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いま囲碁界で起きている”人間とAI”の関係──「中国企業2強時代」「AIに2000連敗して人類最強へと成長」将棋界とは異なるAIとの向き合いかた

ニコニコニュース / 2021年2月25日 11時30分

 1997年。IBM社が作ったチェスAI『ディープ・ブルー』が人類最強のガルリ・カスパロフ(当時のチェスの世界チャンピオン)を倒した時、将棋のプロ棋士の多くはこう言いました。
「将棋はチェスより複雑だから俺が生きてるあいだは負けない」

 その16年後の2013年。山本一成さんが作った将棋AI『ポナンザ(Ponanza)』が佐藤慎一四段(当時)を倒した時、囲碁のプロ棋士の多くはこう言いました。
「囲碁は将棋より遙かに複雑だからコンピューターに負けることは絶対にない」

 しかしそのわずか3年後の2016年。ディープマインドが作った囲碁AI『アルファ碁(AlphaGo)』が世界トップ棋士の李世ドル(イ・セドル ※ドルは「石」の下に「乙」)を倒した時、全世界は大慌てしました。
「人間の仕事が機械に奪われる!」

 日本国内では、電王戦の影響もあって将棋AIがプロ棋士を破った時のほうが大きく報道された印象ですが、世界規模で見れば囲碁AIが人類トップを破った時のほうが遙かに大きなニュースになりました。
 それはなぜか?

 一つは、アルファ碁を作るのに、超巨大IT企業であるGoogleが関わっていたこと。
 そしてもう一つは、そのAIが『ディープラーニング』(深層学習)という技術で作られたということ。

 今後、将棋でもディープラーニング系のソフトが主流になるであろうと予測されています。
 果たして何がどう変わっていくのでしょう?

 ディープラーニング系のソフトは、どんな囲碁を打つのか?
 導入するのは難しいのか? 開発規模は? 研究にどう生かせばいいのか?

 そんな囲碁AIについて、開発に携わったこともあるプロ棋士・大橋拓文六段@ohashihirofumi)からお話をうかがいました。

取材・文/白鳥士郎

進藤ヒカルの同期!?

──初めまして! 本日はよろしくお願いします!

大橋:
 大橋です。よろしくお願いします。

──以前からツイッターでやりとりさせていただいているので、あんまり初めましてという感じはしませんね(笑)。

大橋:
 でも、アイコンじゃなくてお顔を拝見すると、やっぱり不思議な感じが……(笑)。

──ふふふ。大橋先生はツイッターを含めて、あらゆるメディアを駆使して囲碁の普及に努めておられます。下調べで囲碁AIに関する記事を読んでみると、だいたい大橋先生が解説しておられたりと……。

大橋:
 そうですね。たくさんやらせていただいてます。

──今回のインタビューも、私がツイッターで『囲碁棋士の方からディープラーニング系のソフトについて話を聞いてみたい』とつぶやいたら、すぐに『いつでも協力しますよ!』とおっしゃっていただいて実現しました。とはいえ私の囲碁の知識は『ヒカルの碁』で止まっているので、見当違いのことを申し上げるかもしれないんですが……。

大橋:
 僕、ヒカルと同期なんです。

──え!?

大橋:
 アニメの最後に入ってた、監修の吉原(梅沢)由香里さん(六段)が出演されている「GOGO囲碁」というコーナーで。

(画像は「梅沢由香里のGOGO囲碁スペシャル 初級編」より)

──ありましたね。あれ確か、DVDも出てたと思います。

大橋:
 あのコーナーで新入段棋士が紹介されたことがあって、そこで一瞬だけ井山裕太【※】さん(三冠+阿含桐山杯、NHK杯)の隣に僕が映ってるんです。1秒くらい(笑)。

※囲碁棋士として史上初の七冠を獲得。さらに史上初の年間グランドスラム(年間で七大タイトル全て制覇)も達成。

──すごいじゃないですか! この記事を読んでいらっしゃる方の中にも『ああ、あのコーナーね』とわかってくれる人、絶対いると思います!

大橋:
 院生の頃、原作者のほったゆみ先生が棋院へ取材にいらしていたのを目撃したこともありますよ。最初の頃に登場する三谷って、僕の同期の三谷哲也君(七段)がモデルだと思います。

──あの手癖の悪い三谷ですか!?

大橋:
 本物の三谷君は石をチョロまかしたりしませんけど(笑)。

──イカサマをして賭け碁をやって、真剣師に負けて……ヒカルがその敵を討つという。三谷のことを思う席主のおじいさんも含めて、序盤の名シーンですよね!

大橋:
 ほった先生が取材で写真を撮ってるところに僕と三谷君がいて、『これは名前を使ってもらえるんじゃないか?』と……だから多分、そうなんじゃないかと思います。

──いやぁ……すごいエピソードですね。じゃあ大橋先生は、『ヒカルの碁』に相当な思い入れがあるんじゃないですか?

大橋:
 うーん……一応、通して読みはしましたが、伊角さんや和谷に感情移入しすぎてしまって……。

──伊角さんがプロ試験で抱える葛藤や、和谷のヒカルへの嫉妬といった部分……でしょうか?

大橋:
 自分が当時思っていたけど口にできなかったこととかが、全部セリフとして書いてあるんですよ。

──ああ……それは読むのがつらいですね。私も、小説家や漫画家が主人公の話って、読めませんもん(苦笑)。

大橋:
 口にはしなくても、心のどこかで思っていることじゃないですか。直視できないわけですよ。好きな漫画は何度も読むタイプなんですけど……『ヒカルの碁』は、つらくて。

(画像は「ヒカルの碁 1」より)

──それだけリアルな物語なんですね……。

大橋:
 院生だったから、それがピンポイントだったんです。僕より5歳くらい下だと、当時10歳くらいですから、憧れみたいな気持ちで読めるんでしょうね。だからあの世代は人数も多い。学生大会とか行くと、他の世代の1.5倍くらいいたりして(笑)。

──いきなり囲碁AIとは関係ない話で盛り上がってしまって恐縮でしたが、いいお話を聞くことができて大満足です!! 充実したインタビューになりそうな予感がします……!

人類、アルファ碁に追いつく

──ではさっそく囲碁AIについてうかがいたいと思います。あの、以前のインタビューの繰り返しになってしまう部分が出てきたら恐縮なんですが……。

大橋:
 更新情報がいっぱいあるから大丈夫です!

──そんなに早く進化してるんですね! では囲碁界に大きな衝撃を与えたアルファ碁のお話からうかがってもよろしいでしょうか? 確か、李世ドルさんに勝って『人類を超えた』とされたのが2016年の3月。今から5年近く前のことです。

大橋:
 面白いのはですね。最近の世界トップ棋士である中国の柯潔(カ・ケツ)さんや韓国の申眞諝(シン・ジンソ)さんは、今なら多分……最初のアルファ碁【※】には勝てるんじゃないかなと。

※AlphaGo-Leeと呼ばれる。その後AlphaGo-Master, AlphaGo-Zeroが続く。

──ええ!? 柯潔さんは2017年5月にアルファ碁(AlphaGo-Master)と対戦して3連敗しましたが……そこから人類は強くなったということですか?

大橋:
 はい。今の人類は、昔の人類に7割くらい勝てるようになってるイメージです。

──ええー!? メチャメチャ強くなってる……。

大橋:
 序盤の研究とか、中盤の様々なポイントで強くなっているという感じなので、何子くらい強くなっているという感じではないんですが……対等な条件で戦えば、かなり負けにくいと思います。

──レーティングだとどうなんでしょう?

