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「初代『信長の野望』はたったふたりで開発」「三度も作り直した『仁王』」──ゲームクリエイター“シブサワ・コウ”40年の歩みを振り返る

ニコニコニュース / 2021年4月7日 12時0分

 『信長の野望』『三國志』シリーズといったゲーム作品の生みの親であるシブサワ・コウ氏の活動40周年を記念した番組【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣が、2021年3月28日にニコニコ生放送にて放送されました。

 本番組では、1981年10月26に発売された『川中島の合戦』から、2020年3月12日に発売された『仁王2』にいたるまで、シブサワ・コウ氏が自身の歩みやコーエーテクモゲームスの変遷を振り返り。

 さらに、シブサワ氏の作品を初期から知る伊集院光さんがゲストとして出演。これまでに発売されてきたシブサワ・コウ氏の作品について、当時の印象を語りました。

番組出演者。左からMCの天明麻衣子さん、伊集院光さん、シブサワ・コウ氏。

※本記事はニコニコ生放送での出演者の発言を書き起こしたものであり、公開にあたり最低限の編集をしています。

シブサワ・コウと伊集院光の接点とは

天明:
 伊集院さんとシブサワさんの接点というのは、どういったものなのでしょうか?

伊集院:
 シブサワさんが作ったゲームを遊んでいたのは、ずいぶん前からになります。実際にきちんとお会いしたのは、3年ぐらい前の僕のラジオ番組でした。

シブサワ:
 そうですね、はい。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

伊集院:
 ゲストにお越しいただいたあのときは、すごい反響でしたよ。

シブサワ:
 楽しい楽しいゲームの話を自分勝手にさせていただきました。伊集院さんと身長が同じくらいだし、非常に親近感を感じましたね。

伊集院:
 横幅は全然違うんですけどね(笑)。僕からしてみると、シブサワさんはパッケージに書いてある名前として、「なんだろうこの人」と思ったときがあれば、「この人は存在しないんじゃないか」と思ったこともありました。

 そんな人といよいよラジオで対面することになったので、僕はドキドキしましたし、すごい感動しました。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

シブサワ:
 ありがとうございます。大好きなゲームの話ができたので、すごく楽しい思い出になっています。私はゲームを作るのが大好きですが、ゲームを遊ぶのも大好きなんです。

 そして、ゲームの話をみんなといっしょにするのも大好きですね。とにかくゲームにぞっこん惚れ込んで、40年経っちゃいました。ゲームは私の一番仲のいいお友達です。

伊集院:
 今日はそんな話にも触れて行きたいんですけど……。僕のなかで、お世辞抜きでゲーム業界から近い将来、大河に取り上げられる人が出るとしたら、シブサワさんだと思っています。

 人生の波乱万丈さというか、ここから始まってここまで来ましたよの歴史が、あまりに面白くて。今日はちょっと、そのへんに突っ込んでいきたいですね。

シブサワ:
 いやもう、ただ単にゲーム漬けの毎日を過ごしてきたっていうだけですから、そんなドラマティックではないんですけど……。ただファンの方々から、すごい反響をいただいて。面白いとか、𠮟咤激励されて。

 そういうファンの方々とのコミュニケーションをずっと長年続けてきて、それを原動力として、ゲームの開発をしてきました。そういう仕事に就けたというのはすごく幸せで恵まれていたなと、いまは考えています。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

ゲームクリエイター“シブサワ・コウ”はいかに誕生したのか

天明:
 まずは、シブサワ・コウさんの40年を振り返るため、お話を伺っていきたいと思います。最初のトークテーマはこちら。

 どのようにして、ゲームクリエイター“シブサワ・コウ”が誕生したのかを伺っていきたいと思います。ゲームを作ろうとしたきっかけから、お話しください。

伊集院:
 そうですね。その前に一個押さえておかないといけないのは、すごく若いゲームファンの方もこの配信見てくださっていると思うんですけどね。いま皆さんの夢で、ゲームクリエイターになりたいという夢をお持ちの方がたくさんいると思います。

 当時(40年前)は、ゲームというものが登場してまだ間もないので、ゲームクリエイターなんて仕事はありませんでした。噂に聞くとね、学生時代ミュージシャンだったっていうのは、あれは本当ですか?

