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ゲームに出てくる“酒場”のモデルは何時代? 古代メソポタミアから大航海時代の「酒場のメニュー」を紐解く歴史ロマンにワクワクが止まらない

ニコニコニュース / 2020年2月13日 20時30分

 お酒の歴史はとても古く、紀元前4000年以上前にメソポタミアで誕生したものが起源とされています。

 今回紹介する、チャイスキー(@chayskii)さんが投稿した動画『【雑学研究クラブ】酒場の歴史 むかし編』では、音声読み上げソフトを使用して、京町セイカギャラ子ONE東北きりたんが各時代の酒場で提供されていたお酒やグルメを解説していきます。


メソポタミア最古の酒場は物々交換だった

セイカ:
 酒場に関する最古の記録は、かの有名なハンムラビ法典です。酒場の運営規程や罰則が残っているのです。

ギャラ子:
 お酒の歴史自体はもっと古いものだと思ってたけど、酒場はそうでもないの?

セイカ:
 酒場の遺跡が出てきたとしても、そうだと断定できる証拠がないって感じじゃないかな。まあとにかく、古代の酒場の様子をちょっと覗いてみようよ。女将さん、この居酒屋ではどんなのがあります?

ONE:
 メニューならこんなのがありますよ。焼きたての大麦パンとビール、甘いものが欲しければナツメヤシなんかどうでしょう。

セイカ:
 わーい、古代のビール飲みたい!

ONE:
 お代は大麦1リットル分になります。

ギャラ子:
 お金じゃないの?

セイカ:
 まだ貨幣経済じゃないんだった。持ってないから、この腕時計で支払えないかな。

ONE:
 なんですかこれ、綺麗ですね。じゃ今回はこれでいいですよ。

きりたん:
 ストップ! 貴様は法を犯した!

ONE:
 衛兵さん!? ナンデ!?

きりたん:
 居酒屋の人間が必要以上の利益を出すことは、法典で禁じられているのです。お仕置きです!

ギャラ子:
 利益出したら罰則ってきついな。一体何されるんだ?

セイカ:
 ハンムラビ法典によると、水に投げ込まれるの。

 あくまでも酒場での提供は等価でというハンムラビ法典の規則に、「暴利をむさぼるなって意味合いから定価販売が義務付けられてるのね」「古代のぼったくり禁止条例は厳しいなあ」というコメントが寄せられました。

様々な文明が行き交う古代ローマでは飲食店も多彩に

セイカ:
 さて時代はだいぶ下って古代ローマです。街道がよく整備され、国内外から様々な物品が飛び交うとても繁栄した時代です。

ギャラ子:
 「全ての道はローマに通ず」ってやつかな?

セイカ:
 はい。人々の往来が激しくなり、街道沿いには旅人や商人の憩いの場として、酒場兼宿屋があちこちに建てられました。

ギャラ子:
 酒場と宿屋が一緒って、RPGとかでよく見る1階が酒場で2階が宿になっているやつ?

セイカ:
 そんなイメージです。要は旅人の三大欲求を満たす施設ですね。食欲と睡眠欲と……添い寝欲! とにかく1900年代にホテルやレストランが定着するまで、酒場はこの1セットを提供する場所でした。そうやって街道沿いに宿場兼酒場が増える一方、都市部の酒場は飲食店としても発展しました。

セイカ:
 ローマの都市では多くの人は「インスラ」という安アパートに暮らしていましたが、キッチンが1階の共用スペースにしかなかったので、自炊せず外食で済ませることが多かったようです。

 都市にはバールやタベルナと呼ばれた軽食屋さんや、ポピーナという安ワインバーなど、予算や目的に応じて多彩な食料が軒を連ねていました。というわけで、タベルナにお邪魔してみましょう。

セイカ:
 古代ローマで人が集まる場所といえば、お風呂が有名ですが、もちろん酒場もにぎやかな場所でした。ただ、飲んで騒いで賭博に興じるお客さんも多く、お風呂より格が低いものとされていたようです。というわけで何かオーダーしてみましょう。女将さん、ワイン下さい。

ONE:
 キプロス産の甘いコマンダリアが入ってますよ。

ギャラ子:
 お腹すいたんだけど何かあるかな?

