マックスむらいが人気の頂点で見た地獄──「私は好きなことで生きてはいけない」仕事への責任や使命感を背負って戦う生き様
ニコニコニュース / 2020年8月21日 12時0分
マックスむらい──『パズドラ』の生放送で数多くの降臨チャレンジに挑み、ユーザーに数えきれないほどの魔法石をプレゼントした男だ。
スマホゲーム実況の基礎を作り上げたのもマックスむらいであり、今では当たり前のように放送しているスマホゲームの公式番組の流れを生んだのもマックスむらいだ。
そんなゲーム実況、配信のひとつの時代を築いた先駆者であるマックスむらい氏であるが、2020年7月20日に投稿された動画にて、自身のYouTubeチャンネルの一時更新休止を発表した。
・マックスむらいTwitter(@entrypostman)
・マックスむらいYouTubeチャンネル
自身がAppBankの社長に復帰したことによる環境の変化をチャンネル休止の理由のひとつとして語っており、決してネガティブな理由だけでの休止ではなさそうではある。
しかし、『パズドラ』のマックスむらいを、あのインターネットのヒーローだったマックスむらいを知っている側からすると、「ひとつの時代が終わった──」、そう感じずにはいられなかった。それほどに大きな衝撃だった。休止の発表を受け、懐かしさと寂しさを感じた方も少なくないのではないだろうか。
そこで、2013年から約7年間の活動にひとつの区切りが設けられたこのタイミングで、マックスむらいという男の歴史を振り返るべく、マックスむらい本人にインタビューを実施。
聞き手に、かつてAppBankに所属し「ゲームファイター」の名で活動していた寺島壽久(ゲームキャスト)氏、人気絶頂を極めた当時を知る生き証人として、『パズドラ』生放送や「マックスむらい部」にてプロデュース業務を担当したドワンゴ社員の中條Dを招集。
かつてゲーム実況の文化で人気の頂点を極めたマックスむらいという男が、どのように時代を駆け抜けてきたのか、その軌跡を振り返っていこう。
聞き手/寺島壽久(ゲームキャスト)
撮影/トロピカルボーイ
文/竹中プレジデント
──むらいさんお久しぶりです。今日はよろしくお願いします。
マックスむらい:
久しぶりじゃんゲーファイ【※】!!
※AppBank時代のライターネーム「ゲームファイター」の略。
──本日は当時の生き証人として中條さんをお招きして、ゲーム実況の時代を先駆けていったマックスむらいという男の軌跡を振り返っていければと思っています。じつはインタビューを相談したのが3日前で、ものすごいスピード感で進んでいるという。
中條D:
3日前にむらいさんにインタビューの話をしたら、明日と明後日と明明後日の空いてる時間帯はここって連絡がきて。
マックスむらい:
やるなら早いほうがいいかなって。あ、ひとつだけお願いしたいのが、むらい目線でのお話だってことだけは明記していただきたいです。私の記憶力って割と曖昧なので、盛る可能性がありますと(笑)。
──了解です(笑)。
マックスむらい伝説1:ゲーム公式生放送&魔法石プレゼントのモデルを作った
──マックスむらいと聞けば、『パズドラ』のマックスむらいをイメージする方も多いと思います。そして、今では定番化しているスマホゲームの公式生放送の先駆けが『パズドラ』であり、マックスむらいであったと記憶しているんですが、そもそもこの公式生放送はどのような経緯で始まったんですか?
マックスむらい:
当時、AppBankでは『パズドラ』のグッズ展開もしていて女神降臨のケースを作っていたんです。その宣伝で何かできないかと考えていたある日、AppBankにドワンゴの人が打ち合わせできているらしいと耳にして、これはチャンスだと思い「公式生放送やってみたいです!」と突撃したんです。
──さすがのアグレッシブさ。その際のドワンゴ側からの反応はどうだったんですか?