大橋:
 レーティング上でも、李世ドルさんに勝ったアルファ碁と、今の人類の世界トップは、ほぼ同じくらいです。

──では、現在最も強い囲碁AIは、アルファ碁と比べてどのくらい強くなっているんですか?

大橋:
 いやぁ……AIの進化は遙かに早くて……(嘆息)。

──やっぱ、そうなんですね……。

大橋:
 将棋AIと人類トップの差よりも、囲碁のほうが差は大きいかもしれません。

──そ、そんなに……。しかし将棋のAIでもついにディープラーニング系のソフトが世界一ということになりました。

大橋:
 囲碁のAIはディープラーニングで飛躍的に向上しました。それまでは評価関数をうまくつくることができず、モンテカルロ法という確率の手法で、ここに打ったら勝つ確率が高いというのシミュレーションしていました。

 そこに革命をもたらしたのがディープラーニング。ディープラーニングを用いて評価関数【※】を作ることができて、飛躍的に向上したのです。

※局面の良し悪しを数値化したもの。

──はい。はい。

大橋:
 将棋は三駒関係で急速に強くなった後、様々な手法がありましたよね。囲碁は人間がいろいろ工夫してもうまくいかず、そこにディープラーイングが登場し、これがピッタリはまった。将棋ソフトとは別の道を歩いて行きましたよね。

──将棋ソフトはCPUを使っていましたが、囲碁はアルファ碁が登場した時からGPUを使っていたのですか?

大橋:
 そうですね。ディープラーニングには一般的にはGPUを使います。でもアルファ碁はGoogleがAI向けにTPUというマシンを開発して。李世ドルさんと対戦したあたりではTPUを使っていましたね。しかしそのTPUはGoogleしか持っていないので……。

──GPUで代用したと。でも大橋先生はGPUを購入しようとしたら、アパートのアンペアが足りなかったんですよね(笑)。

大橋:
 そうそう! や、当時は引っ越したばかりで。それなのに足りないという……。

──また引っ越すわけにもいきませんしね(笑)。

大橋:
 当時はGTX1080Tiがトレンドだったんですけど、今も熱心な棋士はRTX2080Tiとかを使ってます。さらに今度はRTX3080とか3090とかが出始めて、みんなそれ買うのかなという状況ですね。

(画像は「GeForce RTX 3090」より)

──RTX3090はやねうら王の磯崎さんが購入を勧めてて、実際に水匠の杉村さんも買ってましたね。これで深層水匠を開発するんだと。ところで囲碁棋士の先生方は、ご自身でGPUを購入して動かす方が多いんですか?

大橋:
 これまでは、そういう人が多かったですね。

──藤井聡太先生は高性能のCPUを購入して、温度なども気にしながらご自宅で将棋ソフトを動かしているとインタビューで語っておられました。

大橋:
 おお……さすがですね!

──囲碁界でも、そういう方がいっぱいいると?

大橋:
 そうですね。若手は『2枚差しするか』みたいな話が好きですよね。

──高性能のGPUを2つに!? アンペアが足りるか心配になりますね……。

大橋:
 ただ、これからは変わってくると思うんですけど。

──大橋先生はAWS【※】を使っておられるんですよね?

※AmazonWebServicesの略称。Amazon.comにより提供されているクラウドコンピューティングサービス。

大橋:
 僕はアンペア問題があったので、山口祐【※】さんに教わってまずはクラウドにしました。使ううちにそれに慣れてしまったことと……あと、そっち方面の知識が増えて、楽しくなってしまって(笑)。

※囲碁AI開発者。世界電脳囲碁オープン戦2位の『AQ』を開発。囲碁AI『GLOBIS-AQZ』の開発プロジェクトの発足人でもある。

──AMI【※】を使って、複数のソフトを動かしておられるとか。ご説明いただいてもよろしいですか?

※どのようなOSやプログラムを使うか事前に設定しておける仕組み。

大橋:
 AWSの中で仮想マシンを組んで、それでソフトを動かしています。ここはエンジニアさんや詳しい方に教わりながらですね。僕はAWSですが、GCP(Google Cloud Platform)を使っている棋士もいて。クラウドなので、性能のいいマシンと簡単につなげることができて楽しいのです。

──けど、お高いんでしょう?

大橋:
 値段はスペック次第ですね。自分で購入する場合はがんばっても2枚差しが限度だと思うんですけど……。

──クラウドなら、電力を気にせずさらに高性能を実現できると。最新の囲碁AIを快適に使おうと思ったら、もっと必要なんですか?

大橋:
 囲碁AIの大会だと、GPUを8枚使うとか。

──おお~!

大橋:
 そのくらいが普通なんです。私もたまに重課金兵になって、4枚差しとか8枚差しとかを実験的に使ってみてるんですけど、これが楽しいです。探索が速いとアドレナリンがでてくる気がします(笑)。

──ウェブ上のサービスだと、家庭では試せないスペックもできちゃうんですね!

大橋:
 僕は『GLOBIS-AQZ』の開発チームに入っていたこともあって、大会のスペックというのを肌で感じてしまっていて……クラウドだと、それがすぐに使えるので。毎日それやったら破産しちゃうんですけど(苦笑)。

──グロービス経営大学院で有名なあのグロービスが中心に開発した囲碁AIですね。囲碁AIの国際棋戦で準優勝した実績もあるほど強いとのことですが……ソフトのスペックが高いと、やはり動かすのも大金が必要に……?

大橋:
 とは言いつつも、適量で使えば大丈夫です。

──あれ!? 意外とお値打ち……。

大橋:
 普段使いのは、1時間約100円のでやってますから。100時間勉強して1万円くらいですね。

──ハイスペックのマシンを購入した場合、へたすると電気代のほうが高くなっちゃうくらいですね?

大橋:
 そうですね。熱心な棋士だと冬は暖房代わりになるという伝説もあります。冗談はともかく、AIを使って研究する会を2年ぐらい前に立ち上げたんですが、みんな集まったときに4枚や8枚を使うというのも有力な一手です。

 一力遼さん(二冠+竜星、おかげ杯)や大西竜平君(七段)、上野愛咲美さん(女流二冠)らがよく来てくれます。

──上野先生、すごいですよねぇ……。インタビューを拝読したり、動画を拝見したりすると、失礼ながらかなり天然な感じがするというか……自分がどこまで勝ち上がってるのかわからないまま対局してたとか……。

大橋:
 上野さんと藤沢里菜さん(若鯉杯、女流四冠)は、本当に強いです! もう男女の区別はないようなもので、トップ棋士の迫力があります。これからもっと記録を作るんじゃないでしょうか。

──藤沢先生がお強いのは、お母様の教育などの記事を読むと『すごいな』と納得するんですよ。ただ、上野先生は……普通の家庭からハンマーを持った女の子がぽんと出てきたみたいというか……対局前に緊張をほぐすために鬼ごっこして体を温めたとか、ちょっと私がイメージするプロの世界とかけ離れてて……。

大橋:
 つい先日も対局前のルーティーン、縄跳び777回をして、女流棋聖を獲得しましたね。自然体なのが良いのかも……。

──上野先生は囲碁AIでの研究に非常に熱心で、AWSで囲碁AIを起動するための手順書をご自身で作られたとうかがっています。

大橋:
 そうなんですよ! AI研究会では、そういう情報を共有していますが、あれを見たときは感動しました。

──今後、ディープラーニング系の将棋ソフトが一般的になった時に危惧されるのが、AWSなどのウェブサービスを使って動かすことのハードルの高さです。CPUで動かす将棋ソフトが出てきた時ですら、扱える棋士とそうでない棋士のあいだで不公平感がある……という議論がありました。
 囲碁の世界では、そういった設定も個々人でやっているのでしょうか? それともどこかの企業がやってくれたり?