ONE:
 お食事ならこんなのがありますよ。

ギャラ子:
 普通に美味しそうじゃん。

セイカ:
 全盛期にはヨーロッパの大部分から西アジアまで完全に版図に収めていたローマ帝国。広大な領地内外で様々な食べ物が行き交い、食文化は発展していました。もっとも、その文化を享受するにはある程度の裕福さが必要でした。

ONE:
 飲み物はこんな感じです。

ギャラ子:
 多いな。ワインはメソポタミアから引き続きって感じだけど、ビールがなくない?

ONE:
 お客さん、ビールって蛮族の飲み物じゃないですか(笑)。

 現代でもおいしく召し上がれそうな食事とドリンクに「いいねぇ美味しそう」「マジで普通にうまそう」とコメントが寄せられました。

自家醸造が強み! 修道院酒場の台頭

セイカ:
 さて時代が下ると、かつて栄華を誇ったローマ帝国も崩壊してしまい、経済的、社会的基盤はボロボロになりました。貨幣経済は衰退し、商人の行き来は大幅に減りました。人口の大部分を占める農夫さんたちも、領主の元から離れることができず、ほとんどの場合村から出ずに一生を終えるようになります。

セイカ:
 そうやって人々の往来が途絶えると、ローマ時代に栄えた街道沿いの酒場は壊滅しました。そんな状況の中で数少ない巡礼者や旅人を支えた組織がありました。修道院です。

 元々人里離れた所に設置されていたために、村にたどり着けない旅人が立ち寄るには都合のよい施設でしたが……。 それだけにとどまらず、お坊さんたちはこの大変な時代に慈善事業として「キセノドキウム」という宿屋兼酒場を作りました。

セイカ:
 中世前期はこのように、酒場にとっても大変な時代でした。しかし時代が下るにつれて商業活動は復活し、かつての民営酒場も増えてきました。キセノドキウムも無償サービスを続けるのが厳しくなっていき、やがて方針転換せざるを得なくなります。

 修道院は民営酒場に対抗して、修道院酒場なるものをたくさん作りました。中世の多くの酒場は、お客さんに出すビールを自家醸造していましたので、その点お酒造りのノウハウを持っていた修道院酒場は強力でした。  

 修道院酒場は繁盛して拡大し、旅人はヨーロッパ中で宿泊、食事、添い寝サービスを受けることができるようになりました。ただ問題も出てきまして、酔っ払いのお坊さんが増えてしまったのです。教会の上層部は戒律を強化するなどして対応しましたが、巨大な組織なので徹底するのは難しく、いたちごっこでした。

ギャラ子:
 あの棒っこは何?

セイカ:
 あれはイギリスの酒場に見られたエールステークというもので、簡単に言えば酒場の看板と営業許可証を一緒にしたようなやつです。時期になると、お酒の質を検査する役人さんがやってきて、質が悪いと判断されると看板は取り外されて営業できなくなります。

 メニュー見せてもらっていいですか?

ONE:
 自家製のエールシードル、おいしい野菜のポタージュなんかがありますよ。エールはとても大事な飲み物ですよ。「飲むパン」って言われるくらいですし。一番人気はワインですけど、とても高くてめったに飲めませんね。二番煎じのワイン「ピケット」なら安いんですけれど……。

ギャラ子:
 エールって結局ビールとは違うの?

セイカ:
 エールの定義は時代によって変わるんだけれども、昔はビールの苦味の元であるホップを使うかどうかで区別されていました。ホップを使えばビール、ホップを使わないものはエールです。ただ中世後期になるまで、そもそもホップが広まっていないので、それまでのビールは全部エールと考えていいでしょう。

 「その名残がトラピストビール等として残っているのよね」「リキュールの女王ことシャルトリューズなんか有名だよね」というコメントにもあるように、現在でも修道院酒場時代の名残を楽しめるお酒もあるようです。

ビールと蒸留酒が飲食文化を変えた

セイカ:
 時代を進めましょう。中世末期頃から近世にかけて、いくつかの大きなイベントがありました。大航海時代の到来、および宗教改革です。中世末期頃から修道院はお酒の醸造や販売に関して、様々な特権を享受していました。

 そんな中、修道院の母体であるカトリック教会のやり方が、教義にもとるとしてバッシングを受け始めたのです。購入すれば罰が免除されるとして販売された贖宥状(免罪符)などが有名ですね。特権の元で順調に営業していた修道院酒場は真っ先に叩かれました。