マックスむらい:
画質の問題であったり、放送画面のレイアウトが確立されていなかったりで、スマホゲームでの生放送じたいが難しいというのが最初の反応でした。
そこを何とかワンチャンってお願いしたところ、まずは企画書を見せてくださいと。それで企画書を書いて話を進めていくんですが、生放送には当然ながら費用がかかるんですよね。でも私たちはお金を払いたくなかったので、これまた「何とかなりませんか」って頼み込んだんです。それで生まれたのが“女神降臨”のチャレンジ企画【※】だったんです。
※期間限定で開催される高難易度のダンジョンにマックスむらいが挑むというもの。
──そんな経緯からチャレンジ企画が始まったとは。
マックスむらい:
第1回生放送は、平日の昼間、11時45分から放送が始まって、12時から女神降臨に挑戦する1時間15分の番組でした。その時の視聴者が約16万人で。
──当時のインターネット規模を考えるとものすごい数字です。
マックスむらい:
視聴者の熱量もすさまじかったし、挑戦じたいもすごく楽しかったです。
生放送後に山本さん【※】から教えていただいたんですが、ガンホーのパズドラスタジオの方々もお昼ご飯を食べながら見てくれていたそうで。一般のプレイヤーがどのように楽しみながらゲームをプレイしているのかを初めて見たらしく、めちゃくちゃよかったと。それを聞いてものすごくうれしかったですね。
※『パズドラ』プロデューサーの山本大介氏。
──ゲーム実況が今ほど盛んではなかった時代ですから、ユーザーがゲームを楽しんでいる姿じたいが貴重だったわけですね。
マックスむらい:
おっしゃる通り。その1ヵ月後の2月の中旬にプライベートで山本さんと会う機会があった際に、「前回の女神降臨チャレンジがものすごくよかった。もうすぐ『パズドラ』1周年なのでもう1回できないか」と相談があったんです。
そこでドワンゴさんに急遽相談したらひと言「いつでもいいです。すぐやりましょう」と言っていただいて、1周年2日前の2月18日に大泥棒参上の番組をやることになったんです。
──なんともスピーディーな展開に驚きです。
マックスむらい:
しかも、山本さんから、もし私がノーコンでクリアーできたら魔法石をプレゼントしますっていう大きなお土産もいただいていたんです。
1発目の女神降臨でクリアーに十何回とコンティニューしているんですよ私。でも今回は魔法石のためにも負けられない。そこで耐久パ(生存することに特化したパーティの略)を組んで、見栄えは無視して長時間殴り続ける戦法を取ったんです。
その結果、奇跡のノーコンクリアーしちゃって。大興奮のまま番組中に山本さんへ電話しちゃいました。「責任は取っていただきますよ」って。
──ユーザーを代表してクエストに挑戦し、クリアーできたら課金アイテムを全ユーザーにプレゼントする。ひとつの文化が生まれ、歴史が動いた瞬間かと。
マックスむらい:
今では当たり前の文化なのですが、当時はそういう試みがなかったこともあり、後日、山本さんは社内で怒られるっていう(笑)。
マックスむらい伝説2:4秒に数十億以上を背負っての「降臨チャレンジ10本勝負」
──大きな反響を呼んだ降臨戦生放送ですが、その中でもとくに有名なのが、『パズドラ』2周年のときの「降臨チャレンジ10本勝負」ではないでしょうか。
マックスむらい:
「降臨チャレンジ10本勝負」は私にとっても忘れられないイベントです。周年を記念する大切な日の放送のメインが私の降臨戦で、本当に気持ちが入っちゃって、挑戦中ずっと指が震えていたのを覚えています。
──2周年記念の番組のいちコーナーではなく、番組そのものがむらいさんの挑戦企画というのは、確かにすごいですね。
マックスむらい:
震えが止まらないから、普通に押すくらいだとパズルができないんです。だから突き指するんじゃないかってくらい強く画面を押して、絶叫しながら4秒間指をゴリゴリ動かしてプレイしていました。
──誰よりも濃い4秒間を過ごしている。
マックスむらい:
私は業界発展への使命感を背負っている気持ちで仕事をしていたので、その4秒に数十億以上かかっていることを背負ってのプレイなわけです。もうあのときは毎パズルごとに酸欠で視界がホワイトアウトしていました。ガチで。
──リアクションが大きいなと思いながら見ていたんですが、実際には死に物狂いでプレイしていたと。
中條D:
その日、現場にいたんですが、むらいさんの集中力を乱さないようになるべく会わないようにしていました。それくらいピリピリした雰囲気を纏っていました。
マックスむらい:
じつはこのチャレンジ中、何回もここで奇跡が起こらないと負けるなってシーンがあるんですが、その度に悪魔と契約していたんですよ。
──悪魔と契約!?
マックスむらい:
これ本当なんです。ピンチのときに、私の寿命を2週間分あげるからこのパズルを成功させてくれって、リアルに心の中で悪魔と契約していたんです。あのニコファーレのステージ上、何万ってコメントが流れてくる中で。
「2週間じゃダメ? じゃあ1ヵ月は?」みたいに悪魔と交信していると、悪魔から「その契約でいいだろう」って返事をくれることがあるの。ガチで。それで実際に上手くいく。だからね、「降臨チャレンジ10本勝負」で数ヵ月分くらいの寿命を悪魔に代償と払っているんですよ。
中條D:
その契約が理由かわからないけど、すごい運が味方していたのは確か。例えば、ゼウス戦道中の雑魚戦、火と水と木のキマイラがランダムで出現する場面で、是が非でも引きたい水属性2体を引いたり。
マックスむらい:
そう。あそこで水属性のキマイラを引かないと負けだった。もっと言えば、対ゼウスのボス戦でも落ちコンがきてなかったら負けていた。
中條D:
後日、有志の方がダメージを計算した際に、落ちコンがあったからギリギリ倒せていたらしくて。そういう奇跡が幾重にも重なってあのミラクルが起きたんだなと。
マックスむらい伝説3:人気すぎてトイレまでファンが詰めかける
──人気絶頂の当時、日常生活ってどうだったんですか?