大橋:
 囲碁界では、棋士の間で助け合っていますね。研究会を立ち上げた最初の頃、金子真季さん(二段)が設定を憶えてくれて、みんなの設定をしてくれました。

──ふむふむ。

大橋:
 それで若手棋士のあいだで『プロみたいだ(コンピューターの)』って(笑)。

──ははは! たとえばノートパソコンだとどのくらいのスペックで動かせるんでしょう?

大橋:
 RTX2070とかのGPUをノートパソコンに積んでいるのがありますね。普通だったらそれで十分です。ただ、AI好きの棋士だとデスクトップでもっと性能を追求しますね。

(画像は「GeForce RTX 2070」より)

──大橋先生と上野先生が過去にご登場なさったインタビューで、上野先生は自分の棋風に合うからと、少し前のバージョンのソフトを使っておられると語っておられました。囲碁の世界では打ち方の違う複数のソフトがあって、しかも敢えて古いバージョンのものを使うこともある……ということなんでしょうか?

大橋:
 ずっと使ってると、脳内にAIの評価値がインストールされてくるので(笑)。AIを急に変えてしまうと、ぜんぜん違っちゃったり。そうすると形勢判断がおかしくなってしまうことがあるんです。

──だとすると……使用するソフトで流派が全く異なる、みたいな感じに?

大橋:
 昔のアルファ碁……李世ドルさんと対戦したころのAIは人間の棋譜を学習していました。その後に自己対局のみで強くなったアルファ碁ゼロというAIが登場。いわゆる『ゼロタイプ』、これらを比べると評価値が全く違ったりします。

──人間の知識が『ゼロ』だからゼロタイプですか……確かにそう聞くと、人類とは全く違う囲碁を打ちそうですね。

大橋:
 ただ、現在は変化の途中なんじゃないかと思っていて。ものすごく強いAIが出てきたら、そこに統合されていくのではないかなと。

──将棋ソフトは個人が作っている感じなんですが、囲碁は海外の大企業が手がけているものが多いですよね? その中でもやはりまだ、アルファ碁が強いんですか?

大橋:
 こればっかりは実際に対戦してみないと分かりません。しかし、アルファ碁は引退してしまってもう3年たちました。個人的には現在の最強AIはアルファ碁ゼロより強いのではないかと思います。

──あ、引退しちゃったんですね。

大橋:
 今は『絶芸』と『ゴラクシー(GOLAXY)』が2強です。

──絶芸は中国のテンセントが開発したAIでしたっけ? メッセンジャーアプリのウィーチャット(WeChat)で有名な。

大橋:
 そこが今日の核心です!

──あ! ついに核心に……!

中国企業の代理戦争!?

──現在の囲碁AIは、Googleでも日本でもなく、中国企業が作ったものがトップを走っていると……。

大橋:
 そうですね。今は中国が強いです。

 ドワンゴさんが『ディープ・ゼン・ゴ(DeepZenGo)』を作っていた時も、絶芸とよく激突していました。

──2018年の囲碁電王戦FINALをもって引退となった囲碁AIですね。羽生先生と一緒に国民栄誉賞を受賞された井山先生にも勝つほど強いソフトですが、そのソフトのライバルが絶芸だと。

大橋:
 絶芸はアルファ碁と同じように、とにかく開発規模がすごい。やはりクラウドを自社で持っているというのは強みなんですね。

──企業の規模がそのままソフトのパワーになっていると。

大橋:
 『絶芸は夜、強くなる』という笑えないジョークがありまして。

──? 夜間に開発を行うんですか?

大橋:
 中国の人々が寝静まって、10億人分の情報を処理してるテンセントのサーバーがあくと、囲碁を打ち始めると……(笑)。

──まるで都市伝説ですね(笑)。

大橋:
 と言いましても、テンセントは絶芸の詳しい学習規模を公開していないんですが。

 それからもう一つのゴラクシー。これはギャラクシーを文字ったものなんですけど(笑)。

──ユニークですね(笑)。

大橋:
 このゴラクシーが今、すごく伸びているんです。絶芸は、たまにしか大会に出てこないです。1年に1回ぐらい出てきて華麗に優勝する。

──一般公開する感じじゃないんですね。

大橋:
 テンセントは中国棋院と提携していまして、絶芸は中国のトップ棋士専用のAIになっているんです。

──中国棋院の、さらにトップしか触れることを許されないAIなんですか!

大橋:
 そうですね。聞くだけで迫力があります。

──企業の威信を懸けて開発しているんですね……!

大橋:
 一方でゴラクシーというのは、サーバーの規模は絶芸ほど大きくはないですが、様々な新しい技術を投入して、出る大会はほぼ全て優勝してるんです!

──おお~!

大橋:
 で、たまに絶芸が出てくると、一騎打ちになる。ほかのAIとは頭ひとつふたつ違うんです。ゴラクシーが勝つこともありますが、複数回の対局を行う番勝負だと絶芸が優勢……という関係ですね。

──その2つのソフトは……日本のプロ棋士は使用できるんですか?

大橋:
 そこなんですよ! 先ほど申し上げたとおり、絶芸はトップの中国棋士しか使えないんですけど……テンセントが持っている囲碁サイトがあって、そこでは簡易版の絶芸が全世界に公開されているんです。

──簡易版をダウンロードできるんですか?

大橋:
 いえ。その対局サイトで打った碁を、絶芸で検討できるということです。

──へぇぇ~!

大橋:
 普段使いには便利です。ただ、思考時間は1秒くらいで中国サーバーから返ってくる感じです。

──深くは読まないんですね……だとすると、プロには物足りない?

大橋:
 はい。プロはそこからヒントを得て、自分のハイスペックなパソコンで検証するという感じです。もちろん、絶芸ではないAIにはなるんですが……。

──絶芸の打つ碁は、すごく独特だったりするんでしょうか?

大橋:
 いやいや。もう人類とAIは、布石(序盤の打ちかた)に関しては似通った碁を打ちます。というか人間がAIに歩み寄ったので。ただ中盤以降はAIが強すぎて、理解できないことが多いんですが。

──そこは将棋界とも似た状況なんですね。あの、ディープラーニング系の将棋AIは、終盤に少し難があるのではと言われているんですが……。

大橋:
 そこなんですよ! ディープラーニングでは人間でいう直感を鍛えているので、序盤がすごく強いんですけど、囲碁でも探索が大事な中終盤は比較的に苦手で。しかしさっきのゴラクシーなんですが、様々なドメイン知識を組み合わせて、中盤以降がほかのAIよりかなり強いんです。

──ディープラーニングなのに中終盤が強いとは……無敵じゃないですか!

大橋:
 一口にディープラーニングと言ってもいろいろありまして、ゴラクシーはそこを克服することで、ほかのAIを寄せ付けない強さを得ました。

 アルファ碁ゼロ系の、完全に自己対戦から学ぶだけのAIよりも、人間のドメイン知識を組み合わせて学習をさせてやったほうが、囲碁の専門AIとしては強い……という感じですね。

──すみません! ドメイン知識というのは……。

大橋:
 なんと言えばいいのか……ルールじゃないけど、人間が囲碁を打つ上で考えていることですね。あと何手でその石が取られるかとか、より具体的に言うと、シチョウとか。

──どんどん打っていくと盤の隅まで行って、石を全部とられちゃうやつですよね?

大橋:
 ゼロタイプのAIはシチョウがすごく苦手です。あと、2眼で生きるとか……そういうのもアルファ碁ゼロは教えてないんです。

シチョウ。

──その陣地に目が2つできれば絶対に取られないっていう、囲碁の本当に基礎的なことですよね?