セイカ:
 ほどなく母体のカトリック教会は、勢力が分裂する危機を前にして、修道院酒場を切り捨てました。結局宗教は分裂し、分裂した先に残された修道院も、その場所の権力者に酒場を土地ごと取り上げられてしまいました。お坊さん達はかわいそうでしたが、悪いことばかりではありませんでした。酒場は修道院のものから完全に民衆のものへと移り、商業的な発展を見せたのです。

セイカ:
 修道院酒場時代は、建前上慎ましく営業することが求められていましたが、宗教改革以降、修道院の手を離れたことで、いろいろなことが大っぴらにやれるようになりました。旅芸人を呼び込んでエンターテイメント性を売りにしたり、商人さんには商品倉庫や商談の場を提供したり、行き交う旅人には道の駅のような情報センターとして、仕事を求める人には仲介役として、様々なサービスを提供するようになりました。

ギャラ子:
 ゲームとかで、酒場でクエストを受けるのってひょっとしてさ……。

セイカ:
 はい、おそらくこの17世紀前後、近世の酒場をモチーフにしたものだと思われます。こうして商業的な発展が進むと、お客さんはどんどん集まり、酒場は町の中心的な存在となっていきました。集会や冠婚葬祭は酒場で盛大に開かれ、果ては裁判までもが酒場で行われました。このように、酒場は社会的に非常に重要なものとなったのです。

ギャラ子:
 ただお酒とご飯を食べる場所ってわけじゃないんだね。町に着いたらまず酒場にっていうのも、うなずける。

セイカ:
 さて、お楽しみの酒場メニューを見てみましょうか。

ONE:
 食べ物メニューはこちらになります。

ギャラ子:
 だいぶ豪華になった。

セイカ:
 大航海時代を経て、アメリカ大陸からお芋トウモロコシなど、様々な重要な作物がヨーロッパにやってきました。食べ物以外にもチョコレートお茶コーヒーは、ノンアルドリンクの選択肢を増やしました。

ギャラ子:
 ここでビールが出てくるのか。

セイカ:
 現在の酒の主役、ついに登場です。ビールもエール同様、麦芽から作るお酒ですが、先ほど述べたようにホップを入れて作るという特徴がありました。それまでのエールは芳醇な味と香りを持つものの、品質が安定しない上に保存がきかないものでした。その弱点を殺菌作用のあるホップを入れることで解消したのがビールです。

 品質が安定してる上に保存がきくっていうのは、大量生産ができて安いってことです。15世紀から広まりはじめたビールは、賛否両論の評価を得つつも生産性の高さから一気に広まり、16世紀にもなるとエールよりもビールの方が主流になりました。一方、蒸留酒の登場も社会的にインパクトを与えました。

ギャラ子:
 蒸留酒って度数が強いお酒だっけ?

セイカ:
 簡単に言うとビールやワインといったお酒から、純粋なアルコール分を取り出して作るものです。度数は40度とか50度とかいろいろですが、とにかくそれまで飲まれていたビールやワインとは比べ物にならないほど強いお酒です。

 こうした強いお酒の登場は、人々の飲酒文化を大きく変えました。それまでは「食事の一環としてのお酒」でしたが、新たに「安く手っ取り早く酔うためのお酒」が広まってしまったのです。特にイギリスでは一時期、政治的な理由でジンの税金が大幅に下げられ、タダ同然の値段で大量のアルコールを摂取することができてしまいました。町は酔っ払いで溢れ、喧嘩や傷害事件が増えました。

 こうした状況から、強いお酒に対する風当たりは強くなり、反蒸留酒運動、ひいては禁酒運動のきっかけとなりました。当時のジンへのバッシングとしては、ウィリアム・ホガースさんが描いた『ビール通りとジン横丁』が有名です。

セイカ:
 左側の伝統的なエールやビールの世界は活気にあふれて楽しげな様子が描かれ、対象的に右側のジンの世界では誰もがだらしなく不注意で、真ん中の奥さんに至っては赤ちゃんを階段から落としています。このように近世では、西洋酒場は社会的な全盛期を迎えましたが、一方で大量飲酒が問題となっていました。

 純粋なアルコールを抽出した蒸留酒の登場に、「飲む福祉ストロングゼロのご先祖さまかな?」「人類はいつの世も自分以外に罪を求めてるな」「今のタバコ規制に通じるものがあるな」といったさまざまなコメントが寄せられました。

 解説をノーカットで楽しみたい方はぜひ動画をご視聴ください。


▼動画はこちらから視聴できます▼

【雑学研究クラブ】酒場の歴史 むかし編

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