マックスむらい:
すべてがおかしかった。「お願い!ランキング」で地上波に出演した際に、合計で20人くらいに告白されたことがあったんですが、その比じゃなかったです。
マスクをしていても、街を2、300メートル歩くだけで声をかけられて、写真を撮っているといつの間にかそこに列ができてしまい動けなくなっちゃっていました。もう何が起こっているのかわからなかった。
中條D:
当時、いっしょに行動することが多かったんですが、間近で見ていてもすごかったです。むらいさんが移動することじたい細心の注意が必要でした。歩いて数分程度の移動でもタクシーに乗って移動することもありました。
マックスむらい:
地方のイベントに出演したときも、ホテルからイベント会場まで歩いて5分程度の距離なのに、ホテルを出たらすぐに声をかけられて、イベント会場にたどり着くまで1時間半以上かかってしまったこともありました。途中でスタッフが迎えに来てくれて無理やり列を切ってくれなかったら、もっと時間がかかっていたと思います。
──まるでアイドルのような人気ですね。
中條D:
この話は有名なんですが、イオンモールのイベントで、本番前にむらいさんがトイレに行ったら子どもがついていってしまって。むらいさんがおしっこをしているところを写真に撮る事件があったんです。
マックスむらい:
撮らないでくれーやめてくれーって言いながらおしっこすることになりました(笑)。
中條D:
子どもは無邪気だから撮っちゃうんですよね。それ以来、むらいさんのセキュリティレベルがひとつ上がって、トイレは演者用のを使うことになりました。
マックスむらい:
そうそう。次からはこちらでお願いしますって言われて。本当に当時は普通に生活ができる環境ではなかったです。
マックスむらい伝説4:好きなことで生きていなかった
──そこまでマックスむらいの人気が日常生活に浸食してしまう状況で、当時のむらいさん自身はどのような心境だったんですか?
マックスむらい:
正直なところ、気が狂うかと。明日のことを考える暇すらなかったです。
先ほども話しましたが、私は業界発展への使命感を背負っている気持ちでしたので、私が降臨戦に勝つ=来月のスマホゲーム業界全体が上向くか向かないかだと思っていました。そう考えると勝敗の影響が大きすぎて、降臨戦は勝たないといけないものになっていったんです。
そんな状態ですから、降臨戦のある1週間前から鬱で仕事ができませんでした。席に座っていられなくて、オフィスの端で地面にへたり込んでひたすらキャラのスキル上げをしていました。
中條D:
降臨戦のときのむらいさんは、かなりピリついてましたね。
マックスむらい:
多分超イライラしてるように見えていたと思う。
──AppBankの社員だった僕たちも声をかけにくかったし、実際「今日は近づかないように」って言われることもありましたね。
マックスむらい:
自分の中で勝手に業界の未来を背負っていたので、本当にあのときは降臨戦しか見えていなかった。それこそ負けたら死ぬんじゃないかくらいに思い詰めていました。
中條D:
『パズドラ』生放送でレギュラー回と降臨戦回でむらいさんの目が違っていた。
──今のお話を聞くと、使命感やプレッシャーが大きすぎて、ゲームを楽しむ感情が入る隙間がないように思えます。
マックスむらい:
ないですね。本当になかった。降臨戦が終わったあとも、「今日は1日楽しかったありがとう」じゃなくて、「なんとか乗り越えられた……」でした。
──YouTuberを表すひとつの言葉として「好きなことで、生きていく」ってありますが、むらいさんのお話を聞いているとその対極にあるように思えます。むらいさん的にピュアにゲームを楽しめていた時期ってあるんでしょうか。
マックスむらい:
ない。私は好きなことで生きてはいけないと思っています。
中條D:
むらいさんそれずっと言ってる。
──なんと。
マックスむらい:
私自身はAppBankという会社としてYouTubeをやっています。その中で、好きなことだけではなく、仕事への責任だったり使命感だったりを背負って人間は生きていくものだと、そう言い続けています。
YouTubeのテレビCMは、仕事としてオファーいただいたので、であれば仕事としてそのメッセージを私は背負います、という気持ちでした。
マックスむらい伝説5:自分の役割が終わったと感じたのは『白猫プロジェクト』生放送
──マックスむらいとして頂点に達したと感じた瞬間ってどのタイミングなんですか?