大橋:
 それすら自己対戦から自分で学んでね、っていうのがゼロタイプなんです。ただそれは、ものすごい学習コストが必要になります。だからそのへんはあらかじめ組み込んであげるわけです。

──開発の方向性としては……ちょっと後退してる感じを受けますね。人類の知識がゼロだからこそ強くなれたという話だったのに……。

大橋:
 実はそれは違うんです。最初、アルファ碁ゼロが登場した時に人類は『人間がこれまで築いてきたものは無駄だったのかー!』と絶望したわけですよ。しかし、アルファ碁ゼロの本当に凄いところは、アルファスターやアルファフォールド【※】のような汎用性を目指したところです。

 専門的な囲碁AIとしての実力を高めるのであれば、ディープラーニングをより効率的にするために、人間が手助けしてあげたAIの方が、現在の状況では伸びていますね

※ともにアルファ碁ゼロの手法を発展させたAI。アルファスターはスタークラフトのAI。アルファフォールドはタンパク質の構造を予測するAI。

──なるほど……。

大橋:
 デリケートな部分なんですが……僕は「ディープラーニングは中終盤が弱い」というのは、「与えられる教師データが中終盤が弱いものばかりだから、中終盤が弱くなる」のではないかと考えています。

──ああ! それは確かにそうですよね! 中終盤が弱いディープラーニングが自己対局して生成した棋譜は、中終盤が弱くなるのは当然です。それをもとに学習していけば、いつまでたっても中終盤が弱いまま……。

大橋:
 ゴラクシーやカタゴは、最初にドメイン知識を組み込んでから自己対戦することで、中終盤に強い教師データを生成しているのではないかと思います。まあ、それだけが強さの秘密ではないんでしょうが。

 アルファ碁ゼロはそこを力技で突破しちゃいましたね。40b(ブロック)と大量のTPUで。

──(また知らない言葉が出てきたぞ……)あの、ブロックというのは、数が多い方が強いんですか?

大橋:
 はい。ブロック数というのは、人間の脳を模した学習用のニューラルネットワークのサイズを示します。ブロックが多い方が、脳みそが大きいイメージ。だから数が多いほど強いと言われています……が、ゴラクシーの開発者はそうでもないと言っていました(笑)。

──難しい(笑)。将棋界ではまだあまり聞かない言葉ですが、ディープラーニングが普及すれば使われるようになるんですかね?

大橋:
 ブロック数は大事ですね。ブロックが少ないと探索が速いので、時間あたりで強さを比較するわけです。

 探索は遅くなりますが、40ブロックを強化していけば、20ブロックよりも強くなるケースがほとんどです。
 
─話が少しそれましたが……ディープラーニングという手法にも、限界のようなものがあるんですね。

大橋:
 AIが神の領域に行けば、人間の手助けは全く必要ないと思います。ただ、まだ人間が手助けしてあげたほうが強くなるということは――。

──逆説的ではありますけど、まだコンピューターが完璧な存在ではないという証明のような気がしますね。

囲碁AIが人類に与えた影響

──将棋AIは、今年の5月に世界大会が開かれるんですが、そこではディープラーニング系のソフトがレーティング5000くらいになって上位を席巻するのではと予想されています。

大橋:
 おお~!

──ただ、そこまで強くなってもたとえば序盤戦術などでは変化がないんじゃないかと開発者さんがおっしゃってたり……囲碁は序盤からもう、ものすごい変化があったわけですか?

大橋:
 そうですねぇ……違うと言われているのは、星に対してすぐに三々に入る――。

──ダイレクト三々というやつですか?

ダイレクト三々。

大橋:
 はい。それが最も違う……と、言われているんですが。

──が?

大橋:
 似てる、と捉えることもできるかなと。

──それは……何に似ているんですか?

大橋:
 人間とAIが似ている……つまり今の囲碁AIって、どれも布石は星と小目だけなんですよ。将棋ソフトがみんな居飛車を指すみたいに。天元を打つAIって、人間がプログラムをしてやらないと、存在しない。みんな隅の星と小目に行き着いてしまう。

──星は、まさしく碁盤の隅にある黒い点。小目はその隣ですね(隅に近い2箇所)。天元は盤の真ん中の星で、ヒカルの碁だと初手で天元に打つと、打たれた方はみんな怒る(笑)。

大橋:
 目新しいのは、その星に対して三々に入るということだけで。たとえばカカリと呼ばれるアプローチも人間と同じなんです。その後の打ち方は多少、人間とは違うんですが……それを違うと捉えるか似てると捉えるかは、棋士の感性次第かなと。

カカリ。

──専門用語がたくさん出てきて大変ですが……要するに、敵に接近していく。

大橋:
 数年前、星に対して三々に入るAIの手を見たときに、今の50代60代くらいのある棋士が『いやぁ……みっともなくてこれは打てない!』と言ったんですが、同じ日に、新人王を取ったばかりの広瀬優一君(五段)が『いやぁ……三々に入るの感動したんですよ!』と言っていて(笑)。

 つい最近では、とある先輩棋士がお酒を飲んでうめくように「三々に入る棋士には負けたくない」と言ったという伝説を聞きました。一方で18歳のときに阿含桐山杯で優勝した六浦雄太君(七段)は、『AIもみんな星と小目に打つ、そこに辿りついていた人間て凄くないですか!?』と言ってました。

──ベテランと若手でそこまで反応が違うんですか!?

大橋:
 羽生先生のインタビュー記事でも、美意識に言及したものをたくさん読ませて頂きました。興味深いことに、今の若手棋士は、AIの打つ手を美しいと感じている気がします。その目で50年前のプロ棋士が打つ碁を見ると、違和感をおぼえるんじゃないでしょうか。逆に猛烈に感動する人もいるかも……。

 だから美意識も、学習するものによって変わってくる……そもそも人間の美意識って何なんだろう? って。

──大橋先生の過去のインタビューで、若手棋士達がAIを使った検討中に『これは青だよね』とか『蕁麻疹だ』と言ったりというのがありましたが……。

大橋:
 そうそう!

──AIは最善手の場所を青く光らせるので、最善手を『青い』と言う。逆に最善手を絞り込めずに全幅探索に入ると、盤のあらゆる部分が光るので、それを指して『蕁麻疹』と言う。このようにAIの影響で囲碁の用語すら変わってきた、ということですよね?

大橋:
 はい。『ここ青いね』と。海外の棋士も『ブルーポイント』と言うらしいんです。『ディスイズ・ブルーポイント!』(いい発音)って!

──囲碁の用語って、けっこう殺伐としてたじゃないですか。切るとか殺すとか。でもAIが入ってきたことで、そういう言葉の感性すらも変わっていくというのは……文章を扱う人間としても非常に興味深いです。


パーセンテージと目数

──ところで、囲碁AIは形勢をパーセンテージで表示するんですか? 将棋AIは点数ですけど……。

大橋:
 囲碁は黒の勝率55%というようにパーセンテージですね。でも、そこも最近、変わってきている部分なんです。パーセンテージに目数のパラメーターを加えたのがゴラクシーで。すごく上手く組み合わせて強くなっているんですね。

──2つのパラメーターを組み合わせるんですか!