シブサワ:
 本当です。4年間どっぷり、ジャズとかボサノバの世界にハマっていました。ちょうど学生紛争があって大学が非常に荒れていた時代ですから、勉強したいワタクシとしては残念ながら勉強ができないので、音楽のほうに入ったと……。

 それで、東芝からレコードを出したり、コンサートをやったり、ちょうどいまこちらにありますけども、こういうレコードを全部で、3枚出したりしました。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

伊集院:
 これは、激レアですよね。グループ名は何ですか?

シブサワ:
 カルア(KALUA )っていうバンドなんですけども、ロックだとかボサノバとかジャズとか、そういった関係の音楽をやっていました。

 ちょっとカレッジポップス系というか。その当時は、グループサウンズが非常に人気でしたから、学生のバンドということで、東芝さんが売り出してくださいました。非常に楽しい思い出です。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

伊集院:
 青春の香りがする楽曲ですね。この後、ゲームクリエイターになるまで、まだ出来事がありますよね。

シブサワ:
 そうですね。家業が染料工業薬品の販売の仕事をしていました。残念ながら、私が27のときに廃業になってしまったのですが、もう一度私が一旗揚げようとして、光る栄えるという漢字を使って、光栄という会社を作ったんです。

 家業である染料工業薬品の仕事を、もう一度スタートしたんですが、なかなかうまくいきませんでした。それで、いろんな知識を得たいと思って、本屋さんに行っていろんな本を読んでいるうちに、『月刊マイコン』という雑誌に出会いまして……。

 何となしにマイコンは、何でもできる魔法の小箱みたいなイメージがしていました。ゲームもできるし、その当時は会社のオフィスオートメーションって言っていたのですが、会社の経営合理化に役立つとか、あるいは子どもの教育にも役に立つとか、いろんなことが書いてあって、すごく魅力的に感じたんです。

 それで、マイコンを買いたいなと思いました。当時マイコンの値段が大体20万から30万円くらいで、とても買える値段ではありませんでしたが、家内がヘソクリをたっぷり持っていましたので……。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

伊集院:
 すごいですね。

シブサワ:
 高校生のころから株式投資をずいぶんやっていて、私よりも全然お金持ちでした。いまでも当社の財務運用をやっています。

伊集院:
 経済のニュースにも出てきますから、見てますよ。

シブサワ:
 よくご存知ですね(笑)。その当時からずいぶん株式投資を一生懸命やっていまして。当時は短波ラジオで、ずっと株価が流れていたんです。「何が何円、何が何円」と一日中、音声が流れていました。家内は、それをずっと家の中で聞いていたんですよ。

伊集院:
 すごいですね。当時はインターネットがないから、いわゆるネットのチャートなんてなくて……。いちばん早い情報は、短波放送の株式情報でしたが、素人が聞き取れるようなスピードではありませんでしたね。しかし、それを聞いてらっしゃった。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

シブサワ:
 そうですね。ずーっと毎日毎日、聞いてました。それで売り指示、買い指示を出して……。そういう投資に関しては、その当時からプロでしたね。

 それで「マイコンがほしいのに、会社がなかなかうまくいっていないから買えないな」なんて話をしていたら「じゃあ私が買ってあげる」と言ってくれました。

独学でプログラミングを学び、ゲーム『川中島の合戦』を作る

伊集院:
 機能的にはいまのものと比べたら、できることは相当少ないですよね。

シブサワ:
 いまのスマホの多分、1万分の1くらいじゃないですかね。

伊集院:
 そうなんですよ。しかし、当時のマイコンは、SF世界の物だったコンピューターが「家庭の物になりましたよ」という物だったんです。でも、ゲームのために使うようなイメージは、当時なかったんですよね。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

シブサワ:
 なかったですね。色々なことに使えるというので、まず最初は会社の財務管理、在庫管理といったソフトを作っていました。元々プログラミングができたわけじゃないんですよ。そのため、独学でベーシックなどのプログラミング言語を自分で覚えました。