マックスむらい:
マックスむらい個人としての頂点は2014年2月の「降臨チャレンジ10本勝負」だと思います。
降臨戦を勝ち続けていたとき、頭の中では『SLAM DUNK』をイメージしていたんです。山王戦で勝ったら愛和学院に負けないとダメだと。私にとって「10本勝負」は山王戦だったから、その先はどうやって負けるかが大事だとものすごく考えていました。でもわからなかったから、そのあとグジグジしちゃったんだと思う。
──頂点に達したと感じたと同時に漫画でいう最終回、つまり終わりかたを考えるようになったと。
マックスむらい:
もうこれ以上は無理だと思った。悪魔とも契約しちゃったし燃え尽きて灰になった。でも、会社はマックスむらいで回っちゃってるし、多くの人を雇用して動き出してる。じゃあ頑張らないと。みんなに喜んでもらえるように必死にやり続けるしかないとって気持ちだった。でも「10本勝負」以上は二度と無理、超えられないと思う。
──「降臨チャレンジ10本勝負」がマックスむらいとしてのターニングポイントなんですね。
マックスむらい:
そこがひとつなのは間違いない。あとは、自分自身が『パズドラ』『モンスト』に関わってきたからでもあるんですけど、他の多くのスマホゲームで公式番組が放送されて、挑戦コーナーがあって、アイテムを配って、と定番化された時点で、私の役割は終わったなと当時は考えていました。
中條D:
その話、リアルタイムで聞いていました。
マックスむらい:
もともと、大学生や若手の社会人が階段あたりで4人集まってゲームを遊ぶ。もっと具体的に言うと、『モンハン』を遊んでいるような文化がゲーム機としてのiPhoneの世界にほしい想いからAppBankやマックスむらいはスタートした部分もあったんです。ですので、『モンスト』のマルチが広がった時点で半分役割は終わったと感じていました。
そして『白猫プロジェクト』の生放送が、自分とは関係なく配信されているのを見て、ゲーム公式生放送というものが業界における発信方法のひとつとして確立したと。ああ、これで本当に役割終わったなと。
──恐らくその時期って、多くの記事メディアがAppBankとマックスむらいを目指して動き出していたタイミングだと思うんです。その時点で、むらいさんとしては役割を終えたと感じていたというのは興味深いです。
AppBankで記事が掲載された日がリリース日
──ここからはマックスむらい個人だけでなく、AppBankとマックスむらいに焦点を広げてお話をお聞きしていければと思います。まずは、AppBankというメディアが最初にどういう経緯で立ち上がったのか。何度もインタビューで聞かれていることだと思うのですが、改めて教えていただけますか。
マックスむらい:
AppBankが立ち上がったのは2008年10月です。その3ヵ月前の7月、新星のようにiPhone 3Gが日本で発売されて、その端末を買って触った際に、ガラケーとはまったく異なる衝撃を受けたんです。この小さな端末こそがインターネットそのものであると、この小さなディスプレイの中に全力投下すべきだと。
プログラマーではなかったのでアプリは作れない、じゃあ自分たちにできることは何だと。記事を書くことだ、となりAppBankが始まります。
──当時、ブロガーブームが巻き起こっているなか、突然AppBankというメディアが現れて、業界1位をさらってしまったというか、一気にWEBメディアのトップ層に食い込んだところで、周囲からはどのような反応が?
マックスむらい:
じつはサイトがスタートしてから1年半くらいは、朝から晩までほとんど誰とも会わずにほぼ休みなしで記事を書いていたので、そのあたりの反応は追えていなかったんです。
必死に記事を書いて気付いたらアプリレビューの市場でAppBankの知名度があっという間に上がっていて。私が人と会ってコミュニケーションを取るようになったのは、AppBankが界隈で認知されたあとでした。
──そもそも当時はアプリレビューを専門としたメディアがなかったですよね。
マックスむらい:
そう、専門メディアはなかった。アルファブロガーさんが数週間に1回くらいの頻度でアプリレビューを書くくらい。
だからこそ自分たちで1日に10本でも15本でも記事を書き続ければ必然的に業界1位になるよね。だからひたすら記事書こうぜって。私と宮さん【※】のふたりで始めたときも1日12、3本程度書いているんですよね。1日に記事8本が私のノルマで、だいたい1時間に1本記事を書いていくのが自分のペースでした。
※宮下泰明氏……AppBank前社長。
──僕がとくに印象に残っているのは、記事の速度感の違い。あるとき、むらいさんが「これから1時間に記事を1本あげていく」ってツイートして、みんなが、とくに僕が「そんなことできるわけないじゃん」っていうなかで本当にそれを達成してしまって。その速度が、読者を盛り上げるお祭りとなっていましたね。
マックスむらい:
少し時代背景に触れると、当時は日本のデベロッパー(アプリ開発者)がほとんどいなくて、海外アプリばかりでした。で、英語に苦手意識を持っている方も多かった。だからAppBankは、深いレビューはアルファブロガーさんたちにお任せして、アプリを起動してそのアプリの機能がわかるまでのチュートリアルないし説明書の役割を持つ記事を出していたんです。
──AppBankの勢いはすさまじかった。外から見てもそうでしたし、当時オフレコの場でチラリと明かしていた数値やデータ関連もすごい数値でしたよね。今だから明かせる数値などありませんか?