大橋:
 そうです。囲碁は地を多く取ったほうが勝ちのゲームです。今までのAIでは黒勝率90%と言っても、50目勝ちなのか1目勝ちなのかわかりませんでした

 勝率90%で1目勝ちの場合、小さなミスひとつで簡単に逆転されます。AIはミスをほとんどしませんから勝率90%ですが、人間はけっこうミスをしますから、その場合、全然90%ではないですね。ゴラクシーでは黒の勝率90%で1目勝ちなどというように、より人間の思考に近い形で評価してくれるのです。

 ちなみに、もう一つ、『カタゴ(KataGo)』というAIが登場してて。これはフリーのオープンソースで、いろいろな開発者が改造しているので、将棋ソフトで言うところの『やねうら王』みたいな感じのものです。

 オープンソースだと、去年までは『リーラゼロ(Leela Zero)』が一番人気だったんですけど、今はカタゴがリーラを超えて人気になってるんです。このカタゴがやはり目数を示すAIなんですね。

──何目勝ってますよ、みたいに示してくれるんですか?

大橋:
 そうですそうです。最近のトレンドはゴラクシーとカタゴで、オープンソースの中ではカタゴがどんどん上がってきてるという感じです。

──目数の計算ができるということは、つまりディープラーニングの弱点とされていた終盤力が強化されているということでしょうか?

大橋:
 はい。もともとディープラーニングが得意なのは画像認識。囲碁をドット絵のように認識してその局面が勝ちか負けかを直感的に認識していた。目数も出すためには深い探索が必要で、学習時からそれをやるには、技術的に難しかったんです。でも、上手くやればそっちのほうが強くなることがわかってきて。

 それもやはり、人間の思考をトレース……とまで言えるかはわかりませんが、人間型のAIを作るということを目指す。そういう方向性です。

──では……アルファ碁が出てきてパーセンテージで評価値を考えるようになった若手たちが、今はまた目数で考えるようになってるということですか?

大橋:
 そこは難しいところで……カタゴやゴラクシーは、パーセンテージと目数の両方のパラメーターを合体させて、形勢判断をしているんです。

 しかし目数の表示が細かすぎて、第一候補と第二候補の差が0.1目くらいしか違わないんですよ。

──1目とかじゃなくて、小数点以下の差なんですね!

大橋:
 さらに第一候補から第十候補までで目数差が1目くらいなことって、よくあって。

──うわぁ……それは、どれを選んでいいのかわからないですね……。

大橋:
 具体的に言うと……僕の場合だと、序盤はパーセンテージで捉えます。終盤に行くほど目数になっていくという感じでしょうか。

 序盤で1目しか違わない第一候補から第七候補くらいまでの差を捉えるのって、人間には難しくてですね(笑)。

 でもパーセンテージだと7%くらい違うかもしれない。49%と56%だったら、けっこう違いますよね?

──コンピューターがパーセンテージや目数といった明確な数字で形勢を教えてくれることで、人間の学習効率は上がったのでしょうか?

大橋:
 やはり目数があったほうが、かなり学習効率は上がるのではないかと思います。AIが70%と示していたとして、10目勝ってる70%と、1目差だけど70%だというのは、自分の頭で考えないとぜんぜんわからなかった部分なので。

 けど、『これは1目差だけど70%なのか~』とか『これたくさん石を取れるけど……70%しかないんだ!?』とか。

──それは……どっちの70%を選びやすいんですか?

大橋:
 状況によりますね。たくさん石が取れる場合でも、一手も間違えずに打ち続けた結果、相手の石を取ることで勝てる……みたいな場合もありますから。一手でも間違えれば評価がガクンと落ちたり。

──なるほど。1目差の場合でも、そんなに紛れがなく勝てるのであれば、むしろ安全という場合もあるんですね。そこは将棋とも変わらない……。

大橋:
 いわゆる『評価値ディストピア』ですね(笑)。将棋ソフトでも、数字とパーセンテージを組み合わせたらより強くなる……なんてことも、ありそうですけどね。

 囲碁で言う目数を将棋に置き換えて考えると……例えば短手数勝ちを目指す光速の寄せに特化したAIとかどうでしょう。

──なるほど……。

大橋:
 あと、ゼロタイプのディープラーニングはコストがめちゃくちゃかかるんです! だから将棋AI開発者のみなさんに効率のいい方法を考えてもらって、それを囲碁にも応用できたらなとか思ってるんですけど(笑)。

──コスト……というのは、開発にお金がどのくらいかかるかということでしょうか?

大橋:
 アルファ碁を開発したディープマインドという会社は、開発のためにGoogleからサーバーを借りていて、その金額は3500万ドル! という記事を読んでびっくりしました。

──え? 1ドル110円として……およそ40億円!? ええー!? ディープラーニングでの開発って、そんなにかかるんですか……?

大橋:
 とにかく資源が莫大なので。アルファ碁ゼロでいうと、TPUを2000基。Facebookも、『エルフ(ELF Open Go)』というAIを作るためにGPUを2000基使いました。僕たちがGLOBIS-AQZを作ってるときも1000基くらい使っていたんです。

──1000!! そ、そんなに必要なんですか……?

大橋:
 1000基って、日本でできるところもほとんどないくらいで……。

──では、海外のクラウドを利用して開発していたんですか?

大橋:
 いえ。産総研(産業技術総合研究所。経済産業省所管の公的研究機関で、1000億円程度の予算を持つ日本最大規模の国立研究開発法人)です。大規模AIクラウド計算システムの『ABCI』を使わせていただきました。

(画像は「AIST: 産業技術総合研究所」より)

──産総研のABCI……ふむふむ、2018年時点で世界5位の性能を持つ大規模クラウド型計算システムですか。高性能のGPUを4352基も搭載していると……こんなものが日本にもあったんですね!

大橋:
 V100という当時最高のGPUが4000基以上もある環境で、約1年ほど使わせてもらいました。我々は最大時で1000基ほど使わせてもらっていて、ありがたかったですね。

 ただ、そのGLOBIS-AQZの開発も、今はストップしています。今、日本では企業が主体になった大規模な開発は行われていなくて、将棋のように個人の開発者の方々の努力に頼っている状態です。

 開発者の方々と話していると、いろいろと技術の話で盛り上がるんですが、最後には『日本、大丈夫か!?』となってしまうのが定石で……(苦笑)。

──しかもそうやって作ったソフトより絶芸は強いんですよね? いったどのくらいの資源を投入しているのか……まさに、IT業界における中国の桁外れの強さを象徴している……。

大橋:
 囲碁は大きく分けて日本ルールと中国ルールがあります。GLOBIS-AQZは、日本のコミ6目半というルールに対応した囲碁AIです。

 欧米では、TikTokのように中国の開発したアプリを使用禁止にする例もありますから……今は海外の囲碁AIが使えたとしても、いつ使えなくなるかはわからない。

──そういった時のためにも、自国で開発することは大事なんですね! ……とはいえ開発にコストがかかりすぎるのも困るし、難しい問題ですね……。

囲碁界でも「○○は終わった」!?

──現在の最強ソフトは中国産のものだとすると、日本の棋士が使用するソフトもやはり、海外のものが主流なんでしょうか?

大橋:
 そうそう、そこなんですけど! 最近ゴラクシーの企業が新たなサービスを始めて。すごく強いサーバーに、手軽につなげられるサービスが出てきたんです!

 これまで日本の棋士は、クラウドに接続するためにちょっと苦労してたんですけど……。中国は囲碁の市場がものすごく大きいので、AIを手軽に使えるサービスがいくつかあります。AI搭載の碁盤まで登場していますし。

──それ、おもしろいですね!

大橋:
 そうなんですよ! 自分で50万円くらいする最新のGPUを買う必要もなくなってきました。

──場所も取らないですしね。それは日本語で契約したり、操作をしたりできるんですか?