 それで会社の経営に役立つソフトを作って、会社に役に立てようというのが建前だったんですが、実際は夜なべ仕事で一生懸命ゲームを作って遊んでました。そうして何個かゲームを作っているうちに、面白いゲームができて……

 そのゲームが『川中島の合戦』でした。それで、こんなに面白いんだったら、きっと面白いと感じてくださるマイコンのユーザーさんが、日本に何人かいらっしゃるんじゃないかと。

 そして、ひょっとしたら誰か買ってくださるかもしれないと思い、『月刊マイコン』という雑誌に白黒の半ページ広告、通信販売の広告を出しました。そうしたら郵便局の局員さんが、現金書留を山のように持ってきて「シブサワさん何か悪いことしたんですか?」と言われました(笑)。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

伊集院:
 シブサワさんのお話ですごいのが、ゲームが出てくるまでに朝ドラで2ヵ月かかりそうなくらいの出来事があったことですね。そして、いよいよゲームを出してみたら、欲しいという人がいっぱいいたんですね。

シブサワ:
 たくさんいました。当時はカセットテープがおもなメディアでしたから、ゲームソフトのプログラムをカセットテープにダビング。さらに、パッケージを綺麗に包装し、郵送するまでが一連のビジネスとなっていました。

 そんななか、私がすごく感激したのは、買ってくださったお客様が面白いということを手紙や電話といったもので、伝えてくれたことです。いまもそれはまったく変わっていません。

 「ここが面白いよ」、「あそこはああしたほうがいいよ」といったお客様からの色々な反響がゲーム作りの醍醐味ですね。最近はMetacriticという、海外の評価サイトが点数でゲームを評価しています。

 そこで80点以上とか90点以上になると、大体ワールドワイドで300万本とか500万本とか1000万本とか売れるので、現在のゲームビジネスはかなり大きくなっています。

 しかし、その当時は、お客様がゲームを開発するスタッフ、開発者に直接意見を言ってくださる。「つぎは信長を主人公にした戦国時代のゲームを作ってよ」というような意見をたくさんいただく。そういうのがすごく楽しくて、私の最大のやりがいにつながっていきました。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

伊集院:
 僕はまさに、その当時『川中島の合戦』に出会うんですけど、いまでも覚えています。秋葉原のヤマギワテクニカというパソコンのソフト中心の店舗があって……。その地下売り場か、ソフマップの小さな店舗がソフトを売っていました。

シブサワ:
 ありましたね。

伊集院:
 そこにダビングしたてみたいなカセットテープがあったんです。そこに実物がありますけど、その赤いパッケージですよね。

シブサワ:
 このパッケージ。業界の方からは赤箱と呼ばれています。パッケージのデザインは、当社の現在の会長である襟川恵子がデザインしていました。ワタクシの家内なのですが、家の中でも上司ですし、会社の中でも上司なんです(笑)。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)
(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

伊集院:
 いま思うと『川中島の合戦』の後も、赤箱と言えば光栄の作品じゃないですか。

シブサワ:
 そうですね。

伊集院:
 当時のユーザーからすると、ほかのメーカーの大きいパッケージもあったなかで、この赤箱をちょっとみんな信頼するようになっていました。赤箱と言えば光栄で、赤箱の下に書かれたタイトルを見て「あ、新しいの出てる」みたいになりましたね。

シブサワ:
 おっしゃられるように、そういうブランド戦略でした。ゲームを作るときに、責任ある人が存在したほうがいいということで、シブサワ・コウというプロデューサー名は会長の襟川が考えました。

 襟川は、元々ファッションのビジネスをやっていたんです。グッチやルイ・ヴィトンといったファッションブランドがデザイナーの名前を売り出していたので、ゲームソフトも同じく「開発したプロデューサー名を書いたほうがいい」ということになりました。

 名前を考える際に、私は渋沢栄一を非常に尊敬していましたので、そこからシブサワというお名前を借りて、光栄のコウをつなげて、シブサワ・コウという名前にしたんです。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

伊集院:
 すごい先見の明があるというか、プロデューサーの名前でゲームを買うことは、いまでこそあるかもしれませんが、当時パソコンのゲームソフトは本当にピンキリでした。