マックスむらい:
あるとき、Appleの発表から逆算してみたら、日本のアプリにおけるお金の動きの2割強がAppBank経由だった。
──すごい……。
マックスむらい:
そういった状況だからか、アプリ開発者の方の中には「アプリがリリースされた日がリリース日ではなくて、AppBankで記事が掲載された日がリリース日だ」とおっしゃる方も多かったです。
──僕がAppBankに入った理由もまさにそこで。僕の好きなゲームを応援したい、売りたいと思ったとき、AppBankでそのゲームの記事を書くことがもっとも近道だったんです。結局、「ファイターの好きなゲームはマニアックすぎるから違うゲームを」と度々言われることになるのですが(笑)。
『パズドラ』に賭けた理由
──アプリレビューの市場で頂点を極めたAppBankですが、『パズドラ』との出会いでまた大きな変化がありますよね。僕がAppBankに本格的に関わるのも「パズドラ究極攻略DB」だったんです。これを作るために呼ばれて行ったら、「これからのAppBankはiPhoneだった。これからのAppBankは『パズドラ』になる」と、宮下さんが言っていて。
マックスむらい:
そうだ。弟(インタビュアーである寺島壽久氏の実弟)とふたりで来てくれって。
──当時は意味がわかりませんでした。確かに『パズドラ』はすごいけど、iPhoneからいちゲームに乗り換えるなんてあり得ないと。そもそも『パズドラ』の存在を知った時期っていつころだったんですか?
マックスむらい:
リリースの1ヵ月か2ヵ月くらい前、ハドソンからガンホーに転職されたばかりの山本さんから「こんなゲームを作ったので見てほしい」と連絡があったのがきっかけだと思います。
──あー! もともと山本さんはスマホゲームのヒットメーカーだったし、『エレメンタルモンスターTD』がヒットした時点で繋がっていたのか!
マックスむらい:
そうそう。山本さんがハドソン時代に作っていたゲームをAppBankで記事にしていて、その縁から連絡がきた感じ。それまで電話やメールでのやりとりはあったけど、直接会ったのはそのタイミングだったと思います。
──『パズドラ』が社会現象になる遥か以前に、『パズドラ』のどこを見てそこまで賭ける価値を見出したんでしょうか。
マックスむらい:
今でこそiPhoneで遊べるゲームは数多くあるけれど、当時におけるiPhoneのゲームは『探検ドリランド』や『怪盗ロワイヤル』を筆頭としたカードソーシャルが主流で、Apple Storeのトップセールスを見ても1位から50位をカードソーシャルが占めていた時代だったんです。
──確かに。あの時代であそこまでしっかり動いて、手触りが良くて、ゲームしているアプリは珍しかった。
マックスむらい:
もちろん全部がそうではないけれど、ゲーマー向けでマニアックだったんだよね。カードソーシャルが流行り、そのプロモーション、要するに札束の殴り合いに業界が乗っ取られちゃったときに、「俺たちの役目終わったよね。AppBank閉じる?」って話を宮さんともしていたんです。
そんなときに現れたのが『パズドラ』だった。『パズドラ』ならiPhoneがゲーム機だと胸を張って言えるし、なんだったらそのゲーム遊びたさにiPhoneへの機種変もあり得るぞと。AppBankが生き残るためには、まず『パズドラ』を1位のゲームにしないとダメだと。
今だから言えることなんですが、カードソーシャルを駆逐することが俺たちの使命だ。iPhoneのため、業界のために『パズドラ』を1位にするんだという想いでスタートしているんです。
──なるほど。そういう想いで『パズドラ』に全力を注ぎ込んでいったと。
マックスむらい:
じつは『パズドラ』絡みで鎌倉の地でガッツポーズしたことがあって。リリースから3、4ヵ月後くらいかな、その時には『パズドラ』はすでに何度もセールス1位になっていたんだけど、カードソーシャルのプロモーションが集中する月初である1日の1位だけは取れていなくて。
──月の終わりで給料日を迎えて、1ヵ月に使えるお金の制限が解除されるから、みんなが課金するタイミングなんですよね。
マックスむらい:
そう。もっとも課金が集中する日だから、その日以外で1位を取っても真の1位とは言えなくて、月末を超えた1日に1位っていうのがモバイル業界的には真の1位と言えると思っていたんです。5月1日か6月1日、どちらか思い出せないんですけど『パズドラ』が1位になって。