大橋:
 いえ。中国のアプリなので……一応、日本語になるんですけど若干翻訳が怪しくて。中国語から意味を推測したほうが……。

──海外アプリあるあるですね。

大橋:
 みんな手探りでやってる感じです。ただ日本だと、そのアプリを使用するのはプロ棋士か、棋士に近い棋力の人ですね。

──中国では、アマチュアの囲碁ファンもたくさん利用しているサービスということですか?

大橋:
 とにかく今、中国の囲碁市場というのが大きいんです。だから中国の大企業が、囲碁AIの開発に力を注いでいるという背景もあると思います

──将棋界ではソフトが登場したことによって、プロとアマチュアの差が縮まっているという指摘があります。囲碁ではどうでしょう?

大橋:
 囲碁は、藤沢さんや上野さんといった女流棋士の活躍が顕著ですね。あと、AI好きの中堅棋士が復活したとか……そういうことが起こっている段階だと思います。

 全体的な層が厚くなっているのは感じますね。みんな布石が上手くなったので。AIと研究することで、まず布石が最も恩恵を受けやすいようなんですね。序盤、中盤、終盤の一致率を調べた論文までありますし。

 今まで『碁は芸だ』という発想だったんです。強い人と戦うと、いつのまにか形勢に差をつけられている……みたいなことが、最近は少なくなってきました。勉強熱心な棋士同士だと序盤がパターン化されてしまっていて。

 今まで上位にいて、楽に勝てていた人が、なかなか勝てなくなってきている。そういうことはありますね。

──序盤がパターン化されているというお話がありましたが、そうなると誰もが似たような碁を打つということでしょうか?

大橋:
 光ってるところ……つまり第一候補はもうみんな知ってるんですよ。だから光ってないけど実は有力だっていう手を探し出して、学習するという棋士が、いい成績を残している気がします。そういう手って意外といっぱいあるんですよ。

──将棋界でも、渡辺名人が囲碁界からその方法を学んで勝っていました!

大橋:
 自分よりもちょっと強いかな? という人と当たった時に、自分だけが研究している勝ちパターンへ誘導する。そういう方法を取っている人が多くなったなと、棋譜を見ていると思いますね。

 現在のAIは自己対戦して強化学習していく方法で強くなっているんです。けどそれだと、AIが好きなパターンに偏ってしまうんですね。

──将棋だとまさに、水匠が居飛車に偏らせることで対ソフトの勝率を上げていました。

大橋:
 小目から小ゲイマジマリという碁を、人間は打っていた。ところがAIは二間ジマリの碁ばかり打っている。だからずっとここ数年は二間ジマリ全盛だったんですけど……最近になって絶芸やゴラクシーを見ると、別に小ゲイマに打ってもそんなに変わらない。

 ただ、二間のほうが好みなので、0.3%くらい評価が高いかなと。そういうことで、あえて小ゲイマを研究して勝っている棋士もいますし。

小ゲイマジマリ(盤上左上)、二間ジマリ(盤上右上)。

──ディープラーニング系のソフトがどんどん強くなっていくことで、最善手……いわゆる光っている手が変わっていくことというのはあるんでしょうか?

大橋:
 それもよくありますね。ただ……少しずつ少しずつ変わっていくのでよく見てないと気づかないレベルです。

──そうなんですか!?

大橋:
 まだ進歩の過渡期……というか、ほんの初期だと思うんです。

 まだまだぜんぜん強くなると思います。あ、そうそう。ゼロタイプって、半目差で勝つのが得意なんです。

──つまり、ギリギリ勝つように作られてる?

大橋:
 ええ。でもゴラクシーは、そうやってギリギリ勝つよりも、最大差を目指して勝つほうが強くなるという考えのようで。極端に言えば、アルファ碁ゼロタイプは『100回対局したら100局とも半目勝ち』を目指しますが、ゴラクシーは『この1局を100目差で勝つ!』みたいな感じなんです。

──ものすごく極端な変化!

大橋:
 囲碁AIは星と小目でいつも迷ってるんですが、ゼロタイプは星が好きなんです。星は昔から『バランスの一手』と人間のあいだでも言われていて。

 しかし最近の、目数のパラメーターを持つゴラクシーやカタゴは、小目を選ぶのがどんどん増えているんです。小目を打つと戦闘的な囲碁になるんです。

──目数のパラメーターを加えたことで終盤に自信を持ったから、戦闘的になった……ということなんでしょうか。

大橋:
 因果関係は証明できませんが……開発者の方にそれを言うと「偶然でしょう、そういう物語を見つける人間の思考が興味深いです」と言われたこともあります(笑)。

 アルファ碁の影響で、人間界でも星に打ってダイレクト三々に入るという手が流行ったんですけど、今は星が減って小目が増えてきたという状況です。

 2年くらい前に、海外の棋士が『小目は終わった』と言ったそうなんですが――。

──あれ!? どこかで聞いたことがありますよ!?

大橋:
 日本の囲碁棋士は、増田康宏さんのような過激な棋士はいないんですけど(笑)。ただ今後はまた『星は終わったか』と言われるかもしれません。

──ははは!

大橋:
 こんな感じで、どんどん循環しながら、少しずつ変わっていくんだと思います。

──ディープラーニングの登場で囲碁は大きく変わったというイメージがありましたけど、長い目で見るとそれほど変わっていない……というか、本当にまだまだ囲碁のほんのちょびっとしか解明できていないんですね。

大橋:
 僕、GLOBIS-AQZの開発をしていた時に棋譜を何千局と見たんですけど……自己対局で100万局くらい打つと、新たな一手を発見して、難解定石で新手を打ち始めるんです。でもまた100万局くらいやると『やっぱりその変化ダメだ』と元に戻ったりして……。

 AIは賢いのか賢くないのか、よくわかんない(笑)。

──じゃあ初手に天元を打つようになるのは、まだまだ先ですね。

大橋:
 そこ、打ってほしいんですけどねぇ。でも今のAIは囲碁全体を解明してるかという視点で見ればまだ幼稚なので……あと10年くらいしたら打ち始めるかもしれません。人間で言うと100万年分くらいの経験をしたら。

──そう聞くと、確かにAIは賢いのか賢くないのか、よくわからない(苦笑)。

AIに2000敗して世界チャンピオンになる

──少し話は変わりますが……囲碁の先生からご覧になって、将棋界はどう見えますか?

大橋:
 AIから学んでいる歴史は、将棋のほうが5年くらい早いと思うんです。

──将棋ソフトのほうが、人間を超えるのが早かったですからね。

大橋:
 将棋のほうが研究が勝敗に直結するのは、同じ棋士として大変そうだなと。

 研究通りにお互いノータイムで終盤まで突入して、しかも研究の差で決着がついてしまうことすらあるじゃないですか。囲碁は研究通りにならなくても、致命傷にはならなくて。だから将棋の先生のほうが、研究には命懸けという面があるんじゃないかと……。

──ゲーム性もあって、将棋は確かに囲碁よりシビアな感じはありますよね。一手でも間違えたら負けますし……。
 それもあってか、囲碁の世界はゆったりして見えます。囲碁には椅子対局がありますよね? あと、トイレ休憩があると聞いたことがあるんですが。

大橋:
 時間を止めてトイレに行くことはできます。ただ、相手の手番じゃないと時間は止められません。

──なるほど! それなら不公平じゃないですね。

大橋:
 椅子に関しては、囲碁は世界戦がメジャーですからね。中韓の棋士にとって、正座の習慣はないですし……。

──世界への広がりが、囲碁にはあって将棋にはないものかなと思います。特に中国はAI技術の進歩も相当なものですが、中国の囲碁棋士も同じように急成長しているのでしょうか?