 有象無象がいっぱいあったから、何がいいのか分からないんですよ。そういうことが分からないなかで、ブランド戦略を見つけたのは大きいですよね。

シブサワ:
 そうですね。そういうマーケティング的な発想やブランド戦略は、ずっと会長の襟川がやっていました。そのため、おもしろいゲームを作ることばかりに一生懸命だった私は非常に助かりました。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)


PC性能の進化とともに登場した『信長の野望』──マイコン時代からパソコン時代へ

天明:
 続いてのテーマはこちら、歴史3部作です。1983年、ついに『信長の野望』が登場します。

伊集院:
 僕のなかでは、ここに時代の節目があります。最初に僕が触った『信長の野望』は、N-BASICというPC-8001で動くタイプですね。いまより国が全然少なかったんです。

シブサワ:
 そうですね。当時はちょうど、中部地区の17ヶ国の国盗りゲームという形で作りました。当時のマイコンの容量がそれほど大きなくて、すぐいっぱいになっちゃうんですね。そういう関係があって、全国をゲーム内に出すことができなかった。でも17ヶ国版の次に、全国版というのを出すことができました。

 そのときにはPC-8001が8801になり、9801になっていきました。だんだんパソコンの性能が上昇して、できないことがいろいろとできるようになっていったんです。ただ、歴史シミュレーションゲームの一番、原点としての面白さ、エッセンスは、17ヶ国版で十分入っていたとは思います。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

伊集院:
 僕はユーザーとしてこのころ、それこそマイコン少年からパソコン少年になりかけているころでした。家に兄のPC-8800があって、ベーシックでプログラミングを始めるんです。

 そうすると、説明書かマニュアル本には『信長の野望』の最初のプログラムでは、「音がピーって鳴ると止まるということしかやれない」と書いてあるんです。だけど、やってみた『信長の野望』は、「ジコジコジコジコ」って音がするんですよ。

 そんな音は出ないはずなのに出て……。これはどうやったら俺と同じ機械で流せるんだと思いました。そこで、当時はプログラムリストを簡単に見れたので、見ようとしました。

シブサワ:
 見れましたね(笑)。

伊集院:
 それでプログラムリストを見て、こうやって何度も止めたり出したりして音階付けてるんだ、とわかりました。まるでシェフのソースを盗んで舐めるようなことをしていましたね……。

 光栄の作品で、いまに通じるこだわりを感じていたのは、ゲームを作るときに、できるギリギリまでがんばる。できなかったことは、つぎの作品を作るときまで覚えているというところですね。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

シブサワ:
 そうですね。やっぱりやり残しというか、やりたくてできなかったことは、いつか実現したいという気持ちがありました。すると、時代とともにパソコンの性能が飛躍的に上がっていったんです。

 白黒だったのがカラーになったり、キャラクターグラフィックスがドットになったりと。ドットが2万いくつ画素のが、50万とか100万とどんどん増えていって、非常にきれいなコンピューターグラフィックスが再現できるようになりました。

 それによって、やれることがどんどん増えていくため、そのころはそういった技術の進歩との競争があったんですが、作り手からすると楽しくてしょうがなかったです。できなかったことが実現できるって、すごいうれしいんですよ。

伊集院:
 いまこの配信を見てらっしゃるなかにも、クリエイター志望、クリエイターの方はいると思います。たとえば、いま自分の環境ではできないから諦めないといけないことは、いっぱいあるじゃないですか。でもその宿題を持ち続けられるかどうかで、ずいぶん違うと思うんですよね。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

シブサワ:
 そうですね。いまちょうど、スマホの通信規格が4Gから5Gに変わりつつあります。すると、4Gでできなかったことがどんどん5Gでできるようになってくる。

 現在も技術の停滞がなくてゲームの作り手としては、非常にやりがいのある時代に生まれて、いい時代にゲームを作っていると思いますね。

伊集院:
 当時は、いまみたいにゲームのプロジェクトひとつひとつが大きくないですよね。『信長の野望』の一番最初の作品あたりは、その企画やプログラミングっていうのはどんな人数でやっていたんですか?