その前日、今日が勝負だって『パズドラ』の記事をめちゃくちゃ書いたんですよね。そして日付が変わって『パズドラ』が1位になっていて、おらーって思わずガッツポーズしちゃったことを覚えています。
石カウンターパでゼウスに挑むツイキャスが反響を呼ぶ
──『パズドラ』関係だと、ツイキャス配信でものすごい反響があったと記憶しています。
マックスむらい:
ツイキャス配信の反響はヤバかった。視聴者の熱量も数字もすごかったはず。古参の方からすると、ゼウスを30回くらいコンティニューして倒す挑戦が印象に残っていると思う。今も多分動画【※】ありますよ。ほらっこれ。
──30回コンティニュー!? というか石30個って金額に換算すると相当ですよね。
マックスむらい:
2000円ちょっとくらいかな。当時、今より全然パズルを組むのも苦手だったので、正攻法でゼウスを倒せる気がまったくしなくて。
だから倒される前提のパーティーを組んだんです。その名も“石カウンターパ”。リーダースキルが「ダメージを受けると、たまに闇属性攻撃で猛反撃する」のダークゴーレムを自分とフレンドのリーダーに設定して、ひたすらカウンターだけでダメージを与えていくという。
──ゴリ押しだ(笑)。
マックスむらい:
これがバカウケして。
──動画を見て思ったんですが、動画のUIじたいが今と全然違います。モニターにスマホゲームの画面を映してと、割とアナログ寄りの手法ですよね。
マックスむらい:
当時は今みたいにテンプレートが確立してなかったから探り探りだったんですよね。
中條D:
まず当時の主流は、ゲーム画面がメインでドーンってあって、それ以外の余白は黒。小さく出演者のワイプを入れるくらい。
マックスむらい:
そうそう。番組も最初のほうはそうだった。
中條D:
当時、現状では見にくいなと思っていて。そこで試行錯誤した結果、スマホ画面を左に寄せて右側にカメラ絵を配置するフォーマットになったんです。今では業界のテンプレートですが、恐らく最初に作ったのは自分だったんじゃないかなあ。
マックスむらい:
うん。本当にそうだと思いますよ。あのUIは発明。
メディアとしてAppBankが“負けた”ポイント
──『パズドラ』フィーバー後、AppBankが攻略記事を書いて、アプリと相互リンクを張って、ユーザーが離脱しないように応援する、みたいな座組が流行っていった記憶があるのですが、実際の反響はどうだったんでしょう。
マックスむらい:
めちゃくちゃあったよ。私自身が窓口ではなかったので、直接的な声はそこまで聞いていないけど、『パズドラ』での成功事例を多くのメーカーさんが目指していて、AppBankと組みたいと熱視線を送ってくれていた。それに応えていけたかは……どうなんだろうね。
──この時期、宮下さんが「これまではパズドラ、これからはマックスむらいがAppBank」ということを語っていましたね。実際、そういう時期だった気がします。マックスむらいは動画メディアに力を入れているなか、「AppBankの武器はマックスむらいで、その力をどれだけ生かせるか」的な話も文字メディア側で話されていました。
マックスむらい:
申し訳ないがぶっちゃけわからない。というのは、動画に集中するようになってからは、動画以外まったくタッチできてないから。
──内部にいた僕が言うのもよくないことですが、2015年くらいからAppBankのおもしろさが目に見えて減退したと感じているんです。PVが取れていてもそれは攻略記事のもので、AppBankがおもしろいから来てくれる読者は減ってしまった、と。
そんななかでマックスむらいがパズドラ攻略日記を始めたらPVがものすごい安定して、結局のところマックスむらいを見に来ているんだ、みたいな状況でした。だから、むらいさんに動画を出してもらうしかない、みたいな流れがあって、恐らくむらいさんにめちゃくちゃ多くの人が相談にいったと思うんですよ。
マックスむらい:
多かったね。私は基本的に社内からのリクエストであれば、体力が持つ限りすべて応えるスタンスでした。
中條D:
けっこうフラフラしてましたよね。
マックスむらい:
正直ヤバかった。全部門からのリクエストにひたすら応えていたからね。だから当時、メディアが何をしているのかまったくわからない。逆に、あのマックスむらいの生活をしていて他の部署まで細かく見られたらスーパー超人だと思う。自分の動画制作をひたすら続けていた毎日だった。
ただ、『パズドラ』『モンスト』とAppBankがゲーム攻略で成功していったなかで、明確にここが負けポイントだと思うことがひとつあるんですよね。
──それは?