大橋:
 中国と韓国はすごいですね。トップ棋士がAIを吸収する早さに関しては、中韓のトップはすごく早かったなと。もともと強い人のほうが吸収しやすいという面もあると思うんですけど……。

──やはりその二国では、囲碁人気は相当なものなのでしょうか?

大橋:
 韓国は今、少し下火になってきている面があると思いますが、中国はすごいですね。囲碁教室をやると、一つの教室で生徒が数千人いるとか。全部合わせると数百万人とか。

──ええ!? そんなに……?

大橋:
 僕も一昨年、囲碁AIの大会のために中国に行ったんです。そのAIの大会は、大きな囲碁大会の一部として行われたんですが……そっちは一週間ぶっ続けで囲碁を打ち続けるみたいな。巨大な体育館のような会場が3つくらい満席。パネル展示スペースもあってのべ10万人くらい動員しているんじゃないかと。

──コミケみたいですね!

大橋:
 プロの人数までは把握していないんですけど……中国は、プロになるのはそんなに難しくないんですよ。そこから国家チームに入るのが大変で……。

 僕たちが棋譜をよく見ているのは、国家チームのトップの人たちのものです。中国には野球やサッカーみたいに、北京や上海や杭州などにそれぞれプロがいて、それぞれの地域から代表を出して団体リーグ戦をやるんです。そのトップは甲級リーグと呼ばれていて。

──ほうほう……下位リーグには乙級と丙級もあるんですね。甲級から乙級に落ちたりと、サッカーのJリーグとほぼ同じようなシステムなのか……これは確かに人気が出そうです!

大橋:
 競争は激しくて、トップはものすごく稼ぎますけど……リーグの選手に入るのが大変で。リーグに入れないと、アマチュアに戻って大学に入って囲碁の先生になったり、まったく違う道に進んだりもします。

──中韓以外で、囲碁が強いのはどこの国なんでしょう?

大橋:
 伸びてる地域は、たとえばヨーロッパならドイツ・イギリス・フランスあたりは囲碁が盛んなイメージですね。あと強いのはロシア!

──ロシア!?

大橋:
 ロシアやウクライナには何人かプロ棋士がいます。あのあたりはチェスの文化が根付いていますし。

──東欧はチェスがすごく盛んだと聞いていますが、囲碁も強くなってきてるんですね!

大橋:
 突き詰めてゲームを考える気質のある人が多い印象です。しかしまだまだ競技人口が少なくて、強い人も少ない。そうなるとAIやネット対局で強くなっていく。

──ここでもAIの影響があるんですね。

大橋:
 ヨーロッパでは10年ほど前にCEGOというのができてプロを採用しています。プロになった人たちは中国で勉強したり賞金付きの大会に出たりして、ヨーロッパに帰ってからは教室の先生をするとか。実力的には日本の中堅棋士と同じくらいでしょうか。

──強い! ここでも中国が進出しているんですね。

大橋:
 僕もロシアで打ったことがあります。数年前の時点で定先【※】でかなりいい勝負でした。

 そういえば、僕も海外から来た子を預かったことがあったんですが……正座ができないって、帰っちゃって。

※コミなしの最小ハンデ戦。

──そうなんですか!?

大橋:
 なかなか……ねぇ。そのときは僕も頭が固かったかもしれません。『正座椅子とか使うのはどう?』と提案したりして、少しずつ正座に慣れていってほしかったんですが……。

──う~ん。正座という日本文化はやはり棋道の普及の大きな壁になってしまっているんでしょうか……。

大橋:
 しかし逆に、それに憧れて日本に来ることもあるんですよ。

──え!? 正座しに?

大橋:
 日本まで来て囲碁を学びたいと言う人は、そもそも日本の文化そのものが好きだったりするんです。お茶やお花とかあとはやっぱり、日本のアニメが好きだったり(笑)。

──なるほど! 囲碁が好きなだけなら中国や韓国でもいいわけですからね。

大橋:
 中韓は勝負にカラいイメージです。さっきの、中韓のトップ棋士がAIを吸収するのが早かったというにのも繋がるんですけど……。

──ほほう?

大橋:
 中韓の棋士のほうが、勝つためにAIの手をコピーするのにためらいが無いんです。逆に日本棋士は、そこに自分の工夫を入れたがる。井山さんも自分のアレンジを常に加えようとしている気がします。

──そこは共感できますし、将棋でも30代くらいのトップ棋士はそういう傾向があるような気がします。

大橋:
 しかし中韓の棋士は、勝つためにシビアに数字を追い求める。1%でも数字を上げるためにAIの示す手をコピーし、それに徹する。そういう違いは感じますね。

──強くなろうという意志が、桁違いなんですね……。

大橋:
 ちょっと恥ずかしい話なんですけど……インターネット対局場だと、AIを使ったカンニング対局は問題になってます。先日もとあるサイトでBan祭りがあったようですし。

──それは将棋でも問題になっています。ソフト指し検出器なんかも登場してますが、イタチごっこになってしまいますよね。

大橋:
 ただ、囲碁のプロの中には『強い相手と打てるなら人でもAIでもどっちでもいい』と開き直る棋士もいます(笑)。

──強い相手と戦いに来てるんだから、相手がソフト打ちだろうと関係ないと。

大橋:
 囲碁のほうが、AIと対戦するアレルギーは少ないのかもしれません。AIが好きな人は、AIに負けることに全くためらいが無い。以前、AIに2000連敗して世界チャンピオンになった棋士がいるとお話ししたことがあるんですけど、最近のAI好きな棋士は1000局くらい対戦してる人が多いんです。

──検討するだけではなく、実際にAIと打つんですか!?

大橋:
 そうですね。研究に使うだけがいいのかな……と思っていたんですけど、打って負けるというのも相当いいみたいで。実は私も見習って200局ぐらい打ちました。四桁はまだ遠いですが。

──へぇぇ~! 将棋の世界だと、AIの攻めがあまりにも鋭いので、受けばかりになって自分の将棋が壊れてしまう……という意見もありました。

大橋:
 ネット碁を観察してみると、毎日毎日挑む棋士がいます。どの対局サイトでも、常駐してるAIがいるんですが、それと対戦する。

──自分のパソコンのソフトではなく、敢えて公開の場で打つわけですか?

大橋:
 やっぱり向こう側にしっかり設定してくれたAIがいてくれるっていうのも、いい面があるんです。いろんな人に見られてるのも、いい影響があるのかもしれません。

──将棋の世界では最近、YouTuberになる棋士が増えていますが、見られている中で将棋ウォーズなんかをやって成績を上げている人もいます。

大橋:
 やっぱり棋士は、見られてる碁をいっぱい打ったほうが強くなってる気がしますね!

──しかし……ほぼ、負けるわけですよね? 衆人環視の中で、プロがAIに負ける。怖くないんでしょうか?

大橋:
 勝ち負けはどっちでもいい。何か得るものが一つでもあれば……そんな気持ちで対戦していますね。9割方、負けるんです。でもたまに勝つことがあって、それでファンが付くこともあるみたいです。

──たまに勝つ場合というのは、どんな打ち方をしているんでしょうか? アンチコンピューター戦略というのが将棋の世界ではかつてありましたが……つまり、AIの穴を突く。

大橋:
 僕も昔、コンピューターの穴を突くようなこと、やったことがあります。でもAIと打つ人は、強くなりたいっていう気持ちが強い人です。アンチコンピューターでやっても、その形だけのハメ手なので他に応用できません。なので普通に戦います。

──その場合、どうやって勝つことが多いんでしょう?

