと思う。これから益々活躍の場所を広げるであろう小松未可子さんに、これからも注目していきたい。
小松未可子さん直筆サインをプレゼント!
インタビュー後、小松未可子さんに直筆サインを書いていただきました。今回はこの直筆サインを1名様にプレゼントします!
プレゼント企画の参加方法はニコニコニュースTwitterアカウント(@nico_nico_news)をフォロー&該当ツイートをRT。ご応募をお待ちしています。
「小松未可子さん直筆サイン」を1名様にプレゼント🎁
— ニコニコニュース (@nico_nico_news) October 25, 2022
▼応募方法
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▼インタビュー記事https://t.co/vCUfhMP0mC
締切:2022/11/1(火)23:59
当選はDMでお知らせします。 pic.twitter.com/GaCAwUzdcc
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