マックスむらい:
うちはメーカーさんと距離が近すぎた。半公式という距離感で実質公式に近い立ち位置だった。ということはオフィシャルにしたくない情報は取り扱えないわけで、例えばゲリラ情報は出せなかったんです。
──公式の色が強いがために出せる情報が縛られてしまうと。
マックスむらい:
そう。当然だけど私たちは(ゲリラ情報を)出したかったし、私自身が交渉した覚えはあるけれど、この距離感で出すのは難しいという結論になって、結局出せなかった。AppBankがそういう情報を出さないときに、まとめサイトやWiki系のメディアはAndroidからデータをハックしてガンガン最新情報を出す。
もともとファミ通さんが作っていたゲーム攻略の文脈を、インターネットのスピード感を使ってぶち壊したのがAppBankだった。そこにメーカーとの距離感、守るべきモラル、発信すべき内容の精査の必要がないWiki系のメディアが現れたことで、負けたよね。
YouTubeチャンネルとしてのAppBankの失敗
──動画のほうに触れていくと、AppBankのYouTubeチャンネルでは、むらいさんだけでなくさまざまな人が動画に出演するようになっていきますよね。
マックスむらい:
ゲーファイも出てくれてたもんね。
──だんだん演者が増えてチャンネル数じたいも増加していきます。多チャンネルへと舵取りしたことには何か理由が?
マックスむらい:
あれは関わってくれているみんなが、ひとりでも動画を撮りたい、発信したい、だからチャンネルを持ちたいんですというリクエストに対して、どうぞどうぞと応えたかたちかな。
結局、私ひとりが全員のリクエストに応えられる時間がなかったので。個人でも動画を撮れる、発信できるようにチャンネルが増えていった。
──最初、出演者を増やして多チャンネル化していく方向はすごくうまく機能しているように見えました。
マックスむらい:
うん、うまくいっていた。
──ただ途中から、演者がAppBankを辞めて独立する流れが出てきてしまいますよね。あの動きってむらいさん的にはある程度は想定していたことなんですか?
マックスむらい:
いや、あの当時は見えていなかったね。完全に私のミスジャッジ。明確な失敗だと思っています。
──もし当時に戻るとしたらどうします?
マックスむらい:
全員と個別でタレント契約を結ぶ。YouTubeがこんなに儲かるプラットフォームになるとは想像できてなかった。要するに会社からもらえる給料以上の収入を得られることが、YouTubeの管理画面を見るだけでわかるわけで。だったら自分でやったほうがいいと思うよね。
──僕が聞いている話でも、君レベルならこれくらい稼げるよって、各所から引き抜きや独立を促すんですよね。
マックスむらい:
あと、私の中では炎上が会社にもたらした影響が大きいかと思っています。
──どの炎上ですか?
中條D:
すごいよね(笑)。炎上って言われてどの? って聞かなきゃいけないのは。
マックスむらい:
横領絡み。みんなに与えるショックは大きかったし、いっしょに仕事できないと思うようになった人もたくさんいると思う。
──ライターチームの僕からすると、横領の件は割とどうでもよかったんです。僕以外のライターチームでも同じ考えの人はいたと思う。
マックスむらい:
本当に? 動画チームは影響が大きかったんだけど、ゲーファイがそんな風に思えたのはなんで?
──僕らには関係ないかなって印象があったんです。もちろん関係ないわけではないんですが、上場にあたって問題、みたいな話だったじゃないですか。でも、上場が関係するのは株式をもらえる古参の方々で、その人たちは動画チームへ行っていた。メディアチームでは上場のメリットを感じていない人の方が多かったと思います。
なにより、もっと大きな問題が目の前にあった。当時のAppBankのメディアチームってすごく迷走していて。先ほど言った「おもしろくなくなっていった」ことをどうすれば解消できるか悩んでいた。それに伴ってライターチーム内での意見のすれ違い、小さな派閥争いがあって。
マックスむらい:
そういうチーム内の派閥なんかも知らない。
──PR記事がAppBankを支えている考えと、そもそもPVの下支えをしている記事、手堅い物販が支えているみたいな考えがあって、その中でギスギスしてしまって。あと、記事にはできないんですが、ゴニョゴニョ……。
マックスむらい:
すげーーーーー!!
中條D:
この話、むらいさんは知らないんですか?
マックスむらい:
知らない。えーーっその顛末どうだったの?
──ゴニョゴニョゴニョ……。
中條D:
これ記事に書けるのかな(笑)。
マックスむらい:
書けないでしょ(笑)。
今のAppBank、これからのAppBank
──今年の1月に社長に復帰して、改めてAppBank全体を見るようになったと思います。メディアとしてのAppBankって今どうなんですか?
マックスむらい:
もともと月1500万PVだったのが、2月に2400万PVにドンと上がって、そこから数ヵ月で4000万PV目指せるところくらいまできました。
──AppBankが上り調子になっているのってどのあたりが要因なんでしょう。社長復帰前後で何か変わったことが?