大橋:
 AIは攻め合いが苦手なので、中盤で殴り合いになれば少しチャンスがあります。あとアンチコンピューター戦略というわけではないですが、難解定石を挑んでAIにたまたま読み抜けがあって勝つ場合もあります。すると向こうもバージョンを変えてきたりして……。

 人間は読みが強いので……というか、読みは比較的、AIとも勝負になる。大局観や形勢判断はAIが強すぎるので……これ、15年前の棋士に言っても誰も信じないな(笑)。

──そうやってAIとぶつかり稽古を重ねたトップ棋士たちの碁は、今どんなふうに変化してきているのでしょう?

大橋:
 そうですねぇ……やっぱり、AIとの一致率が高い人のほうが成績は良い傾向があります。研究が進んで序盤を真似するのは比較的簡単なんですけど、強い人は、中盤以降の精度が高いですね。

 形勢判断力がAIに近く、さらに攻め合いだったらAI以上の手を出してくる。中終盤でトップ棋士は強い気がします。

──将棋の永瀬王座は、中終盤以降でもソフトと同じ手を指せる人が今の天才だと述べているんですが、まさにそういう状況なんですね……。

大橋:
 ただ、たとえば大西竜平君(七段)みたいに、序盤でAIが示さない手を打つ棋士もいます。彼はそういう独創的な手を打つんですが、AIの第一候補と比べてもそれほど評価値が下がらない。一緒に検討してるといつも面白い手を発見してくれます。

──なるほど。そういう天才もいると……。

大橋:
 しかしこれは将棋と囲碁のゲーム性の違いがあるかもしれませんね。囲碁は比較的、そういった埋もれた手が多い。けど将棋は……囲碁よりシビアな印象です。

──盤の広さがそもそも4分の1なわけですしね。確かにおっしゃる通りかもしれません。

囲碁界の見所はここだ!

──あっというまにお時間です。最後に、今後の囲碁界の見所を教えていただけますでしょうか?

大橋:
 やっぱり女流棋士ですよね。アルミ杯という男女一緒の若手棋戦で優勝した藤沢さん、上野さんや仲邑菫さん(初段)が話題になりました。

 女流棋士の実力は、今後どんどん上がっていって七大タイトルも夢ではないと思います。そこは注目していただきたいです。

──将棋でも、あと一歩で女性プロ棋士が誕生するところまで来ています。どちらの世界でも女性の活躍が楽しみですね!

大橋:
 あと、一力さんや芝野虎丸さん(二冠)といった、10代から20代の棋士は層が厚くて。世界戦でもチャンスがあるんじゃないかなと。一力さんはこの前、世界戦でもベスト4でめっちゃ惜しかったんですけど……。

 ここ20年くらいは世界戦で成績がよくなかったんですが、戦いようによってはやれるんじゃないかなと。まだまだ世界の壁は厚いですが。

──世界戦で日本が勝てば、注目が集まりそうですね!

大橋:
 それから……最後になりますが、僕らの世代もAI研究によって成績が上がる棋士がいるんです。そこは自分も頑張りたいなと。

 ベテランの先生でもAI研究が大好きな方がいらっしゃって。『AIと1000局くらい打ったんだよー』っておっしゃる(笑)。

 だから、ベテランが復活するというのもあると思っていて。よく見ていると、成績が上がっているベテラン棋士がいるんです。初めてリーグに入ったりとか。みなさんには、そういうところまで追いかけていただけると、嬉しいですよね。こちらも積極的に情報発信していくので……。

──大橋先生はもちろんですが、最近は囲碁の先生方も盛んに情報発信しておられますよね。YouTubeを始められたり、謝依旻先生(六段)みたいにコスプレを披露されたり。

大橋:
 コロナ禍で、どんどん新手を打っていかないといけなくて。

──将棋界もコロナの影響は大きいです。最近だと、オンラインでイベントをすることも増えました。囲碁はどうですか?

大橋:
 世界戦が軒並み延期になってしまいました。それで最近は、世界戦をネット対局でやるようになったんです。けどAIの影響で、空港でやるみたいな金属探知機で調べたり、トイレまで(監視の人が)ついていく……っていうのもあるみたいで。打ってる棋士もしんどいだろうなと……。

──なるほど。各国の代表がそれぞれの国の棋院で、リモートで打って対戦すると。大変そうではありますが……可能性を感じる部分でもありますね。

大橋:
 コロナが終わったときに、そうやって培ったネットを使うノウハウが花開いてくれるといいんですけどね。

──あっ! そうそう、大橋先生が発売なさった詰碁集『万里一空』のサイン本を買わせていただきました!

大橋:
 おお! ありがとうございます!

(画像は「万里一空 大橋拓文詰碁集」より)

──恥ずかしながら私、詰碁って石を全部取っちゃう問題しかないと思っていたんですが……。

大橋:
 そういう問題が圧倒的に多いですから。僕は、そうじゃない問題も入れますけど。

 最後の100問目は、一局の碁としても楽しめる問題にしました。実はこれ、囲碁AIがあったから完成した問題なんです。

──収録されたコラムにも書いてありましたね! ディープラーニング系のソフトは、詰碁や詰将棋は苦手なはずなんですが……。

大橋:
 これは普通の囲碁としても成立しているので、誰も発見できなかった妙手をAIが発見してくれたんです!

──本当にすごい作品なので、ぜひ多くの方に手に取っていただきたいですね! 私も、せめて簡単な問題だけでも自分の力で解けるように勉強します!!


 いかがでしたでしょうか?
 将棋ソフトがディープラーニング主流になりそうだから、囲碁界の状況を聞いて参考にしてみよう……と軽い気持ちで始めたインタビューでしたが、想像以上に壮大な話になってしまいました。

 圧倒されたのは、やはり中国IT企業の話。
 囲碁だけではなく、ゲームやアニメといったエンターテインメントの世界でも、中国企業の技術力と資金力は、日本を……いや、世界を圧倒しはじめています。

 その力の源は、もちろん広大な国土と膨大な人口。
 しかしもう一つ、大切なものがありました。

 インタビューの中で語られた、中国のトップ棋士の気質。
 勝てないとわかっていても、AIに少しでも近づこうと挑み続ける強い意志。1%でも勝率を上げようと、ためらいなくAIの打ち手をコピーする姿勢。
 人によっては、それは受け入れがたい生き方かもしれません。「そうまでして勝ちたいのか」と。

 ですが、失うことを恐れずに突き進むその姿を……私は眩しいと感じました。

 思い返してみれば、将棋でも最初はAIとガムシャラに戦っていたものです。
 電王戦でAIと膨大な数の対局をこなし、その実力を認め、それでも挑んでいった者達がその後どうなっているのか?

 『YSS』と千局に及ぶ練習将棋を経て勝利した豊島将之は、人類との研究会すら辞めてAIとの研究に没頭し、その後6つのタイトルを手にして現在は竜王として棋界に君臨する最強の棋士となりました。
 『Selene』と戦い、そのプログラム上の不備まで発見して「それ放っておくと投了すると思いますよ?」と言い放った永瀬拓矢も後にタイトルを獲得し、現在では「中終盤でもAIと同じ手を指せる者が天才」と言い切っています。
 『Apery』と戦った斎藤慎太郎もタイトルを獲得し、今、名人挑戦まであと一歩と迫っています。
 そして初代叡王として『ponanza』と戦い、己の将棋に殉じた山崎隆之は、40歳を目前にしてA級棋士へと初登極を果たしました。

 当時とはもう、AIの強さが違うと言ってしまえばそれまでかもしれません。囲碁と将棋のゲーム性の違いもあるでしょう。
 それでも私は思うのです。
 強い者へと挑む心にはきっと、国も、時代も、ゲーム性も乗り越える何かがあると。その挑む姿にこそ、私たちは強く強く惹かれるのだと。

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