シブサワ:
 『信長の野望』のときにはふたりです。私が企画、プログラムをして、もうひとりプログラマーがいました。一方、『川中島の合戦』は、私ひとりで全部やりました。プログラミングもCGも、それからダビングもパッケージも発送も、その後のユーザークレームを受けるのもですね。

伊集院:
 すごいですね。

歴史三部作──舞台は日本から中国、モンゴルへ

天明:
 そして1985年に『三國志』、『蒼き狼と白き牝鹿』が発売されました。『信長の野望』と合わせたこの3作が、光栄歴史3部作と呼ばれています。舞台が日本から中国、さらにモンゴルへと移っているんですね。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

伊集院:
 舞台が移り変わっていったのは、どういう理由があるんですか?

シブサワ:
 当時、方向性を少しまとめて、シリーズ作を作っていこうというような気持ちがありました。それで、日本の場合は戦国時代。中国ですと、英雄英傑がたくさん出てきて活躍するという、三國志の時代が非常に面白い。

 もう少し大きく、ユーラシア大陸で見ると、テムジンが活躍したモンゴルのゲームも面白いんじゃないかというのが歴史3部作を作った当時の背景になります。

 そんな当時の『蒼き狼と白き牝鹿』のなかで、オルドというシステムが私は大好きだったんです。オルドは、たくさん子どもさんを作って、たくさん属国のような国々を経営していくようなシステムなんですが、色々あっていまはなくなっています。それでコアなファンの方からは「ぜひオルドをまた作ってください」と言われることがありますね。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)
(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

伊集院:
 温故知新じゃないけど、ひとつ残すものもあれば、新しくするものもあって……。そのころの発想でいまにも受け継がれているシステムもあれば、ここはここで新しくするんだという判断をコーエーはしますよね。

シブサワ:
 そうですね。まず当社に入社してくるのは、ほとんどが私の作ってきた歴史シミュレーションゲームをプレイして、面白いと思った新入社員たちなんです。

 そういう歴史シミュレーションゲームをもっと作りたい、面白くしたいという野望を持って入社してきますので、あらかじめ作りたいゲームやアイデアをいっぱい持っているんですよね。

 そういった思いを伊集院さんがおっしゃったように持ち続けていて……。5年10年経っても、「こういうゲームを私は実現するんだ」という気持ちがあります。いろんな局面でそういうやりたいことというのが出てきますから、社内でのアイデア不足はほとんど起きませんね。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

シブサワ:
 それぞれの社員がやりたいことを持っているので、企画の内容も非常に多彩ですし、いろんな切り口で出てきます。もちろんお客様からの要望というのはたくさんあります。それも日本だけじゃなくて海外からのお客様のご要望だとか、あるいは評価であるとか。

 そのため、評価のいいところは持続させながら、そうでなかったところは、よりよくして、それから技術的にできなかったことができるようになったら、それもまた足していきます。

 シリーズ作でも必ず、新しい面白さが入るように、いつも工夫しながら、たとえば『三國志』ですと、もう14まできていますし、『信長の野望』も15まできています。どんどんシリーズを重ねてきているなかでも、そういった流れを大切にしています。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

『仁王』はシブサワ・コウのゲーム人生のなかで作るのに一番時間がかかったゲーム

天明:
 時代がいまへと近づいていくと、こちらの作品が登場します。ダーク戦国アクション『仁王』です。こちらは開発期間が12年かかったということですね。

シブサワ:
 そうですね。これは私のゲーム人生のなかで、作るのに一番時間がかかったゲームになります。

伊集院:
 我々プレイヤーも制作期間にびっくりしたし、途中で『仁王』は元からなかったみたいな空気にも一時なりましたよね。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

シブサワ:
 最初に企画をして作ったときには、アクションのないRPGとして企画して、テストバージョンを作りました。まずそこで、自分が考えたような面白さが実現できていなくて、作り直しをしたんです。

 そのときちょうど光栄とテクモが経営統合をして、コーエーテクモゲームスという会社になりました。それによって、テクモの技術陣も入れた新しいチームを作って、『仁王』をもう一回作り直そうとしました。

 そのときにアクション性を入れることになりました。それから、テスト版を作ってプレイしてみたら、まるっきり『NINJA GAIDEN』というテクモが持っているヒットゲームのシリーズのようになってしまったんです。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