マックスむらい:
サイトの構造を見た場合、私が社長に復帰する前後でじつは変わってない。メディアの方向性や今後の課題、動きなどは現在進行形で話し合ってはいるけど、そこは次のステップだと思っている。
一番の優先事項として取りかかったのがライターのケア。いっしょに記事を作ってくれるメンバーが、記事を書くことに誇りを持ってほしいし、AppBankで仕事をしていることに対してプライドを持ってほしかった。
──数ヵ月で数千万伸びるって、簡単に出る数字ではないと思うんですよ。
マックスむらい:
うーん、でも逆にそれくらいのポテンシャルがAppBankのみんなにあったんじゃない? まだそこまで大きく何を変えようって着手しているわけでもないので。
──ライターチームって今どんな雰囲気で働いているんですか?
マックスむらい:
みんなすごい議論しまくって楽しそうに仕事してるよ。「こうすればもっとよくなるのになんでやらないんですか?」とか「こっちのほうがもっとよくなるんじゃないか」とか、いい意味でバチバチやり合ってる。ディスカッションやるなら私も混ぜてーってチャット飛ばしたら「御意」って返事がくる環境。
──いい空気ですね。続いて、一時休止と発表した動画に関してなんですが、今後、マックスむらいが動画に戻るとしたらどんなときですか?
マックスむらい:
動画に関しては、「最後にやりたいこと」をやり切ったらいったん休止して、いろいろと準備して仕込んでいこうと思っています。その準備期間が終わればチャンネル再開へ。自分たちの納得というか満足できるところまで作りこめれば再走しようと考えています。……多分暖かい季節のうちに。
──おおっ! 意外とすぐじゃないですか。
マックスむらい:
という話をヒカキンさんと話して、バラの花束でビンタされました(笑)。
中條D:
そんなすぐ戻ってくんのかよーって殴られたらしい(笑)。
マックスむらい:
ニュースを見て本当に辞めると思ったらしく、即連絡をくれて。でも動画の中でいつころ再開するんですかという話になって「気温が暑いには再開したい」っていったら「すぐじゃないですかー」って。
中條D:
1ヵ月くらいってことですからね。話題作りに大成功しやがったんですよ。
マックスむらい:
でもそんな気持ちは全然なかったんです。動画の中でも「休止」と説明していたんですが、「最後にやりたいこと」というワードが強すぎたみたいで。
ただチャンネルとしてはガラリと変わります。ロゴも変わりますし、このパーカーも、休止前の撮影が終わったらマックスむらいチャンネルでは着ないつもりです。7年間やってきたフォーマットはもう通用しないと思っているので、ゼロから作り直していきます。ぜひ楽しみに待っていていただけるとうれしいです。
<インタビュー後>
──あっ、ちなみにそのパーカーもう着ないなら読者プレゼントさせていただくっていうのは難しいですか?
マックスむらい:
パーカーはこれが最後の1着で、マックスむらいチャンネルではなくAppBankTVのほうでは着るつもりなので、手元に残しておきたいんですけど、Tシャツなら2枚あるのであげられますよ。もう作らないのでこのTシャツも自分用除いたら最後の1着です。
──ありがとうございます! 実質ラスいちマックスむらいTシャツ。サインなんかもお願いしていいですか……?
マックスむらい:
いいですよ!
マックスむらいさんサイン入り「マックスむらいTシャツ」を1名様にプレゼント🎁
— ニコニコニュース (@nico_nico_news) August 21, 2020
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▼インタビュー記事https://t.co/6C8SVjwwu4
締切:2020/8/27(木)23:59 当選はDMでお知らせします pic.twitter.com/09cO8iOH2b
プレゼント企画の参加方法は、ニコニコニュースTwitterアカウント(@nico_nico_news)をフォロー&該当ツイートをRT。ぜひ奮ってご応募を。
『パズドラ』のマックスむらいはまさしくインターネットのヒーローだった。しかし、華やかな表舞台の裏側に目を向けると、業界発展のための使命感や責任を背負って戦うひとりの男の姿がそこにはあった。
iPhoneのため、業界のために『パズドラ』を1位にするんだという想いでスタートし、やがて彼の指先ひとつに数十億以上が託されるように。スマホゲーム実況の基礎や公式生放送、魔法石プレゼントのモデルを作るなど、マックスむらいの功績の大きさを改めて実感できた。
そんな、ゲーム実況における“ひとつの時代”を築いた男が、チャンネルの更新休止というかたちで、自身の7年間の活動にひとつの区切りを設けた。そして、ゼロから動画スタイルを作り直し、新しい一歩を踏み出そうとしている。
一度頂点を取った男が改めてゼロから生み出すムーブメントがどのようなものになるのか。いかに仕掛けてくるのか。マックスむらい、そしてAppBankの今後の動きが楽しみだ。
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