シブサワ:
 そこで、三度目の正直で作り変えてできたのが、この『仁王』というゲームです。非常に難易度が高くて、先に進むのが難しいのですが、そのぶん敵を倒したときの喜びがすごく大きい……。そういう高難易度のゲームです。

 ストーリー自体は12年前からずっと練っていたもので、史実の人物で金髪碧眼の侍である三浦按針が主人公です。この人物はウィリアム・アダムスっていうオランダから出港したイギリス人の船員なのですが、高波に襲われて日本に漂着してしまいます。

 その後、だんだん日本語が話せるようになって、日本の侍として活躍していき、最終的には徳川家康の外交公務員にもなるんです。そういう事実がありますから、それを上手く脚色して、日本にはびこる魑魅魍魎を退治するというようなストーリーに変えていきました。

伊集院:
 僕はこのいまの『仁王』のエピソードのなかにいろんな大事なことが入っていると思っています。最初に『NINJA GAIDEN』のようなゲームができたとき、『NINJA GAIDEN』もいいゲームなので、妥協してもよかったと思うんですよ。

 だけども納得のいかないゲームは出せない、コーエーがいっしょになって作るゲームなんだから、コーエーの色は絶対欲しいということですよね。コーエーのトップとして、時間をかけることのリスクを理解しながらも、こういった判断ができるのはすごいことだと思います。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

シブサワ:
 そうですね。いろいろ試行錯誤しましたけども、最終的にはいいゲームシステムになって、世界中でヒットして、いま300万本以上『仁王』は売れてますし、『仁王2』の売り上げは100万本を超えています。

伊集院:
 ここもすごいんですよ。ゲームって、たくさん売れるほど、分かる人が分かればいいというゲームではなく「みんななんとなく最終的に解けるようにしておこうよ」みたいな傾向がありますよね。

 そんななか、死にゲーという何度も死ぬことでプレイヤーが成長する、コントローラーを握っているプレイヤー自身が成長するというゲームを作ろうとしたのは冒険ですよね。

シブサワ:
 実際にプレイしてみると、最初は「なんでこんな難しい敵が、強い敵が出てくるの」という気持ちになりますが、それを倒したときの喜びが各段に大きいんです。

 難しいけど理不尽なゲームではないんですよね。勝ちかたをだんだん、何回も倒されることによって学ぶことができて、敵を倒すとさらにまた強い敵が出てきますが、それもまた学んで倒していける。攻略方法がプレイすることによって分かっていくのが、すごく楽しいんです。

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

伊集院:
 今回こういうイベントに呼んでもらっているので、出演が決まったとき「じゃあいちばん新しいのやろうじゃないか」と思って、『仁王2』のPlayStation 5のバージョンを始めてみたんです。

 それでプレイするうちに、『仁王2』のために買ったものがあります。それはクッションです。何のためにいるかといえば、ギリギリでやられてムカついたときにコントローラーを投げたくなるんですよ(笑)

(画像は 【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣より)

伊集院:
 そのコントローラーが無事でいるためのクッションなんですよね。いくつコントローラーがあっても足らないから、必ずクッションにふわっと投げることにしています。でも本当によくできていて、死んだ瞬間に「でも、あそこをああしていれば」と考えることができるんですね。

 負けたときに、ちょっとした反省と改善ポイントが見える感覚。あの絶対無理ではないというバランスが絶妙ですよね。

シブサワ:
 そうですね。ひとりでどうしても勝てなかったら、お助けのプレイヤーを呼ぶことができて、ふたりプレイとか3人プレイとか、それによって非常に強い敵を共同で倒すこともできます。

 そういった楽しみかたもできるので、私も実際、全部の敵をひとりで倒したわけじゃないんです。臨機応変にいろいろな仲間とプレイしたりとか、ひとりでプレイしたりとか、そういう風に楽しんでいます。

 『仁王2』は、一周目だけじゃなくて二周目、三周目がすごく面白いので、ぜひともプレイされている方は、二周目三周目もやってみてください。絶妙なゲームバランスになっていますから。


▼タイムシフト視聴はこちら▼
【伊集院光さん出演】シブサワ・コウ40周年記念番組 春の